思う事を。本を1冊読み終えたので一先ずblogを(笑)このblogを誰がどのように読んでいるのか分かりません。高校生が読んでいるのか?ちょっと難しい内容になるかもです。
感覚を忘れないうちに記録しておこうと。この時間が必要なのかどうか。このは非常に難しいのですが。書いていることが競技指導にどう生きてくるのか。それは正直分かりません。色々やりすぎて迷走してしまうのではないかという危惧もありますが。とにかく止まりたくないなという感覚があります。
土曜日の夜、gt先生と食事に行った。グダグタ3時間くらい話していただろうか。これも貴重な時間。「変わってるな」と言われる人と一緒に時間を過ごすことで得るものもある。向こうも「こいつ変わってるな」と思って付き合っているのだから問題はない。ここではお互いに飾らず話をする。特別な話をしているとは思わない。何となく話をするので気が楽。変わっている者同士だからなのかもしれない。gt先生がどう思っているのかは聞いたことがないが(笑)
で、その時に「真逆の考え方」について話になった。金曜日から土曜日にかけて2.5冊の本を読んでいた。このままだと日曜日には借りた3冊全て読んでしまうのが明白だったので別の所から本を1冊借りた。普段自分で購入して読むことがない本を読みたいと思っているので「堀江貴文」の本を選択して読むことに。時代の寵児とマスコミが飛びつき一時代を築いた。周りから見れば「何をやっているんだ?」と行動に疑問を持たれることも多々ある。実はそこは私自身と重なる部分があるのではないかと。大袈裟(笑)。
普段は経営者の考え方について読む。松下幸之助であったり稲盛和夫だったり。これはある意味「王道」なのだと思う。「人として正しく生きる」事を考え、「儲けるため」に働くのではない。自分が働くことで他の人の支えになるという感覚が根底にある。「徳」や「仁」によっての統治をする「論語」に大きく影響を受けていると思う。私自身の考え方もこの辺りに心酔していると思う。
だから「面白くない」という部分がある。自分で言うなと思われるかもしれないが。blogなどに書くことは「広く受け入れられる内容」になるのかもしれない。別に誰かにアピールするつもりもない。ホリエモンなどはそこは全く気にしていない(笑)すごい感覚だなと。「殻の中」で生きている自分の感覚とは違う。考えさせられる。
本の中に「効率的に動く」や「次から次へとやる」という内容があった。まさに。「多動」という言葉が使ってあった。それは「周りにどう思われるか」ではなく「自分がどうするか」という視点から見ている。心理学の部分の点から考えてもこれは適しているなと思う。どうしても自分自身の評価に影響すると思うと「他者の目」が気になる。避けては通れない部分なのかもしれない。
判断基準は「楽しい」かどうか。思った事を口にすると「炎上」する。それが今の時代。とくに注目される存在になればそれは飛躍的に大きくなる。Twitterで呟けばそれがニュースの記事になる。で、「その考え方はおかしい」と批判される。「寿司屋で時間をかけて修行することは無駄」と呟いた事で大バッシング。叩く人の大半は「これまでの価値観」の中で生きている。自分達が少しずつ積み上げてやってきた「下積み時代」を否定されている感覚になるのだろう。
これまでの日本の中の「価値観」という「殻」の中から見る。その「殻の中」で考えているというこれまでの経験からの判断が大半になる。それ以外の「価値観」は受け入れられない。だからそこに向けて叩く。いや、全員が寿司屋ではないはず。それは「時間をかけて積み上げる」というという部分、自分がやってきた事を認めてもらいたい、それを否定することは否定される感覚になる。
今の時代は「必要な情報」は時間をかけなくても手に入る。ノウハウを身につけるのに必要な時間だけ使えばいい。効率的に動ける方が良いと思う。これは以前からずっとblogにも書いている。無駄な事に時間を使うよりは「選択と集中」をする方が生産性が高まる。同じ時間を使うのであれば「無駄な時間を減らす」というのは必須ではないか。限られた時間をどう使うか。
練習に置き換える。ひたすら練習をする。時間をかけて丁寧に動きを身につけるための努力をする。見た目の動きはすごく良くなる。それが実際のスピードにどれだけ結びつくのかが大切であって「時間をかけて努力をした」ということが評価されるのではない。実際、コツコツやり続けると楽しくない(笑)。練習とはそんなものだと言い切ればそうなのかもしれない。私がこの世で一番嫌いな「頑張る事を頑張る」というのがここに当てはまるのではないか。徒労感の割には成果が少ない。それでも「練習をひたすらやった」という身体の疲労感と充実感はあるだろう。が、本当の狙いはそこにはない。いつのまにか目的がすり替わっている。
一部分だけを切り取って批判するというのは簡単なんだと思う。その言葉の裏側にその人の考え方が存在している。だからこそこうやって「考えに触れる」というのは大きい。発言の意味。そこを理解する。
気持ちが軽くなる(笑)。「こうでなければいけない」という「殻」がある。枠というか型というか。世の中はその「基準」に収まらなければ許せなくなる。今でもその「基準」の中にいる事を求められる。が、それが上手くできない。万人に受け入れられる人間にはこれからもなれないだろうなと思う。今回の本を読んで「まーそれでもいいんじゃない?」と言われている気がした。
聖人君子になる日は来ない。改めてそう感じた。それでも良いと思う。「殻」の中で生きていたらきっと楽だと思う。無駄だなと思いながらも周りに「調和」して時間を過ごす。それにより多くの人に受け入れられるようになるかもしれない。が、自分らしく生きるということとはかけ離れてしまう気がする。
