kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

最近の練習について

2019-06-26 | 陸上競技

とりあえず練習について。全く触れていないので。

 

テスト週間に入ったこともあり練習は1時間程度としています。前の記事にも書きましたが「可逆性の原理」についてのプリントを配布しています。練習をどれだけするか。「適度に体を動かす」というレベルでは身体は「日常生活を送るレベルの体力」に戻ってしまいます。当然の話です。ここまで言ってやるかやらないかは私の関知するところではありません。無理やりやらせて結果につながったとしてもそれは本人のプラスにはならないと考えています。

 

考査期間中の練習パターンは3つ。

 Aパターン

バランス系 → 体幹補強系 → 加速段階T走 → TDM走

 

Bパターン

BCT → シャフト補強 → スイッチング&片足スキップ → 合流走 → 60mバトン

 

Cパターン

 軸系 → 瞬発系シャフト → ハードルジャンプ →DM投げ → スイッチングラン → 10バトン → 25並走 → 走練習(120)

 

という感じです。それほど負荷はかけられません。1時間程度ということで限られています。そうなるとドリル的な動きは一切省略。そこに時間をかけている暇はない。絶対に1時間で終わらせると決めていますから時間が来たら切ります。これはこの数か月間で学びました。

 

「体幹補強系」と書いているのが上半身と下半身の強化メニューです。サーキット形式でやっていきます。少し前までは最後にやっている者を待つことにしていました。しかし、これは意識の差が顕著に出ます。18分で終わる者もいれば25分以上かかる者もいる。負荷をかけようとしているかどうかによっても変わってきます。今はこの練習は20分できることにしました。待つ時間がもったいない。

 

私の大学時代。サーキットで負荷をかける。強くなるために練習をしたいと考えていました。が、全員が同じではない。話しながらやっている者もいました。適度に動いて適度に負荷をかける。待ち時間はかなり。多分大学院の時だったと思うので当時のキャプテンと「練習のあり方」について真剣に話をした記憶があります。集団でやることなのである程度は仕方ないと思います。しかし、そうではない部分もある。温度差が大きければ大きいほどこういう時に軋轢が生まれます。どの水準に合わせるのかというのは難しい。

 
時間で切るようにすると毎回同じメンバーが途中で辞めることになります。それに対して「やるべき練習ができなかった」と思うか「楽できたラッキー」と思うか。この差は大きいと思います。前の記事に書いたように適度に身体を動かしたいと望む者であれば疲れなくて済んだという感覚なのかもしれません。
 
先日tbで指導した時にはこの基本パターンをアレンジしておこないました。テスト期間にやっているメニューというのは「必要な要素だけを残している」ものです。やりたい動きの基礎になる部分を抜き出しています。1時間という限られた時間の中でやろうと思えば重要度によって選んでいく必要があります。
 
毎日必ず補強的なことをやります。ここは外せません。走るメニューも大切だと思いますがそれ以上に筋力的な部分を落とさずにこの期間を過ごすというのは大切だと考えています。基礎的な体幹補強であれば自宅でもできるかもしらません。道具を使ってそれなりに負荷をかけようと思えばグランドでしかできないと思います。
 
トレーニングだけをしても仕方ないのできちんと走る。走らなくても走りに繋がる負荷をかけて終わる。ここもやり続けたいと思っています。選手には勉強の合間には補強をするように話しています。これもやるかどうか分かりませんが。この期間中に練習に参加している者はある一定水準以上の取り組みのレベルだと思っています。まだまだ求めるレベルには届きませんが外に出しても恥ずかしくない。
 
数年前のこと。事あるごとに「練習をやりたくない」と周りに口にしている者がいました。周りもその発言を聞いて気を使っていました。あまりキツく言うと辞めてしまうかもしれないので。県総体で後一歩でリレーで中国大会という所まで行っていたので、負けた時には「次は絶対に」と言うのですが翌日には「やりたくない」と口にする。私がいない所で。何度も何度も繰り返して夏の合宿でも同じようなことが。合宿に来たけどいきなり「辞めたい」と言い出す。この時はhys先生が話をしてくれました。県新人まで持ちましたがその後また「やりたくない」と言い出す。繰り返しでした。
 
この時合宿で他校の先生に「取り組み」について指導をしてもらうことになりました。最も基本的な部分を他校の先生にしてもらう。本当に情けないなと。普段の指導が明らかにこういう場面に出ます。他校と一緒に練習をしたら「自分達はできていない」と気づくのではないかという指摘もありました。確かにそういう部分もあるかもしれません。が、外でやるほどの水準に達していないのであればそこに至るまでは自分のところで最低限のことまではやっておかなければいけない気はします。
 
練習だけをするつもりはありません。こういう限られた時間だからこそ考えるチャンスになる。メニューはそういう部分も含めて考えてやっています。
 
とりあえず練習について触れておきます。また書きます。
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集団の在り方

2019-06-26 | 陸上競技

とりあえず記録として書いていきます。

 

先週末は2日間tb高校へ。その前後に現状を打破するためにどうするかを考えるようになりました。金曜日にgt先生と一緒に食事に行ったこともきっかけです。しっかりと今自分がやるべきことは何かを考える。「やりたいからやる」というのをどれだけ認めるか。これも価値観。ストレスを感じている部分を吐き出すこと、共有することでずいぶん楽になりました。

