前の記事の続きになるてましょうか。
木曜日。朝選手達が自らミーティングを実施。話の展開はよくわかりません。どのような話をしたのかというのは任せています。任せたことにより大きな問題が発生したこともあります。が、これは通常はレアケース。普通はそんなことにはなりません。どのような発言をするのか、どう対応するのかは当然見えてくるという部分。考えさせられます。
朝にミーティングが終わったと言いにきましたが時間的に対応できない。放課後まで待つように伝えました。日誌は提出していましたがコメントは書かず。こちらもかなりのエネルギーを使ってコメントを書きます。今は日誌を通じでコミュニケーションをとる段階ではない。順序があります。何を優先して行くのか。ここも考えものだと思っています。全てをやってあげるという気はありません。まずはそれぞれが自分自身と向き合って振り返りをする。そこに対してきちんと考えてからどうするか。ここが出来なければ話をする必要性もなくなります。
放課後、話をしに来たので個別に。意図的にNaも同席させました。これから先のことを考えると選手がどのように考えているのかを知ることは大切かなと。数人から一度に来たので個別に話をすることに。かなりの時間を要しました。が、自分の口で自分の言葉で話をさせることは必要だと思います。沈黙になった時はこちらは待つ。話しません。基本話をさせることがメインだと思うので。
同席させたNaからもそれぞれに一言ずつ言わせました。客観的に聞いていてどう感じたのか。これからどのようにしていけば良いのか。同年代として少しでも話ができるようにならなければいけないと思います。このご時世、先輩後輩の関係も希薄になっています。時代錯誤と言われるかもしれませんがやはりそれぞれの立場がある。友達関係のような先輩後輩があるというのは良いのか悪いのか。ガチガチの関係ではなくても良いと思います。それでもある一定水準は保ちたい。必要だと思っています。
Na曰く。それぞれが思っていたことをきちんと聞けたのは大きい、と。普段そういう部分に関して真剣に深く考えて対応するこということさありません。漠然と過ごしている。なんとなくやり過ごしている。問題点があったとしてもそこを見て見ぬ振りをしている。そういう部分は少なからずあると思います。速く走れるかどうかだけを目指すならそこまで求めなくても良いのかもしれません。短期的に結果を出そうと思えば考えさせずに型にはめる方が早い。が、それだけが人生ではない。それから先の方が圧倒的に長い。そうであればやはり「育てる」という感覚で接していきたいなと思います。
この待ち時間に他の選手が何をしているのか。ここも大きいと思います。後で確認をしたら補強をしていたとのこと。こちらに関しても指示は出しませんでした。何をしたらいいのか分からずずっと話しているだけというのでは時間の無駄になります。
ここで大切になるのが「私は怒っていない」という部分です。こういう書き方をしているので激怒しているのではないかと思われるかもしれません。全くです。私が云々の話ではない。結局、それぞれが問題点を認識してどのように行動しなければいけないのかを考える必要があるというだけ。何もなかったかのように練習に参加して普通にやることはマイナスだと思っています。次に繋がらない。私が何を指摘しているのか。
ある選手が「日誌を朝練の後に慌てて書いて提出していた」と言っていました。そんなことは内容や字を見れば分かります。そこを指摘するのは簡単。しかし、そこで考えさせる必要があると思います。日誌を書くのは誰のためなのか。私に怒られるから書くというのでは何の意味もありません。提出忘れが何度もあるので「提出しなければ全員練習なし」という話もしています。だから慌てて書くという事態になる。
が、それは何か意味があるのか。自分自身がきちんと振り返りをするために日誌を書くのです。毎日10分から20分の時間を振り返りに使えないというのであれば結局「その程度の情熱」だと思います。練習時間だけ練習をしておけば強くなるという話ではない。全ての取り組みが繋がっている。振り返りをせずに次の日の練習を迎えるというのであればまた同じミスをする危険性がある。自分の中で動きに関してや取り組みに関して「自己分析する時間」を作る必要がある。そのための日誌だと思います。書くだけの日誌はお互いにマイナスでしかない。
こういう部分に関しては妥協なく見ていかなければいけないと思っています。それはかなりのエネルギーを要します。競技で絶対成功したい!という強い想いを持っている選手であってもこの辺りが考えられなければまだ「想い」だけで行動は変わらないと思います。「陸上競技が好き」という選手の方が競技力自体は低いかもしれませんがこれから先伸びていく可能性が高くなります。その方が互いに面白い。
自分自身と向き合う時間を作る。練習だけではないと思います。これが形になるかどうか。分かりません。私自身がやることではないですから。選手がどう感じてどう動くか。該当者以外が自分の事として捉えることができているか。そこも大きいと思います。しっかりと考えてもらいたいですね。他人事ではなく自分自身の話だと。
