思うことを。
競技を通じて何を思うか。何を考えるか。ここはすごく大切なことだと思う。何が必要なのかを見失うといいことにはならない。もちろん、競技で結果を出すことは大きな目標の一つ。結果を出しさえすればそれでいいのか。それも違う気がする。これは価値観なので人それぞれだと思う。何が正解で何が間違いなのかは誰にもわからない。
部活動は教育活動。その部分は外せない。競技だけやるというのであればどこでもできる。価値観の変容があるかどうかも大きい。毎日指導をしているとどうしても「近視的なものの見方」になりがち。その時その時良ければそれでいいという感覚になってしまう。ここは気を付けなければいけないなと感じている。それが長期的に見て本当に「生活につながるのか」は重要な部分。
これまでは「100%求める」という指導観だった。これは互いに息が詰まる部分がある。が、教育として「目指すところ」があってそれに向けて進んでいくためには「明確な理想」が必要になる。これも考え方。自分自身、「妥協する」というのが苦手。妥協すると良いことはない。しかし、全ての選手に100%を求めるのは難しい。だから「生きにくい」と感じるようになる。私自身、社会不適応なのかもしれないと思うことは多々ある。
目指すところははっきりと持ちたい。しかし、そこに向かう過程で全てを完璧に求めていくのはほぼ無理。だからといって適当にやることを許すことも違う。兼ね合いが非常に難しいというところがあります。「やればいい」という部分を許容するかどうか。自分の中での感覚。折り合いをつけながらやっていかなければいけない。
鍛えられていない。それはあると思います。のんびり過ごしていたらなんとなく時間は過ぎていきます。緊迫した場面でなければそれでも過ごせる。普段の学校生活はそこまでのプレッシャーはかからない。当たり前の話だと思いますが。
実社会ではどうだろうか。今では何かあったら「パワハラ」という言葉で済まされてしまう。問題点を指摘したらそれに対して「何で自分が言われなければいけないのか」という考え方になる。それがまかり通るので結局本人は成長する機会を失う。周りからは「何なんだろう」と思われながらも関係なく生活を送る。ある意味幸せだと思います。周りからどう思われても「自分は関係ない」と思えるのだろうから。裸の王様の話。思い浮かべて貰えるとイメージできるのかもしれません。
高校でも同様のことがある。何か指摘したら保護者が出てくる。一方的な話を聞いていて「この対応は何か?」と言われる。現場で様子をみていたらそんな話にはならないのだが、伝聞で一部分のみの話になるのでこれは厳しい。品行方正できちんとした高校生活を送っているというイメージを持っているのかもしれない。問題点を問題だと思わないから好きなことか言える。
このご時世、話をしたら録音されて一部分を切り取られる。前後の話は関係なく「発言」の一部分だけで批判される。本当の内容が分かったとしてもそれに対して謝罪は一切ない。我々は完全に受け身になる。指導しないことが今の生活の中で唯一自分自身を守る手段なのかもしれない。結局悪いのは指導している人間だというレッテルが貼られる。事実とは異なる噂を流されることもある。やってられるかという気持ちは常にある。
だから指導しない。注意しない。それは本当に意味のある行為なのか。事なかれ主義。それが一番楽だと思う。気になった事があっても指導しなければトラブルは起きない。話が伝わらないのであれば一切言わないという部分があれば何も問題にならない。その時に生徒の成長云々はほぼ関係なくなる。
我々の仕事は「目の前のこと」だけではないと思う。将来的にどうするかという部分まで含めて考えていかなければいけない。そうであれば現場で指導しなければいけない。しかし、それが出来にくい状況がある。この数ヶ月、かなりエネルギーを使っている。これから先毎年毎年このようなことになるのかと思うと正直、もうやりたくないなという気持ちが大きくなる。それくらいのストレス。
どの仕事であってもストレスはある。分かっている。人と人との関係の中でストレスを感じる。今の指導の中で同じようなストレスを感じている人が多くいるのは確かだと思う。
常に100%を求める。それは少しやめようと思う。苦しすぎるから。かといってそれをどのレベルにするのか。そこは考えたいと思う。絶対に譲れない水準は決めるがそれ以外は多少流すことも必要かなと思う。高校時代、「自分はきちんとやっている」という感覚が絶対にある。話が伝わらないなと感じるのは「自分はやっている」と思っているから。客観的に自分の行動を見る事ができないからどれだけ言っても伝わらないのだと思う。
かなり疲弊している。4月よりは随分良くなったがまだまだ組織としては機能していない。これは辛い。それでもやっていかなければいけない。そう感じている。指導するために何をするか。どこに基準を置くか。
まとまらない。でも記録しておく。