kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

殻の中から出る

2018-12-02 | 陸上競技
思う事を。本を1冊読み終えたので一先ずblogを(笑)このblogを誰がどのように読んでいるのか分かりません。高校生が読んでいるのか?ちょっと難しい内容になるかもです。

感覚を忘れないうちに記録しておこうと。この時間が必要なのかどうか。このは非常に難しいのですが。書いていることが競技指導にどう生きてくるのか。それは正直分かりません。色々やりすぎて迷走してしまうのではないかという危惧もありますが。とにかく止まりたくないなという感覚があります。

土曜日の夜、gt先生と食事に行った。グダグタ3時間くらい話していただろうか。これも貴重な時間。「変わってるな」と言われる人と一緒に時間を過ごすことで得るものもある。向こうも「こいつ変わってるな」と思って付き合っているのだから問題はない。ここではお互いに飾らず話をする。特別な話をしているとは思わない。何となく話をするので気が楽。変わっている者同士だからなのかもしれない。gt先生がどう思っているのかは聞いたことがないが(笑)

で、その時に「真逆の考え方」について話になった。金曜日から土曜日にかけて2.5冊の本を読んでいた。このままだと日曜日には借りた3冊全て読んでしまうのが明白だったので別の所から本を1冊借りた。普段自分で購入して読むことがない本を読みたいと思っているので「堀江貴文」の本を選択して読むことに。時代の寵児とマスコミが飛びつき一時代を築いた。周りから見れば「何をやっているんだ?」と行動に疑問を持たれることも多々ある。実はそこは私自身と重なる部分があるのではないかと。大袈裟(笑)。

普段は経営者の考え方について読む。松下幸之助であったり稲盛和夫だったり。これはある意味「王道」なのだと思う。「人として正しく生きる」事を考え、「儲けるため」に働くのではない。自分が働くことで他の人の支えになるという感覚が根底にある。「徳」や「仁」によっての統治をする「論語」に大きく影響を受けていると思う。私自身の考え方もこの辺りに心酔していると思う。

だから「面白くない」という部分がある。自分で言うなと思われるかもしれないが。blogなどに書くことは「広く受け入れられる内容」になるのかもしれない。別に誰かにアピールするつもりもない。ホリエモンなどはそこは全く気にしていない(笑)すごい感覚だなと。「殻の中」で生きている自分の感覚とは違う。考えさせられる。

本の中に「効率的に動く」や「次から次へとやる」という内容があった。まさに。「多動」という言葉が使ってあった。それは「周りにどう思われるか」ではなく「自分がどうするか」という視点から見ている。心理学の部分の点から考えてもこれは適しているなと思う。どうしても自分自身の評価に影響すると思うと「他者の目」が気になる。避けては通れない部分なのかもしれない。

判断基準は「楽しい」かどうか。思った事を口にすると「炎上」する。それが今の時代。とくに注目される存在になればそれは飛躍的に大きくなる。Twitterで呟けばそれがニュースの記事になる。で、「その考え方はおかしい」と批判される。「寿司屋で時間をかけて修行することは無駄」と呟いた事で大バッシング。叩く人の大半は「これまでの価値観」の中で生きている。自分達が少しずつ積み上げてやってきた「下積み時代」を否定されている感覚になるのだろう。

これまでの日本の中の「価値観」という「殻」の中から見る。その「殻の中」で考えているというこれまでの経験からの判断が大半になる。それ以外の「価値観」は受け入れられない。だからそこに向けて叩く。いや、全員が寿司屋ではないはず。それは「時間をかけて積み上げる」というという部分、自分がやってきた事を認めてもらいたい、それを否定することは否定される感覚になる。

今の時代は「必要な情報」は時間をかけなくても手に入る。ノウハウを身につけるのに必要な時間だけ使えばいい。効率的に動ける方が良いと思う。これは以前からずっとblogにも書いている。無駄な事に時間を使うよりは「選択と集中」をする方が生産性が高まる。同じ時間を使うのであれば「無駄な時間を減らす」というのは必須ではないか。限られた時間をどう使うか。

練習に置き換える。ひたすら練習をする。時間をかけて丁寧に動きを身につけるための努力をする。見た目の動きはすごく良くなる。それが実際のスピードにどれだけ結びつくのかが大切であって「時間をかけて努力をした」ということが評価されるのではない。実際、コツコツやり続けると楽しくない(笑)。練習とはそんなものだと言い切ればそうなのかもしれない。私がこの世で一番嫌いな「頑張る事を頑張る」というのがここに当てはまるのではないか。徒労感の割には成果が少ない。それでも「練習をひたすらやった」という身体の疲労感と充実感はあるだろう。が、本当の狙いはそこにはない。いつのまにか目的がすり替わっている。

一部分だけを切り取って批判するというのは簡単なんだと思う。その言葉の裏側にその人の考え方が存在している。だからこそこうやって「考えに触れる」というのは大きい。発言の意味。そこを理解する。

