kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

1/8と4/4の意味

2019-06-19 | 陸上競技
思うことを。前向きな記事になっていないので良くないなと思いながらも。
 
「我慢するように」と言われ続けずっとずっと我慢してきました。あまりにも理不尽であまりにも失礼極まりない部分。それでも耐え続ける。今の仕事は怒りを露わにしたら負けです。本質的な問題があっても全く違うところへ飛び火して「悪いのはこちら側だ」という形になる。間違っている部分を指摘するとそれに対して言葉狩りをされてダメージを受ける。教育機関は「サービスを提供する場」なのでしょう。サンドバッグなのかノーガードで打たれ続けているのかよく分かりませんが。
 
月曜、我慢して我慢して生きていました。先週からの流れの中でどこまで我慢していくのか。理不尽さを受け入れる。相手が100%間違っていて周りもそれが分かっている。それでも本人は気づかない。裸の王様と同じではないか。裸の王様の童話では「おかしいのではないか」と王様も自分を疑っていた。が、全く疑わないというのもあるのだと知った。自分さえ良ければいいのか。指摘しても全く伝わらない。かなりのストレス。
 
そんな中であれこれやる。7時間授業なので練習時間は17時すぎから。一旦練習から離れて戻る。その時点で練習に参加している者がかなり少ない。私が離れている間に1人体調不良となり帰ったとのこと。他の顧問が帰らせてくれたようです。が、実際に走っているのは男子が3人、女子4人。男子は8人います。4人は練習を抜けています。
 
私が戻ってきて4人のうち1人は私のところへ状況を報告しにきました。先週から足の痛みがあったので整骨院に行った、と。ここの整骨院はmto先生の治療院。きちんと対応してくれていると思います。が、他の者は一切何も言わずに「当たり前」のように補強をしている。驚くくらい一切走るためのことをしません。最初から補強をするつもりで練習に来ているのだろうなと感じる部分がありた。こちらも「礼」を欠く態度に対して指導する必要はないと思います。これまで何度も何度も「報告をするように」と言い続けていますがそれでも勝手にやるのだから。教育という意味では失格なのかもしれないですね。
 
それほど大きな負荷をかけることはありませんでした。基本的なことをやってそこから瞬発系シャフトをやって短い距離を走って最後に走練習。1時間40分くらいしかできない状況だったので量を極力減らしました。
 
その途中で男子が1人「具合が悪くなったので抜ける」と言いにきました。無理はさせられません。無理をさせて倒れたら全て私の責任になります。賠償請求をされたり責任を問われる可能性がある。指導することに関して現時点ではリスクしかありません。申して出て来た者、スパイクを脱いだら座って笑顔で話をしています。補強をしている者たちと楽しそうに話しをしている。これはどうなのか。離れて休むように指示だけ出しました。
 
 
走練習になった時にもう1人「体調が悪いので何本か抜けて走りたい」という申し出。「走らずに休んでくれ」と伝えました。これにより練習に参加している者は男子が8人いて1人。女子が4人いて4人。この意味です。1人が抜ければ自分もという流れ。指導に関してはきちんとやっているつもりでした。が、全く伝わっていないのだろうなと感じがありました。
 
県内や全国の部活動で全体の1/8しか練習をしないという活動があるのか。50人部員がいて4人しか練習していないというのと同じ。「練習の内容が悪いからだ」という批判も甘んじて受け入れる必要はあるとは思います。しかし、4人しかいない女子は4人練習しています。こちらは100%の練習参加率。この差はどこにあるのか。
 
少しでも痛みがあったら「走らなくていい」という雰囲気があるのだと思います。もちろん、痛みがあるのに強制して練習をさせたという状況になると私が矢面に立つことになって活動自体ができなくなるのでしょう。全国で身体が全く痛くない状態で常に万全の練習をしている人がどれだけいるのか。シンスプリントになれば一切何もせずに補強だけを数ヶ月やり続けるという部活動があるのか。私にはわかりません。
 
同じことをやっていて。いや、正確には女子と比べると練習量は半分以下だと思います。それでこの状況というのはどうなのか。事実として1/8と4/4という部分がある。練習云々、指導云々を批判されるとしても仕方ない。
 
練習時間は「ケア」をする時間ではない。練習をする。そのための時間。補強に関しては何も報告されないのでこちらも指示は出さない。これも無責任と言われるのかもしれない。しかし、何でもかんでもこちら側の責任が問われるのは違うのではないか。そういう状態のあれば「何もしない」という権利が我々に与えられてもいいのではないか。メリットはほぼ0。リスクのみしか存在しない。それで何を求められるのか。
 
公開するには相応しくない内容なのかもしれません。事実だとしてもそれを示すのは批判される大きな要因になる。ここもリスクしかない。アクションを起こせばリスクが生まれる。起こさなくてもリスクが存在する。指導すればその一部分を切り取られ批判される。そして事実とは異なる噂を流される。それが現実なのだと思います。
 
陸上競技を通じて教育活動をする。それを目指していむす。ツールとしての陸上競技。しかし、現時点ではその段階に達しません。安西先生に相談したい。しかし、現実問題それはできません。どうするべきなのか。部活動全員加入制というのはすでに今の時代に即さないのかもしれない。強く感じます。学校によってシステムは違うでしょうが。
 
上手く書けません。オブラートに包みながら書くというのはやはり難しい。耐え忍びます。サンドバッグとして生きていくしかない現在。耐えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする