kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

ツールとしての陸上競技

2020-06-24 | 陸上競技

想うことを。

 

7月から『試合再開』という流れが出てきています。各地でまだまだコロナ感染者が出ていますがこのまま「止まり続ける」ことはできない。県外への移動が許可されて2週間後にどうなるか。報道などで「これまで以上に人が集まる」みたいな状況になっている中で「不安」が残ります。なぜ、緩やかに活動できないのか。一気に「解放」されたらまた元の状況になるのではないかという「不安」。見守りたいと思います。外出は極力控えます。

 

学校が再開して1か月近く経過しました。この中で何をしてきたのか。特に何もしていません。通常運転です。特別なことをやろうという気はないです。googleドキュメントを利用して生徒と一緒に「志望動機」を考えるというのは少しだけしました。これまでだとその場で確認しながら修正するということもありましたが、googleドライブ上に生徒が作成した「志望動機」を使いながら互いに編集することができる。「共有」がかかっていると遺事でそれができるようになる。大きなことです。

 

あとは「基礎的なこと」をひたすらでしょうか。「提出物」を出しに来た生徒に「なに?」と聞き直すことから。「先生、これ」とだけ言って提出物を出す生徒もいます。ここに対して「何しに来たのか?」と問うようにしています。「何を提出しに来たのか」というのも告げずに「ものだけを出す」というのは通常あり得ない。が、今はそれが「まかり通る」のです。「遅れてすみませんでした」という一言を添える。そういう部分も「徹底しなければいけない」と思っています。

 

新入生がTシャツを購入しました。「本当に続けるのか」を何度か確認しながらですが。そのお金を提出するときに「封筒」に入れてきます。これは上級生が教えているのだと思います。が、封筒だけ入れて持ってくる選手が半分くらいいます。「何の封筒なのか」「誰が提出したのか」をきちんと記名する必要があります。複数同じものを受け取ったとき分からなくなるからです。「もらった時に教員側が記録を取ればいい」という人もいるでしょう。いやいや、それは違うのではないか??と思います。何でもかんでも「教員側の責任」という形にはしたくない。最低限のことをやるというのは常識レベルだと思います。

 

「休む時に報告をする」というのも同じです。気が付けば練習も「膝が痛いので」と最初の段階で話してあとは何も言わずに勝手に練習っぽいことをしている者も出ています。これはどうなのか。「現状の報告」は当然ながら必要だと思っています。今の状況がどうなのか。どれだけ回復しているのか。また、どこまでの練習であればできるのか。ここがはっきりしないのに「何かをやる」というのは適切ではないと思っています。

 

これもことあるごとに伝えていきます。これまでは「問題ない」と思ってやっていたことが許されない。これは「必要最低限のマナー」を身に付けるためには必要なことだと思っています。単純に「走っておけばいい」とは思いません。それ以外にもやるべきことがある。「走ることだけ教えておけばいい」というコメントをもらったこともあります。それは違うかなとは思います。

 

コロナで「部活動」自体ができなくなりました。「部活動」が学校生活のすべてだと思っている指導者にとってこれは大きな問題だったと思います。「部活動」によって自分の存在価値を示せる。「部活」で「技術指導」をすることで自分の位置を守る。「いつになったら部活ができるのか?」と声を大きくして問う人もいたと思います。いやいや、そういう話ではないでしょう??と思いながら冷静に見ていました。

 

「部活動」なのかどうなのかは分かりませんが、私は「陸上競技」は「ツール」だと思っています。こちらが伝えたいことを伝える「手段の一つ」でしかない。別に他の方法でもよいと思っています。「教科指導」も同様、単純に問題が解けるだけを求めているのではない。その教科・科目を通じて「何を伝えるのか」だと思っています。「答えを出す」方法を教えるのではない。考え方や取り組み方を伝える手段でなければいけないと思っています。ここは重要。

 

「陸上競技」は様々なことを教えてくれます。それは他の人にとって「別の方法」かもしれません。それはそれでいいと思っています。私にとっての「陸上競技」は「伝えるべきこと」を選手に伝えるための手段です。技術的な部分を伝えて「変化」を生み出すこと自体も楽しい。しかし、それは「一時的なものでしかない」のです。それよりは「探究する」という部分。自分で工夫して「自分の走り」を変えていく。言われていることを「自分の身体」の感覚に落とし込んでいって「どのように動かすか」を考える。そうやって自分のことについて理解していく。

 

「身体」を通じての「自己理解」です。それができれば「足は速くなる」と思っています。技術的な部分はこちらで最大限のサポートをします。それは私自身がやりたいという部分もあるので当然のことなのかなという気はしています。しかし、「技術的な変化を生み出す」のが常に私主導では意味がなくなります。自分たちが何をするのか。何のためにグランドに立っているのか。そこからなにをするのか。どうすれば動きが変わるのか。この部分をすべて含めて「陸上競技」だと思っています。

 

