年齢を重ねてきました。これまでそれなりに様々な経験をしてきました。生きていると毎日が同じように過ぎていく。与えられた事をやっていたらその日1日が終わっている。働き始めた頃は毎日がわからないことばかり。何も考える余裕がなかった気がします。
今は...。ある程度の事ができるようになる。それにより深く考えなくてもそれなりに毎日を過ごしている自分がいる。それは良い事なのか。できない時はひたすら勉強していた。無我夢中でやっていた。今それができているだろうか。「例年通り」や「前例に従って」という流れの中に飲まれながら生活をしていないだろうか。
今、自分自身の人生が充実していると言えるだろうか。やれる事を全てやって生きているだろうか。なんとなく生きているのではないか。それは時間の無駄遣いではないだろうか。新しい生き方を模索しながらやっていかなければいけないのかもしれない。これまでの自分のままで止まっているというのは成長がない。夏目漱石の「こころ」にある。「精神的に向上心のない者はばかだ。」という言葉。これが胸に強く突き刺さる。
年齢的にその場に止まっておくことは楽だと思う。色々と考えさせられる事がある。自分の能力的に何をするべきなのか、何ができるのかをきちんと捉えられているだろうか。これまでの生き方を見直さなければいけないなと思う。
環境を変えるというのも一つの方法。閉塞感を抜け出すためには何かを変えていかなければいけない。やり方を考える。自分自身を見直す。そこは常に考えたい。
本格的に新学期が始まる。その中で自分にできることは何か。以前、大阪にいらっしゃる先生から「活読」を頂いた。我々が何かをする。そこには「意味」があって「意義」がある。淡々と何かをやれば良いわけではないし、過剰に抱え込むのも違うと思う。伝えたいものを持たなければいけない。
誰かから尊敬される存在にはなれない。しかし、何かを伝えていくことはできる。これまで私を支えて作り上げてくれて人達がいる。その人達に「あいつ、全くダメだな」と言われるような存在に成り下りたくはない。一切の妥協をせずに生きていくというのは難しい。が、その場に止まりたくはない。何かを変えなければ今の気持ちは変わらない。
取り残されていく感覚がずっとある。きっと「精神的に向上心のないばか」なのだろう。全てが思い通りにいくわけではない。だからこそ何をするのかをしっかりと見極めなければいけない。強くそう思う。
何ができるか。そこを考えたい。