「比較する」ことで見えることもある。基本的に「比較」してもそれほど意味はないかなと思っています。が、比べてみることで見えてくる者もあるという事実も間違いないことです。このバランスの部分が難しいのだと思いますが・・・。
「練習」に関して色々と考えることがあります。「管理」して全てをコントロールしておこなう練習。「放任」して自分たちで勝手にやる練習。これがそれぞれの「極」に存在する。「色」で例えるなら「白」と「黒」という感じでしょうか。この2つの「間」に多くのチームが存在する。理想の部分がどこにあるのかは分かりません。「管理」に限りなく近い練習が良いという人もいるでしょうし、指導者が不在のため「放任」で練習を行うところもいる。そのどちらかが「正義」でどちらかが「悪」というものでもない。表現が難しいですかね??
色々と話を聞くとマスターズや社会人選手は基本「放任」です。これは悪い意味ではなく「自分でやりたいからやる」という感覚での「放任」。誰かにやらされるわけでもない。自分の意志でやり続ける。「管理」の中で競技に向かう社会人選手はほとんどいないと思います。実業団でチームに属して給与面が「競技」において保障される選手とは違います。自分がやりたいからやるのであってやりたくないと思えば辞めることも自由。
高校においてはこの「振れ幅」が大きい。うちの選手もまだ「必死さ」が不足しているのではないかと常々感じています。が、他校と比べると・・・ですね。このような書き方をすると「上から目線で」と言われるかもしれませんがちょっと「次元が異なる」という気がしています。ここ最近は「引きこもり」的に他校との練習をほとんどしていません。練習もすべて学内。他校と交流をすることもない。そのため「自分たちの中の物差し」で判断をするようになります。当然の話ですが。私自身も「物足りないな」と感じながら見ている。が、実際に他校と比べると・・・。「競技」という意味で全く違うレベルだなと感じることがありました。細かく書くのは失礼に値するかもしれないのですが・・・。
「それなりに練習をする」という部活動が多い。実際のところ「放任」に近い形で練習をしている学校というのは多いのではないかと感じています。専門的な技術指導を伴う「部活動」というのはそれほど多く存在しない。強豪校であっても「強い選手集まる」だけというところも見受けられます。そういう側面から見るとうちの選手は「すごくやっている」部類に属します。練習中に求めている水準が間違いなく高い。だからこそ「こんなにやっているのに・・・」という不平不満も生じるかもしれません。
あるチームの練習を見て「どう思うか?」とうちの選手に聞くと「ゆるいですね」との返答。失礼かもしれませんが私もそう感じていました。練習道具の片づけができていない、自分たちが飲んだ飲み物の処分ができない。こういう状態で社会に出るとどうなるのか?競技面の指導ももちろん大切だと思います。しかし、本当はそれ以外の取り組みの部分がしっかりとしなければいけないのです。ここができなければどれだけ練習を一生懸命にやったとしても効果は出ません。「練習中だけ」しっかりやってもそれ以外の部分が「適当」であればそこに「価値」は存在しない。そう考えています。
私自身が選手の求めることの水準が高くなっているのは間違いない事実です。そこに「ギャップ」が生じる。ここに「葛藤」の大きな原因があると感じます。選手は自分たちの物差しの中で「一生懸命にやっている」のです。それを別の尺度の物差しをあてると「不足している」と感じる。逆に「放任」という「自由度の大きい」物差しをあてると「高い水準でやっている」と感じる。うちの練習は「管理」ではないと思っています。「管理」に近いのかもしれませんが「自分達のの意思でやる」ということに重きを置きたいと思っています。難しい側面なのですが。
比較することでうちの選手の成長を感じることができる。比べる対象がどこにあるのか?という部分が大きいと思いますが。「やっていないところよりもやっている」という部分に満足することなく取り組んでいけたらと思っています。少しだけ「前向き」になれるかもしれません。
「練習」に関して色々と考えることがあります。「管理」して全てをコントロールしておこなう練習。「放任」して自分たちで勝手にやる練習。これがそれぞれの「極」に存在する。「色」で例えるなら「白」と「黒」という感じでしょうか。この2つの「間」に多くのチームが存在する。理想の部分がどこにあるのかは分かりません。「管理」に限りなく近い練習が良いという人もいるでしょうし、指導者が不在のため「放任」で練習を行うところもいる。そのどちらかが「正義」でどちらかが「悪」というものでもない。表現が難しいですかね??
色々と話を聞くとマスターズや社会人選手は基本「放任」です。これは悪い意味ではなく「自分でやりたいからやる」という感覚での「放任」。誰かにやらされるわけでもない。自分の意志でやり続ける。「管理」の中で競技に向かう社会人選手はほとんどいないと思います。実業団でチームに属して給与面が「競技」において保障される選手とは違います。自分がやりたいからやるのであってやりたくないと思えば辞めることも自由。
高校においてはこの「振れ幅」が大きい。うちの選手もまだ「必死さ」が不足しているのではないかと常々感じています。が、他校と比べると・・・ですね。このような書き方をすると「上から目線で」と言われるかもしれませんがちょっと「次元が異なる」という気がしています。ここ最近は「引きこもり」的に他校との練習をほとんどしていません。練習もすべて学内。他校と交流をすることもない。そのため「自分たちの中の物差し」で判断をするようになります。当然の話ですが。私自身も「物足りないな」と感じながら見ている。が、実際に他校と比べると・・・。「競技」という意味で全く違うレベルだなと感じることがありました。細かく書くのは失礼に値するかもしれないのですが・・・。
「それなりに練習をする」という部活動が多い。実際のところ「放任」に近い形で練習をしている学校というのは多いのではないかと感じています。専門的な技術指導を伴う「部活動」というのはそれほど多く存在しない。強豪校であっても「強い選手集まる」だけというところも見受けられます。そういう側面から見るとうちの選手は「すごくやっている」部類に属します。練習中に求めている水準が間違いなく高い。だからこそ「こんなにやっているのに・・・」という不平不満も生じるかもしれません。
あるチームの練習を見て「どう思うか?」とうちの選手に聞くと「ゆるいですね」との返答。失礼かもしれませんが私もそう感じていました。練習道具の片づけができていない、自分たちが飲んだ飲み物の処分ができない。こういう状態で社会に出るとどうなるのか?競技面の指導ももちろん大切だと思います。しかし、本当はそれ以外の取り組みの部分がしっかりとしなければいけないのです。ここができなければどれだけ練習を一生懸命にやったとしても効果は出ません。「練習中だけ」しっかりやってもそれ以外の部分が「適当」であればそこに「価値」は存在しない。そう考えています。
私自身が選手の求めることの水準が高くなっているのは間違いない事実です。そこに「ギャップ」が生じる。ここに「葛藤」の大きな原因があると感じます。選手は自分たちの物差しの中で「一生懸命にやっている」のです。それを別の尺度の物差しをあてると「不足している」と感じる。逆に「放任」という「自由度の大きい」物差しをあてると「高い水準でやっている」と感じる。うちの練習は「管理」ではないと思っています。「管理」に近いのかもしれませんが「自分達のの意思でやる」ということに重きを置きたいと思っています。難しい側面なのですが。
比較することでうちの選手の成長を感じることができる。比べる対象がどこにあるのか?という部分が大きいと思いますが。「やっていないところよりもやっている」という部分に満足することなく取り組んでいけたらと思っています。少しだけ「前向き」になれるかもしれません。