 

以前、赴任した当初に考えさせられる出来事がたくさんありました。私が不在の時に部室から出てこない。他の者が練習をしているのに。さらに補強をしているときに話しかけたり、一生懸命やっているのを茶化して邪魔をする。あまりにもひどいので選手から「練習ができない」と申し出がありました。

 

全員加入の状況ですかr「辞めれば?」と伝えてもなかなか難しい。「なんで面倒を見てくれないのか?」と言われることもありました。放課後に時間をつぶすための相手をすることを求められるのです。それは違うのでは??という憤りがかかりありました。当時は「籍だけ置く」ということにして練習に来ないことに。「陸上競技部に在籍した」という事実が大切なのだと思います。

 

本来的には「所属していたこと」ではなく「その中で何をやったのか」が重要です。一生懸命に物事に取り組む過程で見えてくることがある。上手くいかないことであってもそれを乗り越えていく。「嫌だからやらない」というのはこれから先の人生ではありえません。その手の話もし続けています。当時は全くでした。もうこれは仕方ないかなという感じではありましたが。「面倒を見ない」と批判された時にはかなり憤りを感じました。一生懸命にやる選手に合わせることが必要だと考えてやっています。「やりたくない」という者に合わせてこちらが指導するのは如何なものか。

 

とりあえず体を動かしたいから部活動に参加する。そういう「受け皿」も必要なのかもしれません。しかし、そうなると競技とは別問題です。「自分はきちんとやっているのに評価されない」と感じる者も出てくるかもしれません。そこまで「一生懸命やる」つもりはないという者もいるでしょう。そうであれば受け入れ側も考えていく必要があるのではないかと感じています。

 

これまで通りのシステムでは難しい。「一生懸命にやる者」と「適度にやりたい者」が同じ空間でやっていくのは困難を極めます。これまで「強豪校」といわれる学校に練習見学に行ったことがあります。強い選手もいれば普通の選手もいる。選手を連れて行ったときにうちのほうが強いということだってあります。全員が「全国区の選手」ではない。しかし、共通しているのは「全員が一生懸命やる」という部分です。走力がなくても自分よりも強い選手と競争するという姿勢がある。負けたら本気で悔しがります。それが非常に大事だと思っています。

 

「力の差」はあっても「考え方の差」はない。今の自分よりも少しでも強くなろうとして練習を積み重ねる。それが大事なのです。「所属しておくことが目的」というのとは根本的に違います。これまでの指導の中では「全員を一生懸命に取り組ませる」ことを目指してやってきました。もちろんその中で上手くいかないこともたくさんありました。本気になれない者が多いときには「一生懸命にやる者」を集団で引きずりおろそうとする。組織作りとしては非常に難しい。

 

「ダブルスタンダード」という言葉があります。ある集団には「一生懸命やる」ことを求める。ある集団には「ルーズでも仕方ない」と認める。こういう部分がでると間違いなく集団は崩壊します。きちんとやっている者が「なんで自分たちはきちんとやっているのにあの人はやらないで許されるのか」という不平不満が出るからです。組織を作るためには「二重規範」を作らないというのが重要になると思っています。

 

しかし、今の現状やこれからの学校現場を考えるとそれは「認めざるを得ない」という状況を迎えるのではないかと思います。上述の強豪校であれば「一生懸命やる」という一定水準がクリアされています。だから力があるないは別にして組織が成立する。「全員加入」の組織であったり、「温度差」が激しい組織であれば間違いなく崩壊します。「基準点」が明らかに異なるので同じ物差しでは測れないのです。

 

「運動部に所属していたほうが進路に有利」という考え方がいまだに残っているのかもしれません。企業側も「運動部に所属している者が良い」と昔ながらの物差しで考えるのかも。実際は「何をしてきたのか」が重要。組織に属していたから成長して力がついているとは限らない。これまでの私は「全員がきちんとできるようにして送り出したい」という感覚がありました。「そこまでやらなくてもいいのでは?」と言われることもありました。それでも「教育活動」としては「やらないなら別にいい」と認めるのはよくないなと感じてやってきました。

 

これから先。どうするかを考えていくと「二重規範」で組織を作る必要もあるのかなと。最初から「住み分け」をする。本当に「一生懸命にやりたい」と望む者はそれに応じた指導を。「とりあえず身体を動かしたい」と望む者はそれに応じた指導を。同じ集団に属して活動するのは難しい。そうであれば「住み分け」をすることが重要なのではないか。「部活動の在り方」がこれまで以上に問われる。そんな中で「一律同じルール」でやるのはシステムとして限界が来ていると思っています。

 

全員が「一生懸命にやる」という集団であればこのような悩みは生まれないと思います。本来であれば「強くなりたくてやる集団」が基準になります。そうでない場合はどうするか。考えた時、方向性としては「集団を分ける」という選択肢もありかなと。それぞれが「納得」できる形でやっていく必要がある。「それなりにやりたい」と思っている者に「一生懸命にやる」ことを求めると技術指導ではない部分で「弊害」が生まれます。これは経験済み。

 

まとまりませんが。この手の話はこれくらいにしてきちんと練習についても書いていきたいと思います。

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