思うことを。
少しずつ前に進んでいる感じはあります。が、それはこちらがイメージするよりもゆっくりです。何かのきっかけで大きく進むのかもしれませんが。なかなか難しい部分もあります。
関連付けシートを作って書く。Mが書いている内容が今のチームの状況を言い表していると感じていました。そのため本人は若干苦笑いをしていましたがコピーして全員に配布。1年生の時からすればこれだけチームについて考えることができるのかという部分は本当に嬉しく感じました。数人はチームについて触れています。が、大半の者は自分のことのみ。自己分析ができていないという感じでした。そのためコピーを配布した際に「この紙を見てチームについて考えて日誌を書く」と伝える。
翌日日誌を見て愕然としました。やはり半分近くの者がチームについて触れていません。一事が万事だと思います。技術的な指導に関しては話を聞くがそれ以外は聞かない。そんな選手は稀だと思います。全ての部分に関して聞いていない。だから同じミスを繰り返す。振り返りをするために日誌を書いているのですがそれがきちんとできない。読めない字で書いて出す者も。流石にこちらも考えさせられます。
全体行事でグランドを使うことがありました。その行事の担当は私とtnk先生、さらに陸上競技部となっていました。行事が終わり誰も気づかないのでNaを大声で呼んで整備の指示を出す。それに気づいたNとSが動く。他の部がグランド整備を手伝ってくれたのですが他の者は気づかない。周囲を見て動くという経験が少なすぎる。言われたことだけをやるというのが染み付いている感じですね。ここを抜け出さなければいけない。
更に。短距離の者は実際に走るという機会がありました。遠目に様子を見ていましたが身体を動かして走るための準備をしている者がいない。前日の最後にその辺りのことを指示しておきました。こんな事で怪我をしてしまったら何のために練習をしているのか分からなくなる。競技で少しでも結果を出そうと毎日練習をしている。たった1日ワイワイやるために情熱を使っているわけではない。そうであれば走らなければいけないという状況に対してどのようにアプローチするか。万が一怪我でもしたら台無しになります。実際怪我をした者も出ました。
怒るとか責めるとかいう話ではないと思います。私が怒るからきちんとやらなければいけないと感じるようであれば集団としての活動は意味をなくします。本来であれば本人達がどのように感じるのかだと。
本当に何かをやろうと思えば、自ずとやるべきことを見えてくる。見えていないということは分かっていないということ。高校生だからそれくらいの事はある。それも分かっています。しかし、本当にそれで良いのだろうか。せっかく手本になる関連付けシートを渡したのにそこから何も考えない。自分が何をしていけば良いのかというヒントになる部分を受け止めることができない。練習を一生懸命にやっているのだから問題はないと言われたらそこまで。集団で練習する必要性はなくなります。
別に私が無理難題を突きつけて選手に迫っているわけではない。理解している選手もいればほぼ理解できない選手もいる。それだけの話です。しかし、集団は理解している選手を中心には回りません。理解していない選手の行動に大きく左右される部分がある。こういう部分の理解が進まなければまだ気持ちにも波が出てくる。結果、良い練習ができずに全体の質を下げてしまうことになる。それで何が残るのか。
情けない話ですが足踏みです。一直線に登り続けられると良いのですがそうはいきません。ここが難しい。毎回毎回前向きなことが書けるといいなと思います。が、そんなドラマのような話はありません。上手くいかない時の方が圧倒的に多い。
以前から「チームとして」「責任を果たす」「役割を自覚する」という事は言い続けています。その時から日誌に書けない選手も出てくる。それなら日誌を書くのは止めれば良いと思います。強制されて書くというのであればこれほど無駄な事はない。互いにストレスを感じながらやるというのは違うと思っています。自分が自分の練習や取り組みについて振り返るためのものでなければいけない。そうでなければ時間の浪費になる。それは常々言い続けています。これも伝わらない。繰り返しになりますが一事が万事。全ての部分は繋がっていると思います。
私が話している内容を理解している者に「私が話している内容は難しいか?」と確認をすると「難しくない」との返答。理解しているから「難しくない」と答えるという部分は往々にしてあります。理解できない者にとってそれは難解な話なのかもしれません。今回こうやって記している内容に関して「難しくて分からない」と思われるかもしれません。それは受け止めていかなければいけない。
価値観が多様化するという現実であってもここは譲れない部分だと思います。理不尽な話ではないですし気をつけてやれば誰にでもできる部分。そして聞いて行動を変えようと思えば万人に可能な話だと思っています。足踏みをしてどこまで留まるか。分かりません。
記録として残しておきます。否定的な事に触れると炎上する時代。何かあればこの記事は消されるかもしれません。その時は「何かあったな」と推測してください。ご理解を。