色々な価値観に触れたい。改めてそう思う。しばらくそういう時間を過ごしていけたらなと思っている。
感覚を忘れないうちに記録しておこうと。この時間が必要なのかどうか。このは非常に難しいのですが。書いていることが競技指導にどう生きてくるのか。それは正直分かりません。色々やりすぎて迷走してしまうのではないかという危惧もありますが。とにかく止まりたくないなという感覚があります。
土曜日の夜、gt先生と食事に行った。グダグタ3時間くらい話していただろうか。これも貴重な時間。「変わってるな」と言われる人と一緒に時間を過ごすことで得るものもある。向こうも「こいつ変わってるな」と思って付き合っているのだから問題はない。ここではお互いに飾らず話をする。特別な話をしているとは思わない。何となく話をするので気が楽。変わっている者同士だからなのかもしれない。gt先生がどう思っているのかは聞いたことがないが(笑)
で、その時に「真逆の考え方」について話になった。金曜日から土曜日にかけて2.5冊の本を読んでいた。このままだと日曜日には借りた3冊全て読んでしまうのが明白だったので別の所から本を1冊借りた。普段自分で購入して読むことがない本を読みたいと思っているので「堀江貴文」の本を選択して読むことに。時代の寵児とマスコミが飛びつき一時代を築いた。周りから見れば「何をやっているんだ?」と行動に疑問を持たれることも多々ある。実はそこは私自身と重なる部分があるのではないかと。大袈裟(笑)。
普段は経営者の考え方について読む。松下幸之助であったり稲盛和夫だったり。これはある意味「王道」なのだと思う。「人として正しく生きる」事を考え、「儲けるため」に働くのではない。自分が働くことで他の人の支えになるという感覚が根底にある。「徳」や「仁」によっての統治をする「論語」に大きく影響を受けていると思う。私自身の考え方もこの辺りに心酔していると思う。
だから「面白くない」という部分がある。自分で言うなと思われるかもしれないが。blogなどに書くことは「広く受け入れられる内容」になるのかもしれない。別に誰かにアピールするつもりもない。ホリエモンなどはそこは全く気にしていない(笑)すごい感覚だなと。「殻の中」で生きている自分の感覚とは違う。考えさせられる。
本の中に「効率的に動く」や「次から次へとやる」という内容があった。まさに。「多動」という言葉が使ってあった。それは「周りにどう思われるか」ではなく「自分がどうするか」という視点から見ている。心理学の部分の点から考えてもこれは適しているなと思う。どうしても自分自身の評価に影響すると思うと「他者の目」が気になる。避けては通れない部分なのかもしれない。
判断基準は「楽しい」かどうか。思った事を口にすると「炎上」する。それが今の時代。とくに注目される存在になればそれは飛躍的に大きくなる。Twitterで呟けばそれがニュースの記事になる。で、「その考え方はおかしい」と批判される。「寿司屋で時間をかけて修行することは無駄」と呟いた事で大バッシング。叩く人の大半は「これまでの価値観」の中で生きている。自分達が少しずつ積み上げてやってきた「下積み時代」を否定されている感覚になるのだろう。
これまでの日本の中の「価値観」という「殻」の中から見る。その「殻の中」で考えているというこれまでの経験からの判断が大半になる。それ以外の「価値観」は受け入れられない。だからそこに向けて叩く。いや、全員が寿司屋ではないはず。それは「時間をかけて積み上げる」というという部分、自分がやってきた事を認めてもらいたい、それを否定することは否定される感覚になる。
今の時代は「必要な情報」は時間をかけなくても手に入る。ノウハウを身につけるのに必要な時間だけ使えばいい。効率的に動ける方が良いと思う。これは以前からずっとblogにも書いている。無駄な事に時間を使うよりは「選択と集中」をする方が生産性が高まる。同じ時間を使うのであれば「無駄な時間を減らす」というのは必須ではないか。限られた時間をどう使うか。
練習に置き換える。ひたすら練習をする。時間をかけて丁寧に動きを身につけるための努力をする。見た目の動きはすごく良くなる。それが実際のスピードにどれだけ結びつくのかが大切であって「時間をかけて努力をした」ということが評価されるのではない。実際、コツコツやり続けると楽しくない(笑)。練習とはそんなものだと言い切ればそうなのかもしれない。私がこの世で一番嫌いな「頑張る事を頑張る」というのがここに当てはまるのではないか。徒労感の割には成果が少ない。それでも「練習をひたすらやった」という身体の疲労感と充実感はあるだろう。が、本当の狙いはそこにはない。いつのまにか目的がすり替わっている。
一部分だけを切り取って批判するというのは簡単なんだと思う。その言葉の裏側にその人の考え方が存在している。だからこそこうやって「考えに触れる」というのは大きい。発言の意味。そこを理解する。
気持ちが軽くなる(笑)。「こうでなければいけない」という「殻」がある。枠というか型というか。世の中はその「基準」に収まらなければ許せなくなる。今でもその「基準」の中にいる事を求められる。が、それが上手くできない。万人に受け入れられる人間にはこれからもなれないだろうなと思う。今回の本を読んで「まーそれでもいいんじゃない?」と言われている気がした。
聖人君子になる日は来ない。改めてそう感じた。それでも良いと思う。「殻」の中で生きていたらきっと楽だと思う。無駄だなと思いながらも周りに「調和」して時間を過ごす。それにより多くの人に受け入れられるようになるかもしれない。が、自分らしく生きるということとはかけ離れてしまう気がする。
色々な価値観に触れたい。改めてそう思う。しばらくそういう時間を過ごしていけたらなと思っている。