金曜日。この日はかなりグランドが悪い。そうであろうと思っていましたがやっぱり駄目でした。木曜日にかなりの雨が降っていたので。仕方ないかなと。
木曜日に「動きの確認」をある程度しました。その中で「感覚がわかる」ことに対しての「楽しさ」を感じていました。もちろん、これは全員に対してではありません。「競技者」にならなければこういう部分をしっかりと考えるようにはならないと思います。「補強パート」のような感じになっている者もいます。これがいつ「練習をする」ようになるのか。何人かはその中でも「必死」になれている感じがあります。しかし、数人は・・・。これはすごい話だと思いますね。「わからない」ということの強さ。「言われていること」が「指摘されていること」がわからないので押し切れます。恐ろしい。
そういうのもあって「補強」をやる部分と「動き」をやる部分に分ける。最初は上級生も基本的な動きの確認に時間を割いて途中からは「補強パート」はそちらをメインに。補強をメインにすると「やっている感じ」はでます。実質意味があるかどうかは本人たち次第なのですが。上級生は「走るための準備」をグランド状態を見ながら実施。
この日は授業が詰まっていました。が、「坂道の走り方」について質問されてそこに対して「私の考え方」を話していたらあっという間に時間が過ぎてしました。「坂道を走る」という行為。速い選手は「接地前半で膝関節の屈曲が小さい」「離地までに膝関節の伸展が小さい」という話。この部分は「1500m選手」の記録の良し悪しと相関関係が高いということでした。「当然の話」だと思います。「速い」からこの局面でその動きをしているのです。この動きをしたから「速い」かどうかは別問題です。なかなか。
その部分の話を練習中に少しすることがありました。また、「膝締め」の部分も含めて。技術的な話をしても「理解しようとするかどうか」は大きい。自分にとって必要かどうかを考える能力が高くなればしっかりと聞ける。そうでなければ「聞いたふりをする」という感じになる。ここも難しいところだなと思います。「興味がない」人間に何を言っても聞かない。このblogに「レッドビーシュリンプ」の話を書いても「なにそれ?」と思う人がいるのと同じです。せめて「陸上競技」自体に興味関心を持ってもらいたいのですが。
やっていて「スイッチング」の動きを見たときに「ずいぶん変わってきたな」と感じるところがありました。毎日毎日変化はあります。その変化に気づけるか。そしてそれを認めていけるか。これは「エビ生活」と同じなのです。しばらくしたら「変わっていた」という話ではない。長時間待ちながら「変化を待つ」部分と「意識して変えていく」部分が必要です。どちらも重要。
グランドが悪いので「走る」というのを極力減らしました。今この段階で「しっかりと走る」ことよりも「丁寧にやる」ことのほうが大事かなと。前半で走るのは「タタタ」だけにしました。そこからシャフト補強をやってハードルジャンプ。DM投げという流れ。
これは後で聞いたのですが「補強パート」で走れない者がいきなり「跳べるかもしれない」といってハードルジャンプを始めたと。いやいや、もう「小学生の集まり」みたいになっています。「この川跳