kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

最大負荷で

2019-06-01 | 陸上競技

水曜日の練習を。

 

前の記事に書きましたが、様々なアプローチをしながら選手にメッセージを送るようにしています。「ひたすらやる」という中で見えてくることがある。成長を促すために様々な角度から刺激を与えていくことが必要だと思っています。これまでは「考える」という側面が強かった。それが教育効果です。しかし、その側面が強すぎて「伝わらないに考えさせる」という雰囲気になっていました。これでは誰も幸せになりません。

 

しばらくは思い切って「徹底的にやろう」と決めました。これまでは「身体が重い」とか「足が張る」という言葉にかなり耳を傾けていました。そうでれあれば「練習量を落とすか」という話になる。もちろんそういう部分は重要です。しかし、本当に自分たちの「限界点」を知っているのか。少しの疲れたくらいで「もう無理だ」と感じていないか。そういう部分をもう一度見直したい。考えながらやるというのはまたいつかということにしました。「考えられない」のであればひたすら負荷をかけて感じ取るしかないなと。

 

バランス系をやって股関節強化サーキット。私が口にするのは「声を出せ」のみ。数を数える声が小さいというのは許さない。できることを最大限にやれ。そればかり言い続けました。技術的な部分とは全く違う話。そのままDM∞を。これも弱い。ここでは「数を数えろ」「強く投げろ」というだけ。指導というか鞭を入れているだけのような気はしますが。本当にやろうと思えば「どうすれば強く投げられるか」を自然に考えるようになります。「考えろ」を求めるだけではない。

 

上半身と下半身の連動のために「シャフトトレーニング」を2年生に関してはシャフトだけではなくプレートもつけることにしました。ウエイトとは違いますがそれなりに負荷をかけていかなければ筋力はつかない。自重でも対応できる部分はありますが今はもう少し強い負荷をかけたい。筋力的な向上をこれから数か月で行います。中途半端な負荷をかけるつもりはなかったので。つなぎとして「また割りスクワット」を。これも選手たちが声掛けをしながらやっていく。私は見守る。

 

走るつもりはなかったのでマークアップ。気持ち遊び感覚。本当に気持ち程度ですが・・・。ひたすら追い込むという練習にしようと決めていたのですが気分転換も少しは必要かなと。

 

台を使ったDM投げ。地面からもらった力を推進力に変える。ここもやっていく中で感覚をつかむ。ひたすら。本当にひたすら。ほぼ休まずに「タイヤ押し」を。これはかなりきついと思います。20m1往復を3セット。ランニングと両足ジャンプ。男子で筋力がない者は全く進まなくなっていました。そこできちんと声掛けが出るかどうか。苦しい場面でどうするか。自分一人が苦しいわけではない。苦しんでいる選手に対してどうやってアプローチできるか。この練習により数人が練習から離脱。そうなるのはある程度予測ができていましたが。

 

休まずにDM往復走。これも久しぶり。追い込みます。限界点を上げるという意味では重要な練習。技術練習とは真逆にあるかもしれません。それでもこういう経験の中で何かを感じ取らせる。タイヤ押しの時点で限界に近づいていたと思います。それでも止めない。倒れるまでとはいきませんがひたすら走りました。

 

休憩としてBCTを。1年生にとってはかなりしんどいと思います。県総体に出場した選手もいますが基本的な部分は何も変わらない。ある程度走れるようになっているかもしれませんが1年生であることには変わらない。負荷をかけたり基礎的なことをするとできない事が多い。過大評価はしません。特別扱いもしません。時としてこうやってやらなければ気づかないことも出てきます。BCTをやっていますから休憩にはなりません。肉体的にも精神的にもキツいはず。自分自身と向き合わせる。

 
 
更に「補強+動き」を。身体づくりに戻る。そう宣言していました。更にひたすら追い込む。苦しくなるときにどうするのか。楽をすることを選ぶか、正確にやることを選ぶか。ここも本人達がやっている中で行動に移していくしかない。キツいのは分かっています。そういうメニューをやっているのですから。ただひたすらトレーニングをしていく。その中で何を感じるのか。鍛えることと使えることを同時にやっていく。しっかりとやりたい。殆どの選手は表情が曇りかけていました。こういうときにどれだけ声を出して盛り上げるか。
 
 
かなり負荷をかけてからタイヤ走を。いつもは数本しかやりませんがこの日は60mを8本。休息は歩いて60m戻る時間だけ。私からは何も言いませんでした。本人達が何を思って何を感じて走るのか。繰り返しになりますがある一定水準になるまでは細かいことを言っても伝わらないと思います。そうであれば「ひたすらやる」という方が早い。意識できている者であればこの本数の中で何かしら感じ取る部分はあります。強い負荷ではありますが。
 
 
ここでは終わらない。最後の最後に60mの往復走を。30秒に1本3往復。もうすでに力を使い果たしている感じがある中での往復走です。気持ちが切れてしまうのではないかという不安もありましたが私は声をかけず。タイムだけ取りました。1年生は付いていくことさえできません。当然だと思います。2年生はある程度走れる。気持ちの問題もあるのかもしれません。特に女子は追い込んでいました。ここに1年生との差かあります。悔しさがあるならやはりやるしかない。細かい部分をあれこれ言うのではなく本人達の気持ちがどこに向かうのか。
 
