思うことを。
可能な限り本を読むようにしている。余計なことを考える時間をなくしたというのもある。競技に関してのみ考え続けたいという「想い」が強い。ほかに趣味がないのでそこだけに特化してしまう部分がある。だからこそ「本を読む」ことでいろいろな視点を持てたらなと思う。人によっては「本は読まない」という人もいる。考え方は様々。何が正しくて何が間違っているのかはわからない。
読んでいる本に今の自分の考え方をフォローするような内容があった。本を読むということになるとどうしても「自分の好み」の本を読んでしまう。だからこそ「真逆の考え方」で考えている本を読んでみるのがいいと。まさに(笑)。gt先生が喜びそうな話ですが私は自分でも「偏っているな」と思う部分がある。興味がある部分とない部分の「境界線」がはっきりしている。興味がないことに関しては一切ない。だから話をしても面白くない人間だと思う。話の幅が狭い。趣味があるわけでもない。
だからこそいろいろな知識を得る必要がある。その方法が本を読むというのはこれまた偏っていると思うのだが(笑)。
本題とは少しずれているのだが。今回書きたいことは「考え方の変化」について。関連付けシートを書かせた。それにより選手それぞれの「考え方」が見えてくる。競技に対して本気で考えられる選手は「関連付けシート」の内容がかなり濃い。見て驚くくらいの感じになっていた。写メで記録に残した。その反面、「ざっくりと関連付けている」という選手もいる。関連付けの方法が分からないのかもしれない。
一つ言えることは「競技に対する想い」はこういう場面で顕著に出る。本気で協議に関して考えようとしている選手は「自分の課題」を明確に分かっている。その課題を改善するためには何をすればよいか。具体的にはどのような方法があるか。ここをしっかりと考えている。だから次に何をすればよいのかが分かる。競技力に比例するのかもしれない。「卵が先か鶏が先か」の議論になるのかもしれない。「自己分析」がきちんとできるから競技力が上がるのか、競技力が上がるから「自己分析」ができるのか。正解は分からない。
今きちんと書ける選手が入学当初からそのような考え方でやっていたのかどうか。それは間違いなく「NO」だと思う。そこまで考えて協議をやっている中学生というのはほぼいない。しかし、一緒にやっていく中で明らかに変化している。私が云々ではなく変化をしている選手がいる。変わらないというか本気になれない選手も出てくるとは思う。ここも「指導がいいから変化する」「指導が悪いから変化しない」という話だとは思わない。やっている本人が「競技に対して」どのように考えるかという部分が大きいのだと思っている。
こちらは「きっかけ」を与え続ける。同じような情報を提供するし、必要であれば個別な情報も提供する。それでも「変わる」選手と「変わらない」選手は出てくると思う。目の前に美味しい料理が準備してある。「お腹が空いている」と感じる人であればそれを「食べたい」と思う。「満腹だ」と感じている人であれば「食べる必要はない」と思う。それだけでも大きな差になる。また、目の前のある料理を「好き」か「嫌い」かでも随分違ってくる。好物であれば食べたいと思う。嫌いなものであれば食べたくないと思う。同じものを提供されてもそれに対する「想い」が異なれば反応も異なる。当然の話。
関連付けシートを見れば一目瞭然と言えるくらいの「差」がある。よく考えるようになったなと。だから強くなっていく。考えずに「与えられたもの」をやるだけであれば考える必要はないので自分の課題も改善方法も思い浮かばない。「股関節が硬い」という課題があれば「ストレッチをする」という単純なことしか思い浮かばなくなる。単純にそれだけではなくほかにも要因があり、別の形で改善する方法はある。そこまで考えて書き出せるようになるのかは大きい。
変化を生み出さなければいけないと思う。自分自身も考え方を変える。選手に求めるだけではなくそういう部分が必要になる。明らかに変わったなと思う選手が数人いる。取り組みの姿勢も変わってきている。「単純に練習を頑張っているな」という話ではなく「目的意識をもってやる」という部分が出てきている。細かい部分までできるようになれば大きなレベルアップにつながる。
変わらなければいけない。変わらないのであればそこに意味はなくなる。競技をするというのは「自己変容」だと思う。過去の自分から変わっていってプラスの方向に進んでいく。それができるかどうか。ずっと同じであることを求めるのであれば競技ではなくなる。0.01秒、1㎝でも記録を伸ばそうというのは間違いなく「プラスの変容」を求めているのだから。
課題としている「自己分析」をさせていろいろなことが見えてきた。こちらの偏見ではなく「心」や「自己理解」の部分と「取り組みの姿勢」は正比例する。これに「競技力」をも正比例させていけなければいけない。「一生懸命頑張ったこと」で評価されるのは「競技」ではない。教育的な立場から見ればそれは大きな評価だと思う。しかし、「競技」という部分を見ていけば「競技力の向上」につながらない練習は必要ない。「心」や「自己理解」は「競技力向上」のためには必須だと思う。が、「その場足踏みをしている」ことに対して「よくやっているね」という評価を与えるのは違うと思う。前に進むことを求めているのにその場でひたすらもも上げをしていることを評価するのは論点がずれる。
成長を感じる。それを結果につなげていきたい。つながるようにしなければいけない。強くそう感じる。「考え方の変化」を目の当たりにする。それをどう今後に生かすか。自分自身もしっかりと考えていきたい。