珍しく選手が「残って勉強したい」と言っています。「帰ってもいい」と伝えてはいます。が、残る選手が大半。普段から「陸上競技」も「勉強」も同じだと話しています。すべてはつながっています。「物事に取り組む姿勢」は全てに通じる部分です。ここができるようにならなければ「私がいるときだけきちんとやる」という選手になってしまいます。それでは意味がない。

 

この数週間でいろいろなことを感じています。少しずつ文字にしておきたいなと思います。少しずつになると思いますが。

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トレーニングと勉強

2020-06-24 | 陸上競技

火曜日。この日はとにかく暑かった。県内では30度を超えるところもあったようです。健康を害するレベルですね。暑さ対策をしながら活動しなければいけません。

 

練習は1位時間程度。何人かが「勉強を教えてもらうので参加できない」と申し出てきました。別にこの部分に関してどうこう言うつもりはありません。が、きちんと報告ができない。ゴニョゴニョ言っているだけではこちらには伝わりません。ある者は「先生に教えてもらえるということなので」というような言い方をしていました。いやいや、「日常の小テストの結果があまりにも悪いから呼び出す」と伝えられています。ニュアンスが全く違います。自主的に「勉強をするために」行くのか「普段からやらないからなのか」の違いは大きい。結局はこういう部分は競技に直結すると思っています。

 

全ての部分はつながっていると思っています。これは「取り組みの姿勢」が同じだからです。「練習」にだけ一生懸命に取り組んで「勉強」は適当にやる。私が「きちんとやるように」を目の前で見張っているからきちんとできて、見ていない時には「手を抜く」という行動では「何をやっても同じ」になると思っています。結果は火を見るよりも明らか。伝わらない厳しさがあります。

 

この日も1時間程度の練習。バランス系をやってからシャフト補強としました。この時に1年生の女子が「シャフト補強」をしていました。入部当初から筋力がほぼない。腹筋背筋や内転筋などもできない。これは仕方ないことだと思っています。時間をかけて筋力を向上させていこうという話をしてきました。それがこちらから何かを言ったわけでもないのに自ら「シャフト補強」にチャレンジしていました。これまではBでやっていたのでかなり軽い。それでも動きを覚えるだけで大変でした。

 

練習は正直です。きちんとやればきちんと力が付きます。「走力」としてすぐに現れるとは思いません。しかし、「基礎筋力」の部分は一生懸命に取り組んでいくと間違いなく成果が出ます。こういう部分を見ると嬉しくなります。「適当にやる」選手もいれば「一生懸命にやる」選手も出てくる。この「成長」を近くで見れることはありがたいですね。

 

シャフトが終わってから股関節を使うためにランジ。これもこれまで1㎏でやっていたのに2㎏でやっていました。何人かは前日に行った「股関節の意識」をきちんと考えてやっていたようです。「膝を出す」だけではなく「股関節を詰める」ことと「膝を出す」ことを組み合わせて意識していました。こういう雰囲気になるとこちらも見ていて楽しくなります。「強くなりたい」と思ってやっているのです。こちらが伝えたことは吸収されていきます。楽しい。

 

スイッチング&スキップをやってからスプリントミニハードル。メニュー的に少し不足するなと思ったので「タタタ」を入れてから最後にT走。

 

上記のようなメニューなので「動きの確認」をする時間はほとんどありません。だからこそ「本当に何をやるのか」が問われると思っています。全ての種目の合間に「必要なことを意識する」ことができるか。歩いて戻る時間も「練習時間」です。そこも含めて「動きの確認」をすればいい。「ドリルができないから走りが作れない」というのではなく「与えられた時間をどのように使うか」を考えて行動すればいいと思っています。

 

何人かは「かなり進むな」という感じがありました。こう考えると「練習の組み方」も工夫が必要です。毎回、「段階を追って走りを作る」という練習にしていると「考えなくてもよい」状況が作られてしまいます。これは今私がやりたいことではない。そうなると「時と場合によって」は「ドリル系をやらない」という日があってもいいなと思います。その中で「自分で感覚を作る」時間を与える。「意欲」に比例すると思います。

 

うちの選手は「うちの練習」が当たり前だと思っています。残念ながら細かいところまで段階的にやっていくという練習スタイルは主流ではありません。どちらかというとかなり少ない。バーッとやってバーッと走るというチームのほうが多い。「組み立てに最大限の配慮をする」というのはそこまでやりません。慣れすぎないようにしたいなと思います。

 

その後、勉強会。本人たちが望んだので。テスト期間中くらいは私ものんびりという気はしますが、必要だと本人たちが申し出てきたので。「21時くらいまでは大丈夫です」という選手もいましたがさすがにそれは断りました。塾ではないので(笑)。こういう部分でも差がついていきます。やるかやらないか。どちらが自分にとってプラスになるのか。そこまで考えて動けるようになってもらいたいですね。

 

回復期にしています。最低限の練習のみ。考えることはたくさんあります。工夫次第で世界が変わると思っています。

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