kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

信じられない現実

2019-06-20 | 陸上競技

前の記事にあれこれ書きました。ご心配をおかけしているようで・・・。病んでいるというか教育は無意味なのではないかと感じる部分が大きくあります。教育者という感覚はありません。しかし、放任するほどではない。最低限のことは預かっている時間だけはしなければいけない。それができないので16時50分までという考え方も出てくる。間違っているといわれたらそれまでですが。

 

前の記事、1/8しか練習していない現状を見て愕然としました。これは何なのか。穏やかに過ごしていましたが、さすがにこれはないだろうと。報告もなく抜けている者が多数いるのでそれも「おかしいのでは?」と感じていました。これまで何度も何度も注意していますがそれでも「無断で休む」という現状。走らずに何をしているのかといえば「適度な補強」です。火曜日はシャフト補強もしていますが負荷のかかる種目は一切やっていませんでした。「足が痛い」というのであれば上半身はできるのでは?体幹はできるのでは?

 

そう感じたので30分程度、私がその場に付いて補強をさせました。スクワット100回、V字腹筋30回、背筋30回。これを何セットも繰り返しました。更に腹筋MIXを2セット。足を上げるのに腕で支えている者も。

 

誤解なきよう書いておきます。練習を強制的にやらせるつもりはありません。参加の有無や継続の意思は本人たちに任せています。毎回、負荷の高い補強系になると「体調が悪い」「足が痛い」という姿を示す者もいます。「具合が悪いなら帰っていい」と本気で伝えています。帰りませんが。帰らないように無理強いしていると思われるのも違います。本気で帰っていいと伝えています。

 

何人かは数週間、ほとんど走りませんでした。走らないと練習にならない。シンスプリントが完全に治って痛みが引くまで待っていたら練習にはならない。そのことも繰り返し話し続けてきました。それでも走りませんでした。比較的きちんとやっている者が「痛い痛いと言っているが全くケアをしていないのだから当然ではないか」と書いていました。まさに。しかし、それは伝わらないのです。

 

木曜日。前日まで全く走る様子がないのでこちらが別メニューを作ることにしました。「補強組」として。陸上競技部としての活動をしたいと思っています。しかし、毎日毎日軽く補強をしているだけの活動では陸上競技とは縁遠い。前日に話をしていました。前任校の選手。kanaが高校1年生の時は全くケアもせずに何かあれば「痛い」といっていました。県合宿に選ばれましたが参加できず。その時にエアロバイクをひたすら漕がせました。他の者は走っています。それに見合うだけの負荷をかける。スクワットも組み合わせてひたすらやり続けました。

 

そのタイミングで我が師匠に整体をしてもらいました。硬くなっている筋肉を弛めてもらう。本来であれば硬くなる前の段階でやっておかなければいけないのですがそれをやっていない。痛みを伴いますが筋肉を弛めてもらいました。かなり泣いていましたが・・・。それ以後、「別メニューでやるのは絶対に嫌だ」と言うようになりました。どこか痛みがあれば自ら整体に行って身体を弛めてもらう。自分の身体に対して気を配るようになる。その結果、怪我もせず劇的に走れるようになった。そんな事実があります。

 

そこである程度のメニューを組むことにしました。火曜日に一部分だけやったメニューをしっかりとさせようかと。きちんとやることを覚えなければ「適度にやるだけ」になってしまうからです。もちろん、常識はありますからありえないメニューをさせることはありません。冬季練習中に上級生がやった補強メニューを一部分抜粋して組直しました。補強だけを3時間近くやった日があったのでそのメニューをアレンジして。

 

放課後の練習、別メニューを提示しました。練習開始前にこれまで走っていなかった者が全員「走るメニューはできるので全体と一緒にやる」と申し出てきました。は??という感じでした。何日もウインドスプリントさえもやっていない状況。それがいきなり「走るメニューはできる」という話になる。どういうことなのか。徐々に練習量を増やしてきて走るというのが「通常の感覚」だと思います。しかし、いきなり「走るメニューはできる」と言う。

 

走れないからこれまで「適度な補強」をやっていたのではないのか。毎日毎日倒れるまで追い込む必要はないと思います。しかし、普通の者は毎日負荷をかけて練習をしています。座って話をしながら適度に補強しているというのはさすがに違うのではないかと思ったので「走れない者のためのメニュー」を別途作ったのです。その瞬間に全員が「走れる」と言い出す。

 

私が我慢しきれないからなのかもしません。それはあまりにも失礼ではないか。自分たちが「できない」と主張していたのでそれに合わせて別のことを準備する。準備した瞬間に「できる」と言い始める。わざわざ時間を作って別メニューを作りました。そのことに対する侮辱だと思います。高校生だからそんなことを言う必要はない。そうなのかもしれません。

 

何も言う気にならず。見ていると普通にスパイクを履いて全力で走っている。一人は「スパイクで走るのではなくシューズで走る」と申し出てきました。百歩譲ってこれが「最低限のマナー」だと思います。全く走っていなかった者がいきなり全力で走るということがあるのか。その様子を見ていて「私は何のためにここに来ているのか」という無気力感に襲われました。

 
きちんと目標に向かって練習している選手が「今の走り見ていましたか?」と聞きに来ましたが「全く見ていない」としか返答できませんでした。本当に見ていなかったからです。こんな現実を目の当たりにしてそれでもまだ私に指導をしろというのか。きちんとやっている選手には申し訳ないと思いますが憤慨していました。怒るというか向き力になるというか。
 
私の感覚が狂っているのかもしれません。顧問だから指導するのが当たり前だ。練習メニューを作るのが当たり前だ。そういう主張もあると思います。また、全員が競技志向ではないので適度に身体を動かすことを否定するのは間違っていると言われるのかもしれない。私の価値観や考え方が全てだとは思いません。しかし、さすがに酷くないか。
 
先日の新聞に「競技をやりたいならクラブチームでやればいい。部活動は適度にやる者が所属するべきだ。」という高校生の投稿がありました。そうなのかもしれません。一生懸命にやることを教えるのが教育だと信じてきました。出来る出来ないではなく物事に取り組む姿勢を身につける、それが教育だと。かなり話をしてきたつもりでしたがここまで酷い扱いを受けるのはどうなのか。
 
やりたくないなら16時50分までやって帰っていい、帰って欲しいと訴えてきました。その結果がこれ。きちんとした練習はしたくない。補強の負荷を上げればそちらの方がキツいので走るという。これは普段からメニューを考えている私に対する侮辱ではないか。普段から誰にも出来ないメニューを提示しているわけではない。きちんとできている者もいるのです。それなのにこの現実。
 
時間を使っています。私自身の人生の時間を削って練習メニューを作っている。今回のことで完全に踏み躙られたと思います。大袈裟でしょうか?私が悪いのでしょうか?
 
これでもかなり抑えながら書いています。blogを見ている方は「事実ではないだろう」と感じるでしょう。私の一方的な意見でしかない、物の見方でしかない。そう捉えられても構いません。
 
陸上競技がしたかっただけです。きちんとやっている者に合わせて進めていただけです。間違っていたのかもしれません。
 
きちんと書きたいとは思っています。それが本当にできるのかどうか。私の主観で記しているだけかもしれない、
一方的なモノの見方。私の考え方や価値観が狂っているからこんなことが起きるのかもしれない。考えたいと思います。
 
不適切かもしれない。削除するかもしれません。雉も鳴かずば撃たれまい。まさにその通りだと思います。
コメント
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