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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

代わりにはならない

2014-03-02 | 陸上競技
実はもう少し話をしておきたいことがあったのです。まー諸事情によりそれは不可能となりましたが(笑)。せめてこのblogに話したかったことを書いておきます。卒業生と保護者の目に届くと良いなと思います。

実はこの卒業生の中に兄弟でうちの陸上競技部に入ってくれた子がいます。ちょうど入れ替わりとなりましたが。姉は400mHの選手。これも県を代表する選手でした。弟はその影響を受け(入れと言われた?)うちの部に入ってくれました。「うちの部を選んで入ってくれた」という部分があるのでこれは本当に幸せなことだと思います。

で、この姉の話をしたいと思っていたのです。姉の話だけではなく当時の話なんですが。先ほどの「死」という部分とも重なる部分があるのですが。この姉は2年生で県総体を制しました。圧倒的な力でした。3年生の春先にはうちの400mのエースとほぼ互角。どちらが強いか分からないというレベルまで来ていました。かなりの確率で「県記録更新」という競技力。が、支部大会の1週間前に4継の練習中に肉離れをしてしまいました。これも「圧倒的なスピード」に耐えられなかったという感じでした。とにかくすごいスピードが出ていたのです。

1週間後の支部大会。出場する必要性は0。県総体への出場権は得ています。無理をする必要はない。が、「どうしても走りたい」と本人が言います。何度も何度も「走る必要はない」と言ったのですが「インターハイに行くために走っておきたい」と懇願していました。ここで私が「絶対に出さない」と決めて強い態度で本人を納得させれば良かったのですが結局走ることに。本当に軽度の肉離れだったので問題ない状態でした。それでも「万全を期す」ために休ませればよかった。

その故障により少しバランスが崩れました。痛めた足の反対側の足首が痛くなったのです。これが大きく走りに影響する痛み。とにかくできることは全てやりました。治療という治療は全てやり、師匠に頼んで治療してもらったり。「良い」という場所には全ていく。それでもなかなか改善されません。県総体はなんとか通過。走れさえすればインターハイに届くと信じていました。中国大会に行くバスの中でも師匠に治療してもらいながら移動。奇跡的に当日の朝、痛みが全くない状態まで戻りました。走っていてもすごいスピードが出る。本人も「行ける」と確信したようですが、直前の走りで再び足を痛める。とても走れる状況ではありませんでした。それでもレースには出場。持っている力を出すことなくインターハイへの道は閉ざされました。

更にマイル。この子が走っていれば・・・という部分がありました。それを本人が感じている。レースが終わり7位となった瞬間、立つことができない状態で泣き崩れていました。なんと声を書けたら良いのかも分からない状態。とてもかける言葉がありませんでした。「自分が走っていたら・・・」と言葉にならない声で泣いています。この時ほど自分が情けないと感じたことはなかったですね。だからと言って何ができるのか・・・。完全に放心状態でした。

「インターハイに行く」という「夢」はその場で終わっていました。が、本人たちは「どこに向かっていけばいいのか分からない」状態でした。インターハイだけを見てきた。そのエネルギーを向ける場所が分からないのです。「死に場所を探そう」という話をした記憶があります。「やり切れない想い」をぶつける場所を探す。それが中国選手権でした。中国選手権で賞状をもらう。上手くいけばリレー選手権で全国に行ける。これがモチベーションとなりもう一度動き始めることができました。「突然やってきた出来事」により「時間」が止まったままになっていた選手たちも少しずつ前に進めるようになりました。中国選手権3位。しかし、これでも「不完全燃焼」でした。

結局、秋まで続け県体でトラック総合優勝。200m、400m、400mH、4継、マイルで優勝。少ない人数ながら圧倒的な勝利でした。本当に素晴らしい選手たちでした。しかし、結局は「不完全燃焼」で終わった感じが本人たちにありました。この子たちにとって「中国選手権」も「県体優勝」も「インターハイ」の代わりにはならなかったのです。当然と言えば当然。3年間の全てを「インターハイ」に向けていたのです。どんなことをしても「インターハイに届かなかった」という「現実」は変わることはない。記録を出してもそれが「代わり」にはならないのです。

