kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

伝わらないもどかしさ

2019-06-22 | 陸上競技
陸上競技からかけ離れた内容を書いています。これが現実です。女子はきちんと練習を積んでいます。1人足を痛めました。肉離れなどではないので様子を見ながらかなと。本来であればこちらに力を注がないといけないと思います。本質とは異なるところに対応しなければいけない。
 
 
水曜日からテスト週間に入りました。成績不振者は練習参加はさせません。これも何度も言いつづけてきたことです。これまで指導をしてきた中でこれだけ成績不振者が出たことはありません。最低限のことをやる。それさえできないというのはどうなのか。進路保証の部分です。
 
水曜日に資料を配りました。ここまでやる必要はなきと思いますが。「トレーニングの原理」について。「過負荷の原理」はトレーニングをやるからには必須の話だと思います。練習負荷は生活レベルでやっていても効果は出ない。少しずつその負荷を増やしていかなければ効果はない。息が切れないような練習を続けていても競技にはならない。こんな話をしても意味はないだろうなと感じながら。
 
更に「可逆性の原理」について。これはトレーニングで得た効果はそれを続けている間は維持できる。しかし、中断してしまうと「日常生活レベル」に戻ってしまう。筋力や心肺機能は負荷をかけ続けなければ低下してしまうのです。こんなことは言うまでもない話ですが。しかし、今の現状はそれさえも分かってもらえない。時々身体を動かしてレースに出たいというのは私の感覚からすれば考えられない。
 
聞けば「速く走れるようになりたい」と答えるでしょう。しかし、それに見合うだけのことはやっていない。表面的にやっているように示しても何の意味もない。そのことに気づいてもらわないと先には進まないと思っています。まー本当に進める必要があるのかどうかもよく分からないですが。
 
成績不振者以外は「翌日からは練習に参加しなくてもいい」と伝えました。この日の行為に対して流石に許せないなと感じていたので。更にはやりたくないと思っている者にテスト週間までやらせる必要はないだろうと感じていたので。冷たいでしょうか。話をしましたが明らかに分かっていないだろうという雰囲気がありました。
 
翌日の朝、何人かが「練習に参加させてほしい」と言いにきました。気持ちを入れ替えてやる、と。申し訳ないですが信頼はできません。この数ヶ月ずっと言い続けてきたにも関わらずほとんど変化が見られないのですから。高校生は未熟だから仕方ない。そんなことは言われなくても分かっています。だったら何をしても許されるのか。言動不一致に関して全てを許容するのか。ここは絶対に違うと思います。「好きにすればいい」と伝えました。
 
放課後、女子の練習に行こうと思って見てみると私の車の周りを男子がウロウロしています。車に行かなければ練習に行けないので近づく。すると「練習に参加したい」と言いにきました。予測はされていましたが「とりあえず言いにきた」という雰囲気が全開でした。否定的に捉えすぎだと言われるかもしれません。しかし、実際にそうなのです。前日のことを一切謝罪するわけでもない。とりあえず「参加したい「と言っているだけ。物事には順序があると思います。「参加したい」と言いさえすればそれでいいのか。
 
グランドに行くと1人は何事もなかったかのように居ました。私には何も言わずに。なかなかです。自分は前日走っていたから指導されていることに関しては関係ないと思っているようでした。頭が痛くなります。どれだけ伝わらないのか。私が悪いのか。
 
かなり具合が悪くなりそうだったのですが我慢。集合したので少しだけ指示を。テスト期間なので練習計画をパターン化しました。ABCパターンで実施。全て1時間程度で終わる内容です。が、前日指導した者達に関しては「練習するのは構わないが私が作ったメニューでやることは認めない」と伝えました。これも批判されるでしょうか。
 
これまで私は自分の人生の時間を削って練習メニューを作ってきました。それでも作ったメニューの全てを消化できない。ダラダラしたり練習メニューをほとんど覚えないので何度も確認する時間がかかって練習効率が落ちていました。数ヶ月経過してもアップで行うメニューを覚えていないというのは...。そんな状態なのに都合のいい時だけ私が作ったメニューで練習をやるのは違うのではないか。そう思っていました。
 
が、全く話を聞いていないのか勝手にメニュー通りの練習を始めました。バランス系とBCTを始める。更にシャフト補強を。いやいや。グランドを使う権利はそれなりにあると思います。私も監督責任を問われるかもしれないので遠目にでも見ておかなければいけない義務があるのだと。しかし、練習メニューを提供するかどうかは私個人の意思だと思います。提供するかどうかを選ぶ権利がある。今回は「提供しない」と伝えている。それでもやる。
 
様子を見ているとシャフト補強の種目も覚えていません。周りがやっているのを見ながらやるだけ。ある者はシャフト補強をこれまでほとんどやっていません。シャフト補強の前になると体調が悪い、足がおかしいと言い出していたので。シャフト補強はキツいので当然嫌だったのだと思います。分かっていてスルーしていましたから私の責任もあるのでしょう。
 
私の中で納得できなかったので翌日に全員を呼んで確認をしました。提供しているメニューでやる資格はないと伝えているのにメニューに参加したのか。「メニューがなかったら何をしたらいいか分からないから」とのこと。いやいや。そんな話ではないと思うのです。やりたいからやるというのであればそれは「権利」なのかもしれない。しかし、メニューに関しては私が自主的に提供しているものです。私が認めないのに勝手にそのメニューでやるのは明らかに違う。前日までは提供しても「キツいからやらない」という感じだったのに都合のいい時だけ「メニュー通りやる」というのはどうなのか。
 
今回の件に関してどのように思っているのか。何が問題なのか紙に書いて提出するようにさせました。許す許さないという話ではなく、自分達がやっていることに対して考えさせる必要があると思うからです。今回のことを保護者に話したのかも確認しました。全く伝えていないという者も。いやいや、それなら私が一方的に厳しく指導しているという話にならないか?きちんと説明しないで私の行動や発言を切り取られてしまえば一方的に私が悪くなる。どうでしょうか。
 
放課後に紙を提出しにきました。見てみると「バカにするつもりはなかったが結果的に先生をバカにした行動をしていた」と。紙に書かれると更に嫌な思いになります。それはどうなのか。事実だとしても「バカにした行動」と書かれるとやはりそうなんだろうなと痛感します。そういう意図で書いたのではなくても文字として見ることで不快な気持ちになります。
 
ストレスというか。無力感というか。何をやっているのでしょうか。
 
少しは練習について書きたいなとは思います。少しは。
コメント
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