kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

記録として・・・

2020-06-07 | 陸上競技
余力が・・・。

木曜日。練習はトレーニングのみにしようと考えていました。疲労感があったので。私は頼まれ仕事で「G-suite」のアカウント設定の手伝いを。別の方が「マニュアル」を作ってくださっていました。それに従って生徒がアカウントを作るだけ。が、結構手間取りました。話を聞いてない。そしてパスワードが安易すぎてはじかれる。これはしんどいですね。大きな差が付きます。これからの時代、間違いなくクラウドを使いながらやっていくことが出てきます。それができないというのは困ります。

練習は補強。新入生はすでに筋肉痛になっているということ。当然だと思います。かなり抑えめにしています。それでも「ハードだ」と思う者もいるでしょう。しかし、これから先のことを考えると「ある程度のこと」を示しておくほうがいいのかなと思います。めちゃくちゃハードだとは思いません。しかし、「ある程度」の負荷をかけていかなければいけない。これが「最初」なのか「途中」なのかの違いだと思っています。ごまかしてやっていてもいいことにはなりません。これまでの経験から「うちはきちんと練習をする」というのをしっかりと示したいと思っています。

それが「楽しいですよ」と感じてもらって入ってきて「補強が多かった」とか思われるのは違うと思っています。最初から「うちはきちんとやる部活動です」というのを示していかなければいけないと思っています。この日も「初めて」練習にきている生徒が。せめて「見学」をしてもらいたいなという部分はあります。「やります」と言われても「どれくらいやるのか分かっていますか?」という部分もあります。何もわからない中で「陸上だったら走るだけだからできるだろう」と思われるのは心外だなと。

気楽にできる活動もあると思います。来ても来なくても「いいよ」と言われるところもあるだろうし、練習しているときにずっと話をしていても「いいよ」と言われるところも。一生懸命にやるのではなくそれなりに「やりたい」というのであれば今のうちの活動に参加するのは「本人にとって不幸」だと思っています。その話も何度も何度もしています。

今、「変えたい」と思っています。色々な部分を。どこよりもしっかりとやる。うちの学校でそこまでやるというのは非常に難しいことだというのは分かっています。しかし、そこに「強制的にやらせる」という感覚がメインになるのは避けたい。「やらされている」というのは面白くないからです。「やらされている」と感じるのであれば「もっと楽しいことをしたほうがいい」と思っています。本気で。

トレーニングは地味です。それでも「走るための基礎」だと思っています。基礎筋力がなければ走れません。やりたい動きもできない。速く走れないという理由の一つに「筋力不足」というのもあります。元々、他競技に比べて地味です。ゲーム性は少ない。短距離よりも長距離のほうがもっと「地味」です。こつこつやっていく以外に方法がない。それでも競技をやる選手はいる。その意味だと思っています。

新入生に教える。重要です。それでも「どこまでやるか」というのは考えなければいけません。最初の段階で「100%」を求める必要性はないのかなと。身体を動かすだけで精いっぱいの子に「技術的な部分」を求めても無理。「なぜやるのか」は簡単に私のほうから伝えればいいのかなと。それで「物理」の部分や「理論」の部分に興味関心や理解をしてくれればいいのではないかなと。

1時間程度で終わらせる予定でしたが2時間近くかかりました。うーん。どうなんでしょうか。細かくやりすぎるというのも良い面と悪い面が同居する感じがあります。ここも見極めかなと。

なんか書きたいことがあったのですがもう眠くて・・・。ここでやめておきます。競技のことが書けませんでした・・・。寝ます。
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なかなか・・・

2020-06-07 | 陸上競技

あれこれやっています。案外余力もなく。毎回のことですが。 木曜日。朝の段階で簡単にミーティングを。良いチームになってもらいたいなと思う部分があります。

 

新入生が入ってくるといつも一時的に「停滞」します。これはどこもあることなのかなと。「競技」をしたいと思って入ってくるのか、「他にはいる部がないから」入ってくるのか。ここも難しいところです。 真面目に「進む方向」について話をしていました。一人、ずっと下を向いています。座って話を聞いている。が、ひょっとして「寝ているのでは?」という感じが。目を閉じているので。指名して「眩しいのか?」と問うと「眩しいです」と。いやいや、完全に逆側です。私が向いている方向から朝日が上がっている。朝日に背を向けている状態で「眩しくて目が開かない」ということが本当にあるのか。

 

これまで「成長を待つ」という感覚でいました。ここ最近は厳しく話すということは極端に減っている。が、さすがにないだろうと。「ミーティング中に下を向く」ということが「競技」にたいしてどう影響するのかは分かりません。が、話をしていても下を向くというのは小集団の中であるのか。

 

「嫌」なら別に活動に参加する必要性はないと思っています。「すべてがやりたいようにできる」のか。「楽しい」というのは何か。それさえも私には分からないなという感覚がありました。 これまで色々なことで「不幸だな」と感じることがありました。「競技をやりたくない」のに「陸上競技部」に入ってくる。それで「きちんとした行動を求められる」ことで「なんでやらなければいけないのか」という気持ちになる。いや、それは本当に「不幸」です。やりたいくないことをひたすらやらされるというのは「望まない」部分です。

 

練習中に「声を出そう」というのを言い続けています。それでも「声を出さない」という選手もいます。「強制」するのは簡単です。しかし、それは面白くない。でも「規律」も何もない状況で「活動」をするのは誰にとって幸せなのか。ここは考えさせられます。 生活は全てつながっています。

 

例えば「たまたま」ということもありえる。普段はきちんとしているが「たまたま」調子が悪くて目を閉じてしまう。これは許せるのかもしれません。しかし、通常の練習中も「だらだら」している者が「ミーティング中」に「目を閉じている」というのはどうなのか。1年前にもミーティング中に2人が寝ていたことがあります。普通の「活動」では考えられない。 「授業」で寝ることも通常であれば「ありえない」と思います。が、「部活動」は「好きでやっている」し「自分のためにやっている」はずです。それなのに「プラスになる話」や「今後の方向性の話」をするときに「目を閉じる」という行為があるのかどうか。私には分かりません。

 

結局、「その場だけ」の指導は何も生みだしません。注意をしてその場だけ「反省」をしているようでも別の場所では「できない」ということが多すぎる。「怒られるからやる」というのは今の私が一番やりたくないことです。誰のためにもならないのだから。そんな話をいまさら上級生にする必要があるのかどうか。

 

私が「絶対的正義」だとは思いません。しかし、ある程度の方向性を示してやっていく必要があると思っています。「やりたいな」と思うことがあってもなかなかできない。それでも「今目の前にあること」への対応が自分の役目だと思っています。分かってもらえない部分だと思います。

 

組織の中での「温度差」が大きい。それだけは間違いない事実だと思います。 どういう方向に進むのか。ここも考えていきたいと思います。自分が何をするのか。ここはしっかりと考えたい。 まとまりませんが。

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