 
終わった後に倒れこんでいました。それだけやっています。が、倒れている選手に手を差し伸べて立たせている者も。倒れている場合ではない。そう言っていました。まさにそうだと思います。完全に力を使い果たしているわけではない。まだまだできる部分がある。自分で決めていた限界や壁を越えていくためには何か大きな刺激が必要なのです。
 
 
全身筋肉痛になるのは目に見えていました。それでもやり続ける。経験として絶対に必要になる。そう感じていました。
 
 
ひたすらやる。徹底します。これが数ヶ月後にどうなるか。目の前にある苦しさを別の視点から超えていけるかどうか。見守りたいと思います。
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別の視点からの指摘

2019-06-01 | 陸上競技

水曜日。この日は久しぶりに最大負荷をかけようと思っていました。朝の段階でtnk先生から資料をもらったので選手に配布。ここ最近ずっと言い続けていることについて。この意味が分かるかどうか。難しいとは思いますが。

 

部活動では「メンバーの入れ替えがほぼない」という部分。強豪校では力が足りないと思えば強烈なスカウティングで選手勧誘をすることができかもしれない。うちはそれがない。シーズン中に力が足りなくなってもほかのメンバーと入れ替えをするということができない。入れ替えができないのであれば「今いるメンバーの力を最大限に生かす」ということが求めれる。自分は関係なと思っていたらそこから崩れる。人数が少ないからこそ全員が「自分がやらなければいけない」という自覚を持って取り組んでいく必要がある。

 

「集団が伸びるとき」という話。スーパースターがいるチームでその選手が強い。それは「別次元の話」として認識される。あの選手はもともと強いのだからという考えになり自分たちのことに置き換えて考えることができない。チームが伸びるのは「自分たちと同じレベルの選手が伸びたとき」になる。同じことをやっていてそこから一気に伸びてくる。今、13秒72がベストであったSaが13秒02を出して200mでは7位となった。スーパースターではない普通の選手が走れるようになっている。このことの意味。自分にもできると思ってもらえれば・・・。

 

苦しい練習に耐える。この部分。強くなるためには避けては通れない。本来的な目標を達成するためには一定水準以上の練習をしなければいけない。苦しさを向き合ったとき、その人の本当の姿が現れる。当然のことだと思う。以前、makinoが練習に来た時に「練習がきつかったら晩御飯のことを考える」と言っていた。目の前の苦しさではなく他のことを考える。「きつい」「苦しい」とだけ考えていても何も生み出さない。やるべきことではない「苦しさ」にだけ目が向いてしまうから。

 

以前から話をしている。「声を出せ」という部分。これは雰囲気を盛り上げるためというのもある。それだけではなく「声を出すことで苦しさを紛らわす」という要因もある。練習をしていて苦しいのは自分だけではない。他の人も同じ。声を出さずに下を向いている間は「自分だけがこんなに苦しい思いをしている」という気持ちが出てくる。組織としてどこに向かうの。一人ではできない。だからチームとして支えあう。

 

「弱いチームは”ごっこ”の空気がある」と書かれていた。ごっことはそのように見せてあるだけで、そうでない状態を示す、と。まさに。「自分は頑張っている」という雰囲気を出す。それは「練習ごっこ」だと思う。本当にやるべきことができていないのに「やっているという空気感を出す」こと。それにより自分たちに酔う。こんなにやっているんだという満足感が出てくる。本当に必要なのはそこではない。実際に強くなるために何をするかだと思う。

 

繰り返し伝える。伝わるかどうかは不明。それでも本気になれば行動自体が変わってくる。それは紛れもない事実。しっかりと考えてもらいたい。「考える」を奪うのではない。時として「考える」場面を設定することは必要。何を求めていくのか。私自身考えたい。

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ひたすらやる

2019-06-01 | 陸上競技

前の記事が微妙だったので続きを書いておきます。

 

30分以上は各グループで話をさせました。これまでの経験上、この時間を有効に使える者と単に過ごすだけの者に分かれます。「自主性を重んじる」という表現。私自身もこの部分は大切にしていきたいと思っています。しかし、今の状況は違うのではないか。「自主性」というきれいな言葉にごまかされて本当にやるべきことができていない。それではどれだけやっても進まない。ここは重要なことだと思っています。

 

細かい部分は必要だと思っています。それはある一定水準の「競技意識」になってからではないか。今はもっと根本的な部分が足りない。競技に向かう姿勢も含めて1からやり直さなければいけないと思っています。そこまでしてやる必要があるのか。どのような評価を受けるのかはわかりません。構わないと思っています実際に目の前で見ている現実を受け止める。見ている人にしか分からない部分。

 