もちろん、その取り組みの中で獲たものは大きなものです。「勝つ」ことだけを目標にやってきたわけではありません。しかし、「結果」を追い求めていたという事実はあります。「結果」を求めていたからこそここまで必死になれた。「届かなかったけど仕方ない」という気持ちは一切ないと思います。何をやっても「インターハイの代わりにはならない」のです。もちろん、高校を卒業したら他の部分で「代わり」は見つかるかもしれませんし、見つけなければいけません。しかし、高校時代に目指した「インターハイ」は他の何を持っても「代わり」にはならない。そ

これから先、「夢」や「目標」を持つと思います。その「夢」や「目標」を必死に追い続けてほしい。達成できない可能性だってあるのです。しかし、その「夢」に進む中で自分自身が大きく変わる。成長する。その目標には届かないかもしれない。もちろん、その「代わり」になるものなんてない。だから必死に持っている力を使ってその「夢」をつかむ。インターハイは高校時代の3回しかチャンスはありません。しかし、それ以外のことは何度かチャンスがある。「代わり」になるものを探すのではなく「なんとしても達成するのだ」という気持ちを持つことが大事なのです。最初から「代わり」を探すのではない。あと時の選手たちが「代わり」を追い求めていたが結局何をやっても「インターハイ」の「代わり」にはならないのです。諦めない限り「夢」に向かい続けることができる。

繰り返しになりますが「インターハイ」は3回しかチャンスがありません。2年生は次のチャンスが最後。「インターハイ」の「代わり」になるものはない。それが分かれば毎日を大切にできる。卒業していく卒業生は社会人となり新たな「夢」や「目標」を設定してほしい。それが生きていくエネルギーとなる。社会人の「夢」や「目標」は3回のチャンスではないはずです。だからこそ「代わり」を探さず真っ直ぐに目指して欲しい。そう思います。

また分かりにくい内容ですね。話さなくてよかったかもしれません(笑)。前の日に姉に「最後の晴れ舞台だから見に来るの?」と聞いたら「仕事です」と一蹴されました。本当はこの子の前でこういう話ができたらいなと思う部分もあったので(笑)。まー卒業して3年経過していますから「インターハイに行けなかった」話をこの子にしても意味はないのかもしれませんが、弟や保護者には感じてもらえる部分があったかなと思います。自己満足かもしれないんですけどね。

「ドライになる」という「目標」があるのですが全く駄目ですね。完全に「ウエット」のまま。感情移入してしまいます。これが「私」なのかもしれません。この話は卒業生にも在校生にも聞かせたかった。まー長くなるので絶対に無理だと思いますが(笑)。

意味の分からない文章をダラダラとすみません。結局、自己満足の文章しか書けないですね・・・・。
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卒部式~伝えたいこと~

2014-03-02 | 陸上競技
卒業生から一言ずつもらって私からも話を。毎年のことですが「これまで言ってきたことが全て」だと思っています。形式的な言葉であったり、誰にでも言える言葉であれば私が話さなくてもよい。これまで3年間毎日毎日話をしてきました。時には厳しく接することもあったはずです。その中で「大切なこと」は感じ取れていたのではないかと思います。

私からは思うことをダラダラと(笑)。「明日死ぬかもしれない」という話から・・・。おめでたい場所でなんという話をするのか!?と思われるでしょうね。一応保護者には詫びて始めましたが・・・。ここ最近、「明日死んだら自分は後悔しないだろうか?」と思っています。卒業式前に前キャプテンに「私が県総体の前に倒れたらどうするか?」ということにもつながるのかなと思っています。この話は「倒れる」という立場の話ではなく、「選手がどうするか」という話でした。突然、今まで一緒にやっていた顧問がいなくなったら自分自身はどのような行動をするべきか?常にそういう気持ちを持って「何が起こるか分からない」という部分を頭に入れておきなさいという話でした。

