思うことを。
ひたすら本を読んでいる(笑)。これでもかというくらい本を読もうと思って生活している。ここ数年間全くと言っていいほど読んでいなかった分を取り戻す感覚。自分自身の時間というのがそれほど存在していなくて、漠然と生きていたのかもしれない。あれこれ想うことがあって、日々の生活に追われていた。夜になれば浅い眠りにつく。すぐに目が覚める。本当に浅い眠りだった。集中して本を読んでいるかといえばそうでもない。ななめ読みだとしてもあれこれ目を通すことで何か感じるものがあるとすればそれでいいかなと思う。
以前は「本を読む」というのはかなり時間をかけていた。内容を理解するまでページを戻って見直す。それが「読書」というものかなと。が、時間がたって考えてみるとあれだけ熟読したものも「覚えていない」という現実(笑)。そうであればななめ読みでもいいので「色々目を通してみる」ほうが意味があるのではないかと。読む中で「琴線」に引っ掛かるものでてくるはず。
かなり前に購入していた「教え方のルール」というのもざっと読んでみた。2009年発行。そのあとにプレゼンテーションに関して色々学んだが内容的には同じようなことが書いてある。当時はそれが頭に入っていなかった。結局、必要な時に読んでみると「これは重なるな」と感じていく部分が出てくる。そんなものなんだろうなと。
で、さらに斉藤孝の「くすぶる力」という本を図書室で見つけて読む。人は「くすぶる」=「思い通りにいかない」ことで初めてエネルギーを蓄積させていくことができる。そこで溜めてきたエネルギーが「追い詰められる」ことで爆発することがある。そんな感じの内容。順調に物事が進めばそれはいいことだと思う。そうでないときに何を感じてどう動くか。ここは大きな起点になるのではないか。
「くすぶる」というのは「自己肯定感」とも重なる。「本来はもっと評価を受けてもいいはずだ」という部分が誰にでもある。それが思ったようにいかない。評価を受けない。そうなると「なんでだ?」という感覚が生まれる。それを打破するのはいつなのかわからない。「これでいいや」と思えばそこで終わってしまう。小さくまとまるというか。「殻」の中に存在し続ければ「今の自分でいい」と自分を納得させることにもなる。「もっとできる」という感覚は生まれてこないから。「これくらいできればいい」と自分自身を納得させていたら「くすぶる」という感覚はない。
「もっとできるのではないか」という感覚がある。それをどうすれば実現できるのか。そう考えると自分で「打開策」を考えるようになる。「こんなはずじゃない」と思うことはやはりエネルギーになる。が、高すぎる自尊心と虚栄心は身を滅ぼす。「くすぶる力」に「山月記」のことが書いてあった。「自分は他人とは違う」という自尊心がある。それによって周りと交わることができない。同じ高さに立つことが「屈辱」と感じる。が、最終的には「生活をしなければいけない」ということになり「耐え難きに耐える」という生活になる。自分の中で「何か」がオーバーフローしてしまい「虎」へと姿を変える。
「くすぶる力」を読み終えてからそのままtnk先生の所へいって「山月記」を借りる(笑)。今の自分の立場で高校時代に読んだであろう「山月記」を読むと感じるものが違う。単純な話ではない。「自分の力はこんなものではない」と強く思っている。だから周りとは違うんだという「自尊心」が強くなる。そのため「自分を磨く」機会を失う。気が付けば「自らが望まない形」になる。「もっと自分はできる」という感覚と「くすぶる」というのは似ていると思う。が、それだけではなくそこを打破するためにやはり「殻」を破らないといけないのではないか。
「殻」を破らないままくすぶり続けると結局は「想い」に耐えられなくなり感情のオーバーフローが生まれる。「過去」を変えることはできない。だからこその時その時に「なにをするのか」というのが重要になってくる。「山月記」はあくまで一例でしかない。一つの物事を一側面からだけとらえて「正しい」「正しくない」と議論しても何も生み出さない。
くすぶる時期は誰にでもある。今も私はずっとくすぶっている気がする(笑)。だからこそ、自分を磨くことに時間を使いたい。誰に認めてもらうことかではない。まずは自分自身がどうありたいかを考える。そのための「くすぶり」であれば甘んじて受け入れる必要がある。結局はどこまでやっても「もっとやりたい」と思うのだと思う。評価されることを心の中では求めているのかもしれない。
「くすぶる力」の中に「くすぶっているモノを外に吐き出す」という部分があった。著者も書いていたが今はそれが「blog」や「facebook」だったりすると。日記に書いてもいい。外に出すことが必要だと。それを読んでスッーと自分の中に落とし込むことができた気がする。これだけずっとblogを書き続けているのは「くすぶり続けている」のだと(笑)。
もう少しで火がつく。そう思って生きていく。それだけでも暑苦しいのにさらに「火」がついたらどうなるのか。迷惑でしかない(笑)。