少しずつ前に進んでいる感じはあります。が、それはこちらがイメージするよりもゆっくりです。何かのきっかけで大きく進むのかもしれませんが。なかなか難しい部分もあります。
関連付けシートを作って書く。Mが書いている内容が今のチームの状況を言い表していると感じていました。そのため本人は若干苦笑いをしていましたがコピーして全員に配布。1年生の時からすればこれだけチームについて考えることができるのかという部分は本当に嬉しく感じました。数人はチームについて触れています。が、大半の者は自分のことのみ。自己分析ができていないという感じでした。そのためコピーを配布した際に「この紙を見てチームについて考えて日誌を書く」と伝える。
翌日日誌を見て愕然としました。やはり半分近くの者がチームについて触れていません。一事が万事だと思います。技術的な指導に関しては話を聞くがそれ以外は聞かない。そんな選手は稀だと思います。全ての部分に関して聞いていない。だから同じミスを繰り返す。振り返りをするために日誌を書いているのですがそれがきちんとできない。読めない字で書いて出す者も。流石にこちらも考えさせられます。
全体行事でグランドを使うことがありました。その行事の担当は私とtnk先生、さらに陸上競技部となっていました。行事が終わり誰も気づかないのでNaを大声で呼んで整備の指示を出す。それに気づいたNとSが動く。他の部がグランド整備を手伝ってくれたのですが他の者は気づかない。周囲を見て動くという経験が少なすぎる。言われたことだけをやるというのが染み付いている感じですね。ここを抜け出さなければいけない。
更に。短距離の者は実際に走るという機会がありました。遠目に様子を見ていましたが身体を動かして走るための準備をしている者がいない。前日の最後にその辺りのことを指示しておきました。こんな事で怪我をしてしまったら何のために練習をしているのか分からなくなる。競技で少しでも結果を出そうと毎日練習をしている。たった1日ワイワイやるために情熱を使っているわけではない。そうであれば走らなければいけないという状況に対してどのようにアプローチするか。万が一怪我でもしたら台無しになります。実際怪我をした者も出ました。
怒るとか責めるとかいう話ではないと思います。私が怒るからきちんとやらなければいけないと感じるようであれば集団としての活動は意味をなくします。本来であれば本人達がどのように感じるのかだと。
本当に何かをやろうと思えば、自ずとやるべきことを見えてくる。見えていないということは分かっていないということ。高校生だからそれくらいの事はある。それも分かっています。しかし、本当にそれで良いのだろうか。せっかく手本になる関連付けシートを渡したのにそこから何も考えない。自分が何をしていけば良いのかというヒントになる部分を受け止めることができない。練習を一生懸命にやっているのだから問題はないと言われたらそこまで。集団で練習する必要性はなくなります。
別に私が無理難題を突きつけて選手に迫っているわけではない。理解している選手もいればほぼ理解できない選手もいる。それだけの話です。しかし、集団は理解している選手を中心には回りません。理解していない選手の行動に大きく左右される部分がある。こういう部分の理解が進まなければまだ気持ちにも波が出てくる。結果、良い練習ができずに全体の質を下げてしまうことになる。それで何が残るのか。
情けない話ですが足踏みです。一直線に登り続けられると良いのですがそうはいきません。ここが難しい。毎回毎回前向きなことが書けるといいなと思います。が、そんなドラマのような話はありません。上手くいかない時の方が圧倒的に多い。
以前から「チームとして」「責任を果たす」「役割を自覚する」という事は言い続けています。その時から日誌に書けない選手も出てくる。それなら日誌を書くのは止めれば良いと思います。強制されて書くというのであればこれほど無駄な事はない。互いにストレスを感じながらやるというのは違うと思っています。自分が自分の練習や取り組みについて振り返るためのものでなければいけない。そうでなければ時間の浪費になる。それは常々言い続けています。これも伝わらない。繰り返しになりますが一事が万事。全ての部分は繋がっていると思います。
私が話している内容を理解している者に「私が話している内容は難しいか?」と確認をすると「難しくない」との返答。理解しているから「難しくない」と答えるという部分は往々にしてあります。理解できない者にとってそれは難解な話なのかもしれません。今回こうやって記している内容に関して「難しくて分からない」と思われるかもしれません。それは受け止めていかなければいけない。
価値観が多様化するという現実であってもここは譲れない部分だと思います。理不尽な話ではないですし気をつけてやれば誰にでもできる部分。そして聞いて行動を変えようと思えば万人に可能な話だと思っています。足踏みをしてどこまで留まるか。分かりません。
記録として残しておきます。否定的な事に触れると炎上する時代。何かあればこの記事は消されるかもしれません。その時は「何かあったな」と推測してください。ご理解を。