が、今回は「明日死ぬかもしれない」のは「他者」ではなく「自分自身」という視点から話をしました。今回の「卒業式」は「3月1日」と決まっています。その日に向けて少しずつ準備をすることができます。在校生が卒業生に渡すために「色紙」を書いたり記念品を準備する。これは最初から「3月1日が卒業式」ということが分かっているからできるのです。これは「特別な日」なのです。「卒業式」や「結婚式」は期日が分かっている。だからその日に向けて準備することができる。しかし、「死」というのは「突然」やってくるのです。「準備できること」と「できないこと」があるのです。

卒業生の中に「リレーで中国大会に行けない」と思っている者は一人もいなかったはずです。しかし、実際は県総体で終わってしまいました。男子のリレーはきちんと走ることができましたが、女子の4継は突然「終わり」がやってきたのです。誰一人としてその「現実」をすぐに受け入れることができない。自分の身に何が起きたのか分からない。それでも「終わり」なのです。「夢だったら」と思う。しかし、それが「現実」でありもうどうにもならない。それを受け入れることができる者はいないと思います。どれだけ強く願ってももう時間は戻らないのです。今の卒業生はそのことを「体験」している。だからあえておめでたい場で「死」の話をしました。

「明日死ぬかもしれない」という感覚。「何が起こるか分からない」という現実。全てのことが「特別な日」であり、「準備しておけば対応できる」のであればこれほど楽なことはありません。しかし、世の中の大半のことは「突然」起きることであり、「日常」なのです。だから「あの時やっておけば違う結果になっていたかもしれない」と後悔する。でも時間は戻らない。目の前にあることが「現実」だからです。難しい話だと分かっていて話しました。

結局、「死」は突然やってくる。だから、「毎日を大切にする」しかないのです。「特別な日」を待って準備をすることも必要なのですが、目の前のことをとにかく一生懸命にやって突然やってくる「何か」に対応できるようにするのです。「やっておけばよかった」という感覚ではなく「やれることは全てやった」と言い切れる生活をする。簡単なことではありません。やらずに後悔するよりもきちんとやって公開するほうが良いと思っています。どのような形であれ人は「後悔」という「残念な気持ち」を持つのです。だからその「後悔」の中身を変えることができる人生を送ってもらいたい。

後悔しない人生。先ほどの話を例に。県総体でバトンミスをして失格した。それを「仕方ないね」と思う。「自分たちはきつい練習してきたのだからよく頑張った」と納得する。そんな気持ちであれば競技をする必要はないと思います。県総体、直前に「チームの一体感が不足する」という部分もありました。また、選手以外が何もしないので結局走る選手が気を使ってそれがストレスになる。何もしなかった者は「自分はみんなのために働いている」という錯覚をする。本当に必要なことができていないのに。そういう「積み重ね」が結果に出るのです。本当はもっとできることがあったのです。県総体前に「キャプテンに任せっぱなしになる」ことがなかったり、「気を配って選手をサポートする」ことができればまた違った結果になるかもしれない。「同じ結果」だったとしても「あの時イライラしていなかったら」と「マイナスの後悔」をすることもない。

起きるべくして起きた「結果」なのかもしれない。やることをすべてやって迎えた「結果」かどうか?大きなことだと思います。だから「毎日を一生懸命に生きる」ことが必要。目の前のことをとにかく全力で手を抜かずやっていく。それが必ず「力」になる。「突然やってくる何か」を受け入れることができるようになるかもしれない。そう思っています。

難しい話ですね。たぶん上手く伝わっていないと思います。だからあえてもう一度このblogに書いています。卒業生、保護者、在校生、このblogに書いている意味を理解してもらえたらと思います。私が何故「死」の話をしたか?毎日を大切にしてほしいのです。人生は「平凡な毎日」の繰り返しです。その毎日の生活に「慣れ」てしまったら人は何も考えなくなります。「平凡な毎日」だからその中身を大切にしていく。一生懸命にやっていくことで「何か」が変わるのです。そう信じているから話をしました。

卒業生がこれから先どのような壁にぶち当たるかはわかりません。しかし、「練習よりはましだ」と思えるならきっと乗り越えられる。うちで3年間競技をしてきたのであれば大体のことは耐えられますし、越えていけると思います。3年間かけて身に付けた「力」が本物かどうかを試されるのはこれから。しっかりと進んで行ってもらいたいと思います。

