水曜日。個人的に感じる部分があります。1年生の担任をやることになり、こちらも気持ちを引き締めてやっていかなければいけないなという部分。生徒と友達になる気はありません。何でも受容するのは違う。私のようなタイプが全員に受け入れられるとは思っていません。そへでといいと思って向き合うようにしています。
先日、LHRとチャレンジタイムがありました。チャレンジタイムは色々やろうという時間。今後ある学校行事の内容をクラスで決めるという時間に充てられていました。ある程度の流れを確認して全て生徒に任せる。幸い明るく前向きな子が多いのでその子達が中心になって話し合いを進めてくれていました。私は見守る。教室を空けて自分たちで進めさせる。
こちらが主導で何かをやるというのは楽です。お互いに。よく分からないという中で話し合いをしていますから誘導しやすい。これは個人的に全く面白くない。上手くいかなくても自分たちである程度考えて行くというのは大切。本当に困っているのであれば自らの意思でそれを伝えてくれればいい。それもコミュニケーションの勉強だと思っています。与えすぎは人間から工夫する力や考える能力を奪うことになる。
そしてそのチャレンジタイムに関しては振り返りシートがあります。前回担任をした時にはそこに目が届いていませんでした。今回はきちんと振り返りをさせたいなと。提出を促していました。翌日提出されたものを見てみるとほぼ白紙の者も。4行書くことになっているものが2箇所あります。全て1行しか書いていないという生徒も。全員分チェックしてやり直しをさせました。
この行為に意味があるのかどうか。評価になるかどうかという部分かもしれません。点数がつくからきちんと書く。そうでないものは適当にやっておけばいいという考え方もあるかもしれません。が、その時その時に自分自身が何を感じたのか、何を考えたのかを文字にするというのはすごく大切なことだと思います。やって終わりではない。やるべきことがあふならそれは最後まできちんとやるべきだと思います。その中から見えてくる事がある。
点数化されるからきちんとやるというのは面白くないなと思っています。入学式の時にも話をしましたが3年後自分がどうなっているのかをつねにイメージさせる。やればいいという話ではなく、到達地点に向けて少しずつ積み上げて行く感覚です。これは競技と一緒だと思います。いきなり変化を生むわけではない。小さな積み重ねが変化を生む。
以前、大阪に行った時にmtm先生と色々と話しました。練習の中で様々な事をやっていました。その時「何が意味があるか分からないのであれこれやっている」と言われていました。直接的に競技に関係あるかどうか分からない動きでもひょっとしたらそれがプラスになるかもしれない。そういう感覚の中で物事を捉える。目に見える部分だけではなく様々な事がそこにあるのだと思います。
実際は他の事もそうなのではないか。生きていく中で目に見える部分だけではない。評価をされる事以外に本当に大切な事があるのではないか。実はそこを大切にしなければいけない。最近は特にそう考えるようになっています。正解かどうかは誰にも分からない。単純に座って勉強しているだけではこのような感覚にはならない。気づくことさえないかもしれない。自分自身競技を通じて学ぶことがある。それを他の部分にどう還元していくか。
やるべき事を徹底する。ここは続けていきたい。忘れないように。今を大切に。