3月11日の夜、卒業生からメールがありました。
「突然すみません。yahoo!で「3.11」と検索するだけで被災地に10円寄付されます!私もしました。やってみてください!!」という内容。あまりにも唐突過ぎて「なりすましメール」かと思いました(笑)。この文面だけ見ると典型的な「スパムメール」です。相手が知り合いだからなりすまして送ってくることはないと思うのですが、文面が文面なので怪しくてすぐに返信。「なりすまし??(笑)」と。さらに返信が来て「今日で三年。実際に被災地に行ってボランティアするのは難しいので少しのことで協力できるならと思って」とのことでした。
実際に検索してみるとyahoo!が「3.11 検索は応援になる」というプロジェクトを行っていました。これは3月11日限定なので今検索しても貢献できないのですが、「3.11」と検索するとヤフーが会社として1検索につき10円寄付するという企画でした。「上限500万円」というものなのであっという間に到達したのではないかと思いますが。寄付に上限を設けるなと否定的にとらえる人もいるのかもしれませんが、「検索する」ということは「3.11」に対して何かしら「想い」を持つことになります。金額云々ではなくやはり「風化させない」「忘れない」という気持ちが必要なのだと思います。素晴らしい企画だと思いました。
同時に卒業生、メールの文章は極めて「怪しい」モノでした((笑))が、その「気持ち」を嬉しく感じました。実際に被災地に行くことはできない。が、自分に何ができるのかを考える。それで少しでもと思って行動する。すごく大切なことだと思いますね。
先日購入した「明日死ぬかもよ?」に岩手の山田町のことが書いてありました。著者が友人と震災後に山田町へ行く。すると漁師の方が出迎えてくださり、「食べなさい」と言って海産物を笑いながら食べさせてくれた。多くの方が仕事や家族を失っている。その中で「笑顔」が絶えない雰囲気があったそうです。立ち直って「笑顔」になっているのではない。実際は辛いのです。それでも「悲しんで下を向いていても何も始まらない。いまは前を向くしかない。ウソでも笑える人は前に進める。」と言われたそうです。その方は震災で実の兄を失い、一瞬にして家と仕事と家族を失った。それでも「前を向くしかない」と言葉にする。「死」や「絶望」を感じたことがあるからこそ発せられる言葉なのだと思います。
「自分のことで悩めるって幸せよ」
「つまらないものを持っているからいつまでもつまらなかったのだとわかった。
つまらないことをしているからつまらないんだと分かった」
「全てを失って、なにもいらないことがわかった」
「元気だからがんばるんじゃない。がんばるからこそ元気が出るんだ!」
「明日死ぬかもよ?人生最後の日に笑って死ねる27の質問より」
実際に被災地で生活する人たちはその現実に悲しんでばかりはいられないのです。我々にとっては「少し離れた現実」でしかない。これは否定できない事実です。実際に被災したわけではないので何を言っても「自分の現実ではない」という事実があります。しかし、そこで生活する人にとっては避けることはできない現実。だからこそ「自分の生き方」について考えることができるのです。
その続きにエピソードも書いてありました。飲み会の席である人が誕生日なのでお酒をプレゼントされた。そのお酒のボトルがかわいくて、封を切るのを渋っていた。すると山田町の方が笑いながら「封開ければ?飲まないと津波で持っていかれるよ」と言われたそうです。大切なのは「今」なのです。全てを先送りにしていたら大切なものを失ってしまうかもしれない。その感覚が「死」を意識したから分かってくる。
我々は何ができるか?被災地のためにボランティアをしたい。そう思う気持ちがすごく大切。何ができるか分かりませんがそう「思う」ことで日ごろの意識の中にそういう感覚が生まれる。「自分たちにできることをする」のです。特別なことではなく「日常を一生懸命に生きる」ことが大切。そう思っています。
卒業生が「ボランティア」をしたいと思った。それが大切。良い子です。
「突然すみません。yahoo!で「3.11」と検索するだけで被災地に10円寄付されます!私もしました。やってみてください!!」という内容。あまりにも唐突過ぎて「なりすましメール」かと思いました(笑)。この文面だけ見ると典型的な「スパムメール」です。相手が知り合いだからなりすまして送ってくることはないと思うのですが、文面が文面なので怪しくてすぐに返信。「なりすまし??(笑)」と。さらに返信が来て「今日で三年。実際に被災地に行ってボランティアするのは難しいので少しのことで協力できるならと思って」とのことでした。
実際に検索してみるとyahoo!が「3.11 検索は応援になる」というプロジェクトを行っていました。これは3月11日限定なので今検索しても貢献できないのですが、「3.11」と検索するとヤフーが会社として1検索につき10円寄付するという企画でした。「上限500万円」というものなのであっという間に到達したのではないかと思いますが。寄付に上限を設けるなと否定的にとらえる人もいるのかもしれませんが、「検索する」ということは「3.11」に対して何かしら「想い」を持つことになります。金額云々ではなくやはり「風化させない」「忘れない」という気持ちが必要なのだと思います。素晴らしい企画だと思いました。
同時に卒業生、メールの文章は極めて「怪しい」モノでした((笑))が、その「気持ち」を嬉しく感じました。実際に被災地に行くことはできない。が、自分に何ができるのかを考える。それで少しでもと思って行動する。すごく大切なことだと思いますね。
先日購入した「明日死ぬかもよ?」に岩手の山田町のことが書いてありました。著者が友人と震災後に山田町へ行く。すると漁師の方が出迎えてくださり、「食べなさい」と言って海産物を笑いながら食べさせてくれた。多くの方が仕事や家族を失っている。その中で「笑顔」が絶えない雰囲気があったそうです。立ち直って「笑顔」になっているのではない。実際は辛いのです。それでも「悲しんで下を向いていても何も始まらない。いまは前を向くしかない。ウソでも笑える人は前に進める。」と言われたそうです。その方は震災で実の兄を失い、一瞬にして家と仕事と家族を失った。それでも「前を向くしかない」と言葉にする。「死」や「絶望」を感じたことがあるからこそ発せられる言葉なのだと思います。
「自分のことで悩めるって幸せよ」
「つまらないものを持っているからいつまでもつまらなかったのだとわかった。
つまらないことをしているからつまらないんだと分かった」
「全てを失って、なにもいらないことがわかった」
「元気だからがんばるんじゃない。がんばるからこそ元気が出るんだ!」
「明日死ぬかもよ?人生最後の日に笑って死ねる27の質問より」
実際に被災地で生活する人たちはその現実に悲しんでばかりはいられないのです。我々にとっては「少し離れた現実」でしかない。これは否定できない事実です。実際に被災したわけではないので何を言っても「自分の現実ではない」という事実があります。しかし、そこで生活する人にとっては避けることはできない現実。だからこそ「自分の生き方」について考えることができるのです。
その続きにエピソードも書いてありました。飲み会の席である人が誕生日なのでお酒をプレゼントされた。そのお酒のボトルがかわいくて、封を切るのを渋っていた。すると山田町の方が笑いながら「封開ければ?飲まないと津波で持っていかれるよ」と言われたそうです。大切なのは「今」なのです。全てを先送りにしていたら大切なものを失ってしまうかもしれない。その感覚が「死」を意識したから分かってくる。
我々は何ができるか?被災地のためにボランティアをしたい。そう思う気持ちがすごく大切。何ができるか分かりませんがそう「思う」ことで日ごろの意識の中にそういう感覚が生まれる。「自分たちにできることをする」のです。特別なことではなく「日常を一生懸命に生きる」ことが大切。そう思っています。
卒業生が「ボランティア」をしたいと思った。それが大切。良い子です。