ひたすら本を読んでいる(笑)。これでもかというくらい本を読もうと思って生活している。ここ数年間全くと言っていいほど読んでいなかった分を取り戻す感覚。自分自身の時間というのがそれほど存在していなくて、漠然と生きていたのかもしれない。あれこれ想うことがあって、日々の生活に追われていた。夜になれば浅い眠りにつく。すぐに目が覚める。本当に浅い眠りだった。集中して本を読んでいるかといえばそうでもない。ななめ読みだとしてもあれこれ目を通すことで何か感じるものがあるとすればそれでいいかなと思う。
以前は「本を読む」というのはかなり時間をかけていた。内容を理解するまでページを戻って見直す。それが「読書」というものかなと。が、時間がたって考えてみるとあれだけ熟読したものも「覚えていない」という現実(笑)。そうであればななめ読みでもいいので「色々目を通してみる」ほうが意味があるのではないかと。読む中で「琴線」に引っ掛かるものでてくるはず。
かなり前に購入していた「教え方のルール」というのもざっと読んでみた。2009年発行。そのあとにプレゼンテーションに関して色々学んだが内容的には同じようなことが書いてある。当時はそれが頭に入っていなかった。結局、必要な時に読んでみると「これは重なるな」と感じていく部分が出てくる。そんなものなんだろうなと。
で、さらに斉藤孝の「くすぶる力」という本を図書室で見つけて読む。人は「くすぶる」=「思い通りにいかない」ことで初めてエネルギーを蓄積させていくことができる。そこで溜めてきたエネルギーが「追い詰められる」ことで爆発することがある。そんな感じの内容。順調に物事が進めばそれはいいことだと思う。そうでないときに何を感じてどう動くか。ここは大きな起点になるのではないか。
「くすぶる」というのは「自己肯定感」とも重なる。「本来はもっと評価を受けてもいいはずだ」という部分が誰にでもある。それが思ったようにいかない。評価を受けない。そうなると「なんでだ?」という感覚が生まれる。それを打破するのはいつなのかわからない。「これでいいや」と思えばそこで終わってしまう。小さくまとまるというか。「殻」の中に存在し続ければ「今の自分でいい」と自分を納得させることにもなる。「もっとできる」という感覚は生まれてこないから。「これくらいできればいい」と自分自身を納得させていたら「くすぶる」という感覚はない。
「もっとできるのではないか」という感覚がある。それをどうすれば実現できるのか。そう考えると自分で「打開策」を考えるようになる。「こんなはずじゃない」と思うことはやはりエネルギーになる。が、高すぎる自尊心と虚栄心は身を滅ぼす。「くすぶる力」に「山月記」のことが書いてあった。「自分は他人とは違う」という自尊心がある。それによって周りと交わることができない。同じ高さに立つことが「屈辱」と感じる。が、最終的には「生活をしなければいけない」ということになり「耐え難きに耐える」という生活になる。自分の中で「何か」がオーバーフローしてしまい「虎」へと姿を変える。
「くすぶる力」を読み終えてからそのままtnk先生の所へいって「山月記」を借りる(笑)。今の自分の立場で高校時代に読んだであろう「山月記」を読むと感じるものが違う。単純な話ではない。「自分の力はこんなものではない」と強く思っている。だから周りとは違うんだという「自尊心」が強くなる。そのため「自分を磨く」機会を失う。気が付けば「自らが望まない形」になる。「もっと自分はできる」という感覚と「くすぶる」というのは似ていると思う。が、それだけではなくそこを打破するためにやはり「殻」を破らないといけないのではないか。
「殻」を破らないままくすぶり続けると結局は「想い」に耐えられなくなり感情のオーバーフローが生まれる。「過去」を変えることはできない。だからこその時その時に「なにをするのか」というのが重要になってくる。「山月記」はあくまで一例でしかない。一つの物事を一側面からだけとらえて「正しい」「正しくない」と議論しても何も生み出さない。
くすぶる時期は誰にでもある。今も私はずっとくすぶっている気がする(笑)。だからこそ、自分を磨くことに時間を使いたい。誰に認めてもらうことかではない。まずは自分自身がどうありたいかを考える。そのための「くすぶり」であれば甘んじて受け入れる必要がある。結局はどこまでやっても「もっとやりたい」と思うのだと思う。評価されることを心の中では求めているのかもしれない。
「くすぶる力」の中に「くすぶっているモノを外に吐き出す」という部分があった。著者も書いていたが今はそれが「blog」や「facebook」だったりすると。日記に書いてもいい。外に出すことが必要だと。それを読んでスッーと自分の中に落とし込むことができた気がする。これだけずっとblogを書き続けているのは「くすぶり続けている」のだと(笑)。
もう少しで火がつく。そう思って生きていく。それだけでも暑苦しいのにさらに「火」がついたらどうなるのか。迷惑でしかない(笑)。