思うことを。共感を得ることはできないかもしれないが。
色々と話をする中で「テントを立てることができない子供達が増えている」という内容が出た。大会準備をする時に自分達でテントを立てられない。組み立てができないだけではなく脚を曲げて下ろしていたテントを立てることができない。
あれこれ話を聞くと運動会などでのテント設営は保護者がするらしい。危険だからという理由もあるのかもしれない。見ていた感じからすればきちんと組み立てられずに倒れてしまい下敷になるかもしれないなと感じる部分まであった。今は保護者がやってくれるので良いのかもしれないがこれから先はどうするのか。本当にそれで良いのか。分からない部分がある。
今の子供達は我々の高校時代とは違って情報機器の操作にはかなり優れていると思う。生まれた時から携帯がありパソコンがある。スマホを触れば分からないことは情報として出てくる。こういう部分では30年前と比べると圧倒的に力がある。
が、実体験が少なすぎるのではないか。学校教育では「何かあったら」という考え方の下、全てを準備して与える傾向が強くなっている。安全管理という部分がメインになるだろうから当然だとは思うが。「体験学習」というものもあるが大半が「作られた環境の中」でやることが多い。世の中は理不尽なことが多いにも関わらず、教育現場では順路をたどっていけばゴールにたどり着けるというものを提供する。
どう動いて良いか分からない。そんな子が増えている気はする。大会がある時、私自身はかなり働く。部署以外のことも気がつけばやる。人によっては「それは自分の部署の仕事ではない」と公言して少しのこともやらないという場面もある。テリトリーの考え方もあると思うが、そんなこと言っていたら何も進まない。
以前と比べて大会においても「顧問」になる人が「初めてやる」という人が増えている。跳躍審判、投擲審判などあるがある程度決まった流れの中でやっていける。が、私が担当している部署は現場でのトラブルに対応することが多い。定型業務ではなくその場その場で対応することを求められる。私がやらなくてもいいことであってもやらなければ回らない。だからやる。競技場面における視野はかなり広い。指導場面では「視野が狭い」と言われるが。
状況判断をする能力が全体的に低くなっているのではないかと感じる。今では私達より若い顧問が大半を占める。与えられた仕事をするのだが正確に分かっていない中で何となくやっていくことが出てくる。別に仕事が好きなわけではない。動かなければその方が楽で良い。しかし、そうはいかない。やらなければ大会が滞るから。その時その時に何をするべきかを考えておかなければいけない。
生きている中で基本的にトラブルに巻き込まれることが多い。指導に関しては自分から種を蒔いていると言われるが。単に時間を過ごすために参加しているはずではない。本来的に何を求めてグランドに来るのかという部分。そこは指摘しなければかなり楽。片目を閉じて人と関われば良いのかもしれない。が、そこに何かの意味が存在するか。私には分からない。やるからにはしっかりとやるべきだと考えている。
大会の時にも若い顧問には何度か指摘した。明らかに間違っていることを押し通すと支障があるから。別に運営に命をかけているわけではない。が、流れが悪くなったりきちんとした大会にならない可能性がある。そうであれば煙たがられても言わなければいけないと思っている。大きなミスになる前に防ぎたい。
現場で経験しなければ分からないことが多いと思う。師匠がよく「決められた部署でしか役員をしないから他の部署のことがわからない」と言われる。その通りだと思う。それぞれの部署がその部署の仕事を果たしていたらなんとなく大会は終わる。他の部署は仕事が一切ない時がある。私はいつも最後までやらなければいけない。部署を代わりたいとずっと言い続けているがそれは叶わない。
理不尽。まさにそこに尽きる。が、それをやらなければ何も進まない。ブラック企業の考え方なのかもしれない。働き方改革や労働者の権利が声高に叫ばれる。いやいや、実際はどうなの?ということの方が多い。変えていかなければいけないのだろうとは思う。今は変えられる部分がどこにあるのか分からない。
こういう正確なので周りに迎合することはしない。そういうタイプを受け入れられない人は沢山いるだろう。嫌われる、受け入れられない。当たり前だが人からあれこれ言われるのは楽しくない。しかし、迎合して生きていくのであればそれは私らしい生き方ではない。批判する人は延々と批判するだろう。それでも良い。
テントの立て方を知らない。普通の生活をしていたらテントを立てることなんてない。だから知らなくて良い。たしかにそうだと思う。が、何がプラスになるか分からない。
たぶん、私の考え方は一般的ではないのではないかと思う。私がおかしいのかなと感じることは多い。が、客観的にみてみると何が大切なのか。そこは常に考えたい。
まとまらない。