とりあえず記録しておきます。
木曜日。朝選手達が自らミーティングを実施。話の展開はよくわかりません。どのような話をしたのかというのは任せています。任せたことにより大きな問題が発生したこともあります。が、これは通常はレアケース。普通はそんなことにはなりません。どのような発言をするのか、どう対応するのかは当然見えてくるという部分。考えさせられます。
朝にミーティングが終わったと言いにきましたが時間的に対応できない。放課後まで待つように伝えました。日誌は提出していましたがコメントは書かず。こちらもかなりのエネルギーを使ってコメントを書きます。今は日誌を通じでコミュニケーションをとる段階ではない。順序があります。何を優先して行くのか。ここも考えものだと思っています。全てをやってあげるという気はありません。まずはそれぞれが自分自身と向き合って振り返りをする。そこに対してきちんと考えてからどうするか。ここが出来なければ話をする必要性もなくなります。
放課後、話をしに来たので個別に。意図的にNaも同席させました。これから先のことを考えると選手がどのように考えているのかを知ることは大切かなと。数人から一度に来たので個別に話をすることに。かなりの時間を要しました。が、自分の口で自分の言葉で話をさせることは必要だと思います。沈黙になった時はこちらは待つ。話しません。基本話をさせることがメインだと思うので。
同席させたNaからもそれぞれに一言ずつ言わせました。客観的に聞いていてどう感じたのか。これからどのようにしていけば良いのか。同年代として少しでも話ができるようにならなければいけないと思います。このご時世、先輩後輩の関係も希薄になっています。時代錯誤と言われるかもしれませんがやはりそれぞれの立場がある。友達関係のような先輩後輩があるというのは良いのか悪いのか。ガチガチの関係ではなくても良いと思います。それでもある一定水準は保ちたい。必要だと思っています。
Na曰く。それぞれが思っていたことをきちんと聞けたのは大きい、と。普段そういう部分に関して真剣に深く考えて対応するこということさありません。漠然と過ごしている。なんとなくやり過ごしている。問題点があったとしてもそこを見て見ぬ振りをしている。そういう部分は少なからずあると思います。速く走れるかどうかだけを目指すならそこまで求めなくても良いのかもしれません。短期的に結果を出そうと思えば考えさせずに型にはめる方が早い。が、それだけが人生ではない。それから先の方が圧倒的に長い。そうであればやはり「育てる」という感覚で接していきたいなと思います。
この待ち時間に他の選手が何をしているのか。ここも大きいと思います。後で確認をしたら補強をしていたとのこと。こちらに関しても指示は出しませんでした。何をしたらいいのか分からずずっと話しているだけというのでは時間の無駄になります。
ここで大切になるのが「私は怒っていない」という部分です。こういう書き方をしているので激怒しているのではないかと思われるかもしれません。全くです。私が云々の話ではない。結局、それぞれが問題点を認識してどのように行動しなければいけないのかを考える必要があるというだけ。何もなかったかのように練習に参加して普通にやることはマイナスだと思っています。次に繋がらない。私が何を指摘しているのか。
ある選手が「日誌を朝練の後に慌てて書いて提出していた」と言っていました。そんなことは内容や字を見れば分かります。そこを指摘するのは簡単。しかし、そこで考えさせる必要があると思います。日誌を書くのは誰のためなのか。私に怒られるから書くというのでは何の意味もありません。提出忘れが何度もあるので「提出しなければ全員練習なし」という話もしています。だから慌てて書くという事態になる。
が、それは何か意味があるのか。自分自身がきちんと振り返りをするために日誌を書くのです。毎日10分から20分の時間を振り返りに使えないというのであれば結局「その程度の情熱」だと思います。練習時間だけ練習をしておけば強くなるという話ではない。全ての取り組みが繋がっている。振り返りをせずに次の日の練習を迎えるというのであればまた同じミスをする危険性がある。自分の中で動きに関してや取り組みに関して「自己分析する時間」を作る必要がある。そのための日誌だと思います。書くだけの日誌はお互いにマイナスでしかない。
こういう部分に関しては妥協なく見ていかなければいけないと思っています。それはかなりのエネルギーを要します。競技で絶対成功したい!という強い想いを持っている選手であってもこの辺りが考えられなければまだ「想い」だけで行動は変わらないと思います。「陸上競技が好き」という選手の方が競技力自体は低いかもしれませんがこれから先伸びていく可能性が高くなります。その方が互いに面白い。
自分自身と向き合う時間を作る。練習だけではないと思います。これが形になるかどうか。分かりません。私自身がやることではないですから。選手がどう感じてどう動くか。該当者以外が自分の事として捉えることができているか。そこも大きいと思います。しっかりと考えてもらいたいですね。他人事ではなく自分自身の話だと。
とりあえず記録しておきます。