体幹強化サーキットを実施。シーズンに入って回数を少なくしてセット数も半分にしていました。この部分も影響していたのかもしれません。技術練習や走練習の時間を確保するために気が付けば必要な練習が不足していた。その部分を取り戻したいと思っています。冬季にやっていた量に戻しました。県総体前の木曜日にレースに出ない者だけ同じように練習をさせました。上半身下半身のメニューを終える時点で45分間かかる。これではほかの練習ができません。

 

今の取り組みの様子を見るために「最低でも30分で終わらせる」という話をしました。30分経過したらその時点でメニューを打ち切る。そういう指示でした。かなり必死にやっていました。こちらも厳しい話をしていますから当然です。これで必死になれないようであればこれから先どれだけ練習をしても効果は出ないと思います。もちろん取り組みに差はあります。丁寧にやる者となんとなくやる者。そこに対していちいち練習を止めていたら今の状況では進まないなと判断してやり続ける。

 

一番速い者は18分くらいで終わりました。木曜日の3分の1の時間です。30分くらい違うのです。これは何を意味するのか?結局、この2か月間毎日毎日こういう「省略できる時間」があったのです。もちろん、1年生がすべて同じようにできるとは思っていません。できない部分があるので時間がかかるのは当然です。それでも2か月経過した今でも「30分違う」のです。

 

「できない者」に合わせる。これは教育場面では重要なことだと思います。「遅れている者を救い上げる」という視点は必要になる。しかし、今の状況でそこに合わせると本来の目的である「一生懸命にやりたい者」が十分な満足を得られることができない。2か月間の練習不足の要因は間違いなくここにあると思います。ある程度別メニューで実施していたのですがここに私の甘さがあったと思います。「待つ時間」を作ってしまったので十分な練習ができていなかった。途中で切ることも必要だと感じました。

 

休まずにDM∞をやってその場での「DM投げ1」をBDとの組み合わせ。見ているととにかく「弱い」なという印象を受けました。DMを投げるスピードがない。もっと勢い良く投げていかなければいけないのに目的が「投げる」ことになっている。DMとBDの組み合わせに関しても同様。もらった瞬間に固めることができていない。こういうことだと思います。すべてに関して「作り直す」必要がある。一切休む必要なくやり続けることにしました。

 

この日はメニューを作成していない。私自身の時間がなかったのもあります。必要なことをその場で判断して実施していく。それでいいと思いました。2時間程度の練習になるのでひたすらやることのほうがいいかなと。走る必要はないと思っていたのでトレーニング系をひたすらやることにしました。

 

その場で思い付きでやったのでどれくらいのトレーニングをしたのかあやふやですが。意図的に苦しい場面を作っています。人は苦しくなると本当の姿が見えます。大体でやる選手と1回でも負荷をかけようとする選手。この違いは「教えてできる」ものとは違っています。本人がどれだけ「競技に目が向いているか」だと思うので。「声を出す」ことを言い続けています。このことはまた別に書きますが「瞬間最大風速」のように一瞬だけ声を出す者もいます。これは意味がない。何のためにやっているのかを考える必要があると思いますね。

 

ある程度やって「補強サーキット」か「シャフト補強」をやることに。Toにどちらがいいかを選択させると「どちらもやる」ということでした。その意見に従って実施。時間が少なくなっていたので補強サーキットの量は少し減らしました。体幹強化サーキットと種目が重なる部分もあるので。ある程度のことをやる。

 

さらにシャフト補強。2年生は重さを増やしました。3月の途中から明らかに補強が減っていました。シャフト補強自体をやった回数はかなり少ないのではないか。ここにも大きな問題があります。冬季練習中にnaoやmichiにシャフト補強をやらせたのですが少し弱くなっている気がしました。少し重いシャフトを学外で使ったときに」「重くてできない」と口にしていました。その部分も重要な要素だったと思います。

 

シャフト補強は正確にやればかなり負荷がかかります。。しかし、きついのでいつのまにか楽をしてしまう。さらには苦しそうな場面を見るのは私自身嫌だったのでシャフト補強の頻度が減っていた気がします。これは私の甘さ。やはり「どんな状況であってもやるべきことはやる」必要があるのです。軽くなっていたことで本当に必要な筋力がつかなくなる。もっともっと私自身が厳しく対応しなければいけないと思います。

 

ある程度の負荷をかけました。細かい部分もありますが、「ひたすらやる」ことにする。中国大会がない。その意味を痛感する必要があります。他の選手が上を目指して取り組んでいる。自分たちはその場にとどまっている。女子に関してはそのことを感じ続けなければいけないと思っています。男子は「自分たちが奪った時間」に対しての責任を感じ取る必要がある。

 

考えてやる。すごく大切だと思います。考えてできない選手が多くいる現状では「ひたすらやる」ほうが明らかに効率がいい。教育的ではないといわれるかもしれません。しかし、一定水準までは「考える」という前段階です。小学生がよくわからないけどひたすら足し算をするのと同じ。まずは「覚える」ことです。練習をするということが何を意味するのかを肌で感じる。

 

しばらくこの手のblogになると思います。ひたすらやっていますのでそのメニューを書き続けます。お付き合いください。

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