気持ちが軽くなる(笑)。「こうでなければいけない」という「殻」がある。枠というか型というか。世の中はその「基準」に収まらなければ許せなくなる。今でもその「基準」の中にいる事を求められる。が、それが上手くできない。万人に受け入れられる人間にはこれからもなれないだろうなと思う。今回の本を読んで「まーそれでもいいんじゃない?」と言われている気がした。

聖人君子になる日は来ない。改めてそう感じた。それでも良いと思う。「殻」の中で生きていたらきっと楽だと思う。無駄だなと思いながらも周りに「調和」して時間を過ごす。それにより多くの人に受け入れられるようになるかもしれない。が、自分らしく生きるということとはかけ離れてしまう気がする。

色々な価値観に触れたい。改めてそう思う。しばらくそういう時間を過ごしていけたらなと思っている。
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今を見つめる

2018-12-02 | 陸上競技
思うことを。

様々な人と関わる。色々な本を読む。この中で何を感じるか。同じモノを見たとしても感じることは人それぞれぞれだと思う。私の感じた事が「正しい」と断定できるほど「絶対的なモノ」はない。人からのアドバイスやヒントを「聞く耳持たない」という人もいると思う。私に「徳」があるとは思わない。が、あれこれ指摘してもらえるというのは「人徳」だと感じている。指摘されて毎回凹むのだが、それがなければ今の自分の生活というのは考えられない。

こうやってblog書いたり自分自身について考える。本を読むことも自分に対する投資だと思っている。その中で「今」を見つめる必要があるなと改めて感じた。心理学分野やコーチングの中でもこの「今」についての記述はかなり出てくる。ここは生きていく上で外せない考え方なのだろうなと思う。

スラムダンクでの山王戦。試合中に背中を痛めた桜木花道が試合に出るかどうかの瀬戸際で、「オヤジの栄光時代はいつだよ?」「オレは今なんだよ」と言ってコートに向かう姿かある。かなり印象的な場面。先のことなんて考えていない。未来のことをあれこれ考えても仕方ない。だから目の前の「今」のことだけを考える。

高校生になって活躍できなくなる選手もいる。その際「中学時代は〜」と「過去の話」ばかりする選手。あまりにも寂しすぎる。自分が活躍できていた中学時代の話をすることで自分自身の評価を高めたり、自分を保とうという部分があるのかもしれない。それも「今」に目が向いていない。以前の活躍は「今」の自分には関係ない。「今」自分がやるべきことをやっている結果なのか。そこは高校生には難しいかもしれない。

指導をするにあたって。「過去の成功体験」はやはり大きい。「こういう練習をしていたら選手が強くなった」という感覚が自分の中に存在し続ける。成功した時の選手はこういう関わり方をしたら上手くいった。その成功体験にこだわりすぎてしまうと上手くいかない時に「選手がやらないから」という責任転嫁が生まれてしまう。本当の原因は全く違うところにある可能性もある。

過去に上手くいったからといって「今」も上手くいくとは限らない。常にマイナーチェンジが必要になる。過去の成功体験はいつまでも自分の中で美しく残る。それが本当に正しいのかどうかは関係なくなってしまう。成功体験か少なければ少ないほどやはりそこに執着してしまう。高校生か「中学時代の栄光」にすがって生きるというのは辛い。「今」に目を向けるとこは自分自身にとってしんどいことなのかとしれないが、やはり避けていたらいけない。去年の結果に対していつまでもすがっていたら先には進まなくなる。

「今」何をするか。自分が現役時代に競技力があったから指導ができるわけではない。常に「今」の自分の力を把握しなければいけない。指導するためには学ばなければいけない。「見てきた選手がこの指導で上手くいった」というのは生きてこない事が多い。体型も違う。性格も違う。動きも違う。全てが違うのに「型」にはめて指導するのはやはり違ってくる。

指導していて上手くいかない事が出てくる。その時に何をするか。多くの指導経験から「引き出し」が増えてくるというのは確か。選手に応じて指導方法を変えるというのは必要。一つのパターンの指導しかなければ目の前にいる選手への対応は困難になる。「今」その時に対応できる力を身につけておかなければいけない。

そこに対するヒントは「グランド」だけには存在しない。ありとあらゆるところにある気がしている。「今」について考える時に多くのことが影響してくる。そのことを強く感じるようになった。だから自分を磨く必要があると感じている。誰かに認められるというのではなくそれが選手に還元される可能性がある。

これまでやってきたことにあぐらをかいて左団扇で余裕を示しているほど、私自身は優れていない。私らしく生きることを考えた時にやはり「がむしゃらに学ぶこと」が必要になる。いつのまにか「クール」な自分でありたいという願いが強くなりすぎている。それは私ではない気がする。カッコ悪くてもいい。「今」できることをしっかりとやりたい。「過去」も「未来」も関係ない。「今」に目を向けて進みたい。

相変わらずまとまらないですが。こんな記事読んで面白いと感じてもらえるのか?!自分の思う事を書き続けたいなとは思います。
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