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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

指導することのリスク

2019-02-06 | 陸上競技

思うことを。

先日、ニュースでかなり取り上げられた件。「教員が生徒に体罰をした」というのがニュースで大々的に放送されていました。ネットニュースにも同じように出ていました。「体罰」は許されないという立場からかなり批判されました。

その後、実際の映像は一部分の切り取りであったという事実が出てきました。実際は生徒側からかなり挑発されそれに我慢できずに手を出してしまった、と。それにより世論は逆転。教員側が可哀想だという部分が出てくる。体罰自体は許されないと思います。そこに至る経緯はどうであっても許されない部分はあるのだと思います。では、挑発されてはめられて動画におさめようとした生徒への対応はどうなるのか?

また福岡の小学校教諭が処分を受けたという話も出ていました。放課後、帰宅を促したが帰らない児童がいたので漢字ドリルを投げて「クラス解散だ」と激怒した、と。それにより児童が恐怖を感じて担任交代、停職6か月。詳細が分からないのでどう評価して良いのか分かりません。モノを投げたのが悪なのか解散と言ったのが悪なのか。「恐怖を感じた」と言われたらやはり処分なのかもしれません。難しい世の中です。

こうなった時に教員側が処罰を受けるというのであれば甘んじて受け入れるしかないのかもしれません。そうであれば指導に従わない児童生徒に対して即効性のある処罰を与えられる権利が必要なのではないか?言い過ぎでしょうか?児童生徒は守られます。何かあった時に打たれるのは間違いなく指導した者。これは非常にしんどい部分だと思います。

今は教員というのは完全にサービス業だと思います。全て児童生徒に合わせてサービスを提供します。学校教育の目的の一つである「社会性を身につける」というのはほぼ実現できないと思っています。社会の仕組みに合わせるというのではなく「自分に合わせない社会が悪い」という価値観の中で生活を送る事ができる。気に入らなければ「保護者に言ってもらおう」と平気で口にする時代です。

一番楽なのは「一切指導しない事」だと思います。何かあってもスルー。指導しない。これも10月くらいにネットニュースに出ていた内容。ある女子生徒が高校生になって「一方通行の授業」を受けて衝撃を受けた。質問を投げかけるわけでもない。誰も質問しない。みんな好き勝手に内職をしている。女子生徒は何度も何度も質問をしてみんなで授業を作ろうとしたが浮いていることに気づいた。周りは誰もそんなことを求めていない。そこで個別に先生に質問をする。その時先生が「以前は発言を促す授業をしようとしていた」「誰も話を聞かない」「みんなが好きなことをする、私は淡々と授業をする。それで給料をもらって定年を迎える」というような感じの漫画だった。

この教員が「もっとみんなで授業をしよう」と投げかけても反応がなかったのかもしれない。もちろん、それでも興味関心を持たせる事が出来なかったという部分に指導力が不足していたのかもしれない。単純にそれだけだろうか。熱心にあれこれやろうとしても反応がなければ熱は失われる。それを全て教員のせいにするというのも違う気はする。

公務員だからという言い方をされるのかもしれない。公立高校では淡々と授業をしても成り立つ。いや、学習意欲が低い私学があればもっとそういう部分になるかもしれない。授業に興味を持たない生徒がいたとしてそれでも授業をしなければいけない。発問して答えられなかったら点数を引くというような流れでやらなければその集団の規律は守れないということもあると思う。まーそういう減点形式であっても「別に卒業できればそれでいい」と思う生徒に対しては一切効力を発揮しないと思うが。

こうやってblogを書く。そこに対して批判が出る可能性だってある。教員がこんなblogを書いている。否定的に捉えている。こんな人間が人前で授業をするのはいいのか?部活動で指導する資格はないのではないか。辞めさせるべきではないか。そう言われる危険性は十分ある。アクションを起こせばそれに対して不快な思いをする人も出てくる。

「病院に行くから練習を休む」と言われたとする。それに対して「休むのは構わないがそれを繰り返していたら強くはならない」と伝える。それに対して「休んでも構わないと言われたので行くのをやめよう」という話になる。そうなった時に「何で練習に来ないのか?」と我々はいう必要があるのか。それは当然のことで声をかけない事が悪なのか。全てが指導する側の責任になるのか。ここについては本当に考えたいと思う。

事なかれ主義で淡々と毎日を過ごしていく事で無難に定年退職を迎えるのかもしれない。それは「仕事」として授業をして与えられた公務を果たしていけば達成できる。しかし、「教育」という考え方からすれば良いことなのかどうか。ダメなものはダメだと教えなければいけないと思う。分からなければ何度も何度も伝えていかなければいけないと思う。が、それにより自分自身の首を絞めることになるのではないか。発言の一つが不適切だと取り上げられてしまう危険性が内在している。恐ろしいことだと思う。

指導をする。ここに対するリスク。今まで以上に感じている。何かをすればパワハラと言われかねない。ダメなものをダメと伝えて「傷ついた」と言われれば処分を受けるのかもしれない。誰も守ってくれない。