可能な限り本を読むようにしている。余計なことを考える時間をなくしたというのもある。競技に関してのみ考え続けたいという「想い」が強い。ほかに趣味がないのでそこだけに特化してしまう部分がある。だからこそ「本を読む」ことでいろいろな視点を持てたらなと思う。人によっては「本は読まない」という人もいる。考え方は様々。何が正しくて何が間違っているのかはわからない。
読んでいる本に今の自分の考え方をフォローするような内容があった。本を読むということになるとどうしても「自分の好み」の本を読んでしまう。だからこそ「真逆の考え方」で考えている本を読んでみるのがいいと。まさに(笑)。gt先生が喜びそうな話ですが私は自分でも「偏っているな」と思う部分がある。興味がある部分とない部分の「境界線」がはっきりしている。興味がないことに関しては一切ない。だから話をしても面白くない人間だと思う。話の幅が狭い。趣味があるわけでもない。
だからこそいろいろな知識を得る必要がある。その方法が本を読むというのはこれまた偏っていると思うのだが(笑)。
本題とは少しずれているのだが。今回書きたいことは「考え方の変化」について。関連付けシートを書かせた。それにより選手それぞれの「考え方」が見えてくる。競技に対して本気で考えられる選手は「関連付けシート」の内容がかなり濃い。見て驚くくらいの感じになっていた。写メで記録に残した。その反面、「ざっくりと関連付けている」という選手もいる。関連付けの方法が分からないのかもしれない。
一つ言えることは「競技に対する想い」はこういう場面で顕著に出る。本気で協議に関して考えようとしている選手は「自分の課題」を明確に分かっている。その課題を改善するためには何をすればよいか。具体的にはどのような方法があるか。ここをしっかりと考えている。だから次に何をすればよいのかが分かる。競技力に比例するのかもしれない。「卵が先か鶏が先か」の議論になるのかもしれない。「自己分析」がきちんとできるから競技力が上がるのか、競技力が上がるから「自己分析」ができるのか。正解は分からない。
今きちんと書ける選手が入学当初からそのような考え方でやっていたのかどうか。それは間違いなく「NO」だと思う。そこまで考えて協議をやっている中学生というのはほぼいない。しかし、一緒にやっていく中で明らかに変化している。私が云々ではなく変化をしている選手がいる。変わらないというか本気になれない選手も出てくるとは思う。ここも「指導がいいから変化する」「指導が悪いから変化しない」という話だとは思わない。やっている本人が「競技に対して」どのように考えるかという部分が大きいのだと思っている。
こちらは「きっかけ」を与え続ける。同じような情報を提供するし、必要であれば個別な情報も提供する。それでも「変わる」選手と「変わらない」選手は出てくると思う。目の前に美味しい料理が準備してある。「お腹が空いている」と感じる人であればそれを「食べたい」と思う。「満腹だ」と感じている人であれば「食べる必要はない」と思う。それだけでも大きな差になる。また、目の前のある料理を「好き」か「嫌い」かでも随分違ってくる。好物であれば食べたいと思う。嫌いなものであれば食べたくないと思う。同じものを提供されてもそれに対する「想い」が異なれば反応も異なる。当然の話。
関連付けシートを見れば一目瞭然と言えるくらいの「差」がある。よく考えるようになったなと。だから強くなっていく。考えずに「与えられたもの」をやるだけであれば考える必要はないので自分の課題も改善方法も思い浮かばない。「股関節が硬い」という課題があれば「ストレッチをする」という単純なことしか思い浮かばなくなる。単純にそれだけではなくほかにも要因があり、別の形で改善する方法はある。そこまで考えて書き出せるようになるのかは大きい。
変化を生み出さなければいけないと思う。自分自身も考え方を変える。選手に求めるだけではなくそういう部分が必要になる。明らかに変わったなと思う選手が数人いる。取り組みの姿勢も変わってきている。「単純に練習を頑張っているな」という話ではなく「目的意識をもってやる」という部分が出てきている。細かい部分までできるようになれば大きなレベルアップにつながる。
変わらなければいけない。変わらないのであればそこに意味はなくなる。競技をするというのは「自己変容」だと思う。過去の自分から変わっていってプラスの方向に進んでいく。それができるかどうか。ずっと同じであることを求めるのであれば競技ではなくなる。0.01秒、1㎝でも記録を伸ばそうというのは間違いなく「プラスの変容」を求めているのだから。
課題としている「自己分析」をさせていろいろなことが見えてきた。こちらの偏見ではなく「心」や「自己理解」の部分と「取り組みの姿勢」は正比例する。これに「競技力」をも正比例させていけなければいけない。「一生懸命頑張ったこと」で評価されるのは「競技」ではない。教育的な立場から見ればそれは大きな評価だと思う。しかし、「競技」という部分を見ていけば「競技力の向上」につながらない練習は必要ない。「心」や「自己理解」は「競技力向上」のためには必須だと思う。が、「その場足踏みをしている」ことに対して「よくやっているね」という評価を与えるのは違うと思う。前に進むことを求めているのにその場でひたすらもも上げをしていることを評価するのは論点がずれる。
成長を感じる。それを結果につなげていきたい。つながるようにしなければいけない。強くそう感じる。「考え方の変化」を目の当たりにする。それをどう今後に生かすか。自分自身もしっかりと考えていきたい。