本当におめでとう。あなたたちに会えたことを心から感謝したいと思います。ありがとう。
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卒部式~感謝を述べる~

2014-03-02 | 陸上競技
卒業式の後、毎回「卒部式」という形で部活でお別れの場所を設けています。基本的には私はノータッチ。選手がお世話になった卒業生のために「何かやる」という感じです。今年は2年生が2人しかいないのでどこまでできるか不安な部分はありました。短距離6人だけではなく投擲や長距離の卒業生にも「メッセージ」を作っていました。他校では「当然」という部分かもしれませんがうちでは「短距離」だけで「卒部」を行っていました。特殊な環境なのかもしれません。

いつもはトレーニングルームで行うのですが今回は教室で行うことにしました。今の3年生、チームがどん底に近いところからスタートしています。この子達が1年生の時、卒業式の日に3年生が全員集まりませんでした。「拒否」されたのです。いや、これは通常ではありえないことです。実際に当時のblogには「少しだけ」書いています。4人の部員のうち3人しか集まらなかった。その現実を目の前で見ていた1年生が卒業式を迎える。昨年、これも話をしようと思っていたのですが「ある言葉」により私個人から話をする気持ちが薄らいでしまいました。選手も感じ取っていたはずです。「最後の場面」で「今までなんだったんだろう」と感じることがある。虚しいなという感覚でした。

今年は卒業生が話ができるのではないかと思っていました。辛い出来事を数多く乗り越えてきて、それでも「夢」に届かなかった。私としても本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。多くの「辛さ」を経験してきたからこそ「話せる言葉」があると感じました。今回、初めて保護者に参加してもらいました。ずいぶん遅くなっていたので「帰りたい」という気持ちもあったとは思いますが無理を言って残ってもらいました。理由は「感謝」の気持ちを卒業生自身に述べさせたかったからです。

卒業を迎えるその日。多くのことを考え思うはずです。それでも18歳はなかなか言葉にすることができない。だからこそ、この場を使って「保護者への感謝の言葉」を伝えさせました。「家に帰って話しなさい」というのではなく卒業式の日に部活の選手の前で、保護者の前で「感謝」を述べる。簡単なことではありません。結婚式の日に「今まで育ててくれてありがとう」ということはあるかもしれません。しかし、3年間部活ができたのは保護者の支えがあったからです。来る日も来る日も陸上中心の生活。その生活ができたのは他の誰でもない「保護者」がいてくれたからです。様々な場面で支えてくれたからです。そのことを「特別な日」に自分の言葉で伝える。それが大きな意味を持つと思いました。その姿を保護者に見てもらう、一緒に練習をしてきた同級生に見てもらう、これから同じ道を進んでいくであろう後輩に見てもらう。それができる学年だと判断しました。

もちろん、その場で突然私が指示を出しました。たぶん何も考えていなかったはずです。だからこそ素直な気持ちが言えるのではないかと思いました。飾らない言葉で話をする。家に帰ったら恥ずかしくでとても言えないかもしれません。照れくさいですし・・・。強制的にかもしれませんが「保護者への感謝」を述べる。大切なことです。

全員が涙を流しながら「保護者への感謝」を述べていました。これを聞いていて私も涙しました。この子たちが素直に「ありがとう」という姿。部活の時には見せれない「苦しさ」や「辛さ」を一番近くで見てきた保護者です。時には反抗的な態度を取っていたこともあるでしょう。それでも本人たちが「陸上競技をやりたい」と強く願っていたから陰で支えてくれた。見返りを求めない「愛情」です。これに勝るものはない。それを「感謝」の言葉を述べながら本人たちも実感できたのではないかと思います。

同時に私にも「感謝」の言葉をくれました。こちらは・・・。話を聞いていると本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。「先生を喜ばせてあげることができなかった・・・」「恩返しができなかった・・・」という言葉を聞いて自分自身の力不足を痛感しました。上手く言葉にできませんが・・・。「shokoで陸上競技ができて本当に良かった」と言ってもらえる。これだけで幸せなことだと思います。競技をやっているときにはそんなことは感じなかったはずです。辛いことの方が多かったでしょうから。それでも「うちで良かった」と言えるというのはこの子たちがどれだけの「想い」で競技に取り組んでいたのかがうかがえます。今だから冷静に文章を書けますが、聞いているときには全く駄目でした・・・。ドライな部分を持とうと思っていたのですがダメでした。