考えさせられる。本当に。

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我慢と成長

2019-02-06 | 陸上競技
火曜日。ちょっと思うことがありました。なかなか前進しません。難しいなと思います。我慢をしなければいけない部分が出てくる。ここに対してどう思うのか。諦めてしまうのではなくどう向き合うかなのかなと思っています。時間をかけながらどうするのかを考えていきたいと思います。ここ最近、怒ることが極端に減りました。怒るエネルギーがないのかもしれません。厳しく注意したところでそれが変化を生み出さないのであれば意味がなくなります。我慢と忍耐。今の仕事は「奉仕」を求められます。時間外労働に対しては「業務命令ではない」というスタンスですから。授業中に厳しく指導してそれが「不愉快だ」と思われば訴えられる危険性さえある。リスクしかない。そのような環境下で何を目指すのか。見えません。

練習に関しては「走っておきたい」というのがありました。翌日が雨予報。推薦入試の関係で校舎内立ち入り禁止になります。そうなると何もできなくなる。最悪のことも考えてしっかりと走りたい。3年生にも連絡してぎりぎりの電車から一本早い電車に切り替えてもらいました。極力早く始めておきたいというのがあったので。16時少し前から練習開始。

補強系をやりながら素早く進めていく。「走練習メイン」と位置付けていますがだからといって補強をしないというのは考えられない。トータルバランスだと思います。17時30分までに走練習を終わらせておきたいというのがありました。他の部活動との兼ね合いもあります。ちょっと急ぎ足で練習を。足運びを意識してからハードルドリルver2を。これまではメニュー外に「もも上げ」を入れていましたが、これも含めてハードルドリルだと思うのでメニュー内に入れておきました。「いつも通り」という感じで進めるのでハードルサイドからやり始めました。メニュー表の意味がなくなります。しっかりとみてもらいたい。

ドリルの中の壁までやったところで一旦止めました。雑だからです。これも最初に書いたようにこちらも「我慢」なのかもしれません。しかし、80%の練習をしていたら大きな伸びはありません。中学時代に全国大会に出たとか中国大会に出たという選手が集まっているわけではない。そんな状況での練習ですから「20%のロス」は大きいと思っています。目的意識を持つことを伝えました。それがどうつながっていくのかを考えさせたい。

周りから見れば「普通」の練習かもしれない。、ある程度の目的意識を持って取り組んでいるように映る。しかし、それだけでは困ります。本質的にどうなのか。やるべきことを最大限の力でやっているのか。そこが見えない練習になるのであればやる必要はない。中止にしてもいいなと思います。それくらい「求める水準」は下げたくない。高レベルのことを求めているわけではないですから。

そのままスタート5歩を2サイクル実施。前日の雨の関係で少しゆるいなというのがありました。それでもこの日はやる。地面に穴を掘って出やすいようにしていました。走ると土が掘れるような感じになってしまいます。パワーを使うことになりますがそれでもやる。そのまま課題としている前半マークを2本実施して中間につなげるための60DMを2本。休まずに120DM-120-120-90を。短長は折り返し走の形で。久々に「量を走った」という感じでしょうか。120mを3本走るというのは本当に珍しいですから。きついかもしれませんがやり続ける。

ここまででちょうど17時半。狙ったように時間どおりでした。うちの練習は休まない。あれこれやりながら進めていきます。バリエーションが多いというのもあるかもしれません。狙いを絞りながらやることは多い。

一旦スパイクを脱いで補強。セラバンド歩行とプレート歩行を。走りをつなげるというのではなく間に補強を挟みます。うちの女子が一番嫌うのはセラバンド歩行。いつも大臀筋や中臀筋のあたりが筋肉痛だといっています。「回復する前にまた筋肉痛になる」と。結構やっているのですが慣れないようです。単純なセラバンド歩行からモノを持って行うようにしましたから軸を作る形になるのだと思います。狙い通りの負荷をかける。必須だと思います。持たないと楽をしているのでは??と(笑)。

時間に余裕がある気になったセラバンド歩行をもう1セットやってもいいのではないか?と提案。速攻で拒否。「いつもこのパターンで増やして結局間に合わなくなる」と。確かに。私よりも選手のほうが冷静に判断している部分があります。取りやめ。

ここからは選択練習。「スイッチング重視」と「バランス重視」にしました。前回と異なり、バランス重視にも少しだけスイッチング要素を入れる。「重視」という部分です。偏りが大きくなるとやはりよくないかなと。それぞれが課題を持って取り組む。スプリント要素を取り入れながらやっていきました。これも時間通りに進む。動き的に変化があります。これは大きい。単純に「走っておけ」という練習では絶対にこの変化は生まれないと思います。

最後に往復走。昨年まではほとんどやっていません。今年はきちんと200mにまで対応できる練習をしたい。ショートスプリントのためだけの練習ではなくバランスを考えながらやっていきたいと思っています。ここも大きな変化。手狭なグランドでスプリントで勝負しようと思えばこちらも工夫を必要とすると思います。

ある程度やりきりました。予定していた練習はほぼ消化。選択の練習を増やしています。それが本人たちの「自覚」を生み出すのではないかと思いますね。そういう意味では「成長」があるのかもしれません。成長も課題もすべて含めてやっていかなければいけないというのはあります。我慢のほうが圧倒的に多い気がしますが。

少しずつ少しずつ。気持ちが少し晴れません。
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