卒業生の言葉の端々に「後悔」も伺えました。それでも「このメンバーで一緒にできて良かった」という言葉が聞けたのでこの子たちの高校生活は充実したものであったのではないかと思います。「もっとやっておけばよかった」という言葉。このことを踏まえて私から少し話をしようと思っていました。

長くなったので記事を変えます。すみません。
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卒業式

2014-03-02 | 陸上競技
3月1日、卒業式。県内の公立高校はすべて同じ日に行われます。今年は土曜日の実施となります。来年は日曜日。「3月1日」にしている意味が何かあるのだとは思います。私は分かりませんが・・・。とにかく3年生、卒業生にとっては区切りをつける大切な日です。以前は服装が乱れたりする生徒もいましたがここ数年は問題なくできている気がします。「記念すべき日」です。多くの保護者も参列されます。式自体はかなり良いものだったと思います。

卒業式というのは本当に大きなものです。うちの学校は実業高校ということもあり半分の生徒は就職します。すぐに社会人として働くようになります。「大人」と「子供」の中間にいる感じの高校生がいきなり社会に出るというのは大きな抵抗があると思います。しかし、進学したからと言って「大人」になれるわけではない。時間の過ごし方だと思っています。中身のある時間を過ごせば高校生でも「大人」です。同じ高校生でも毎日ブラブラして、バイトをする。時間があればカラオケに行って「楽しく」過ごす。これも高校時代にしかできないかもしれませんが本当に「大人」になれるのか?与えられた「時間」をどのように過ごすか?ここにかかっているのではないかと思っています。

卒業式を迎えると無性にさみしくなります。巣立っていく卒業生の姿を見ていると「取り残される」という感覚が生まれます。これは私だけなのかもしれませんが、すごくさみしく感じます。上手く表現できないのですが・・・。その場に取り残されていく・・・。ここは大きな部分ですね。今の仕事を続けている限りはずっと感じ続けるのかもしれません。恋愛感情とは全く別の「喪失感」がある。ここを表現するには私の語彙力では難しいですね。

この日を迎えるまでに様々な人の「支え」があった。このことは間違いない事実です。子供たちがどれだけそのことを分かっているか?自分一人の力でここまで来たわけではありません。保護者の支え、友人の支えがあって迎えた「卒業式」です。卒業式に参列しながらそのようなことを感じていました。実際に自分自身が卒業式を迎えたときにどのような気持ちだったんだろうか?高校卒業は20年も前の話です。当時の感情を思い出すというのはすでに不可能に近い。薄らいでいきます。涙を流したでしょうか?それさえも思い出せない・・・。

卒業生のこれからの人生、楽しいこともあるでしょうがそれと同じかそれ以上に「辛い」こともあるでしょう。それを乗り越えていくだけの力を身に付けることができているか?これからが本当の人生のスタートです。しっかりと進んで行ってもらいたいものです。
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ふと思う

2014-03-02 | 陸上競技
卒業式の数日前、思うことがあり前キャプテンに連絡しました。私のどうでもいい質問に答えてもらうためです。「卒業」を迎える。このことと今考えていることが重なる部分があったからです。難しい表現ですが。別に私が卒業するわけでもなんでもないのですが「思うこと」の確認をしようと思って・・・。

内容は「3年生の県総体の前に私が倒れたらどうだったか?」というもの。高校生にこのようなバカな質問をするというのはどうなのか?「たとえが不謹慎だ」と言われたらそうかもしれません。大事な大会の直前に指導者が倒れる。自分が「予期しない出来事」が目の前に現れたらどう感じるのか?というところが聞きたかったのです。その質問をすると「1年前にも同じことを日誌に書いてましたよ」という返事(笑)。学習能力がない・・・。「そんなことを書いていたか?」と聞くと「先輩の最後の練習が終わった次の日に書いてあった」とのこと。

完全に記憶から消えていました。良いことではありません。blogで確認。こういう時にblogを継続的に書いていると「なぜそのようなことを感じたのか?」という部分を思い出すことができます。本当に自分のために書いているという内容なのかもしれませんね。なぜそのような書き方をしたのか?見てみると「卒業する前の最後の練習」の日、前キャプテンは練習の途中で倒れています。練習ができない状態になったのです。

通常であれば何も問題のない練習内容だったはず。何故その日に限って練習ができなかったのか?前キャプテンにとってその日は「特別な日」だったのです。これまで一緒にやってきた3年生がうちで練習する最後の日。その日のために練習日程を変更してほしいと申し出るくらいでした。先輩と最後に一緒に走りたい。この日は大切な大切な日なんだという「想い」が強く存在したのだと思います。そのため「走らないといけない」という気持ちが前面に出続けて途中リタイア。結局「一緒に走る」ということができなくなってしまったのです。

そこを踏まえて「県総体の前に私が倒れたらどうするのか?」という質問をしたのだと思います。今回とは少しスタンスが違う意味での質問なのですが。聞かれている方は「同じ」に見えます。当然です。「文字の羅列」ですからその中のニュアンスは絶対に分かりません。前回は「予期しないことが起きたらどうするのか?」という質問。「特別な日」だと決めて準備をする。そのため「感情移入」しすぎてしまう可能性がある。「卒業式」や「結婚式」なら良いと思います。これは「突然やってくる出来事」ではありません。準備が必要。

しかし、「突然やってきた予期しない出来事」が目の前に起きた時、何をすべきか考えることができるか?今回の「倒れたらどうだったか?」という質問に「冷静さを失ってしまうので競技に集中できないと思う」との返答。高校生ですから当然です。これまで頼っていた顧問が直前にいなくなったら?アドバイスを受けることもできない。自分たちでどうすればよいのか分からなくなる。「県総体は特別な日」として位置付ける。だからこそ準備をしていくのですがその準備していたことを忘れてしまうくらい動揺する出来事が本当に起きる可能性は0ではないのです。

この時にblogには「当たり前のことを当たり前にやる」と書いていました。どんなことが起きても「やるべきことを常日頃からやり続ける」というのが大切。練習に「特別な日」はないのです。「冬期練習の最後」という日だけ頑張る。少なからずあることだと思います。しかし、長い目で見ると「365日のうちの1日」でしかない。区切りだとは思いますが「特別だから頑張る」というのは必要ないと思っています。「毎日が当たり前の連続」でしかない。「特別な日」だから感情移入するというのであれば大切な時に何か起きたら対応ができない可能性が高いと思っています。だから「県総体前に私が倒れたらどうするのか?」という問いになる。

「大切な日に予期せぬ出来事が起きたらどうするのか?」という抽象的な問いよりも「自分に置き換えて考えられる」と思ったのでそういう形の質問にしました。

今までの自分を振り返ってみると「この練習を乗り越えないとインターハイには行けない」と言い続けていた時期があります。師匠からは「入れ込みすぎ」と言われ続けていましたが自分では「冷静だ」と思っていたのでその「非日常的な行動」になっていることに気づかない。「特別な練習」をしていたのだと思います。もちろん、「どんなことがあってもやらなければいけない日」というのはあります。しかし、それをこちらから「特別だから頑張れ」と言い続けることで選手自身も「この日は特別だ」と過剰に意識する。時として「感情移入」し過ぎてしまい、通常の頑張りよりももっと頑張ろうとする。それにより「無理な力」がかかり故障する。悪循環を生むのです。それすら気づけなかった私自身の責任でマイルでのインターハイを逃してしまったのだと思います。

前キャプテンに質問してよかったなと思いました。卒業式という「特別な日」を迎える前に自分自身の頭の中の整理ができたからです。こういう意味は本当に感謝しなければいけないと思います。選手から教わることが数えきれないくらいあります。

ふと思う。それが実際はすごく大切なことだったりする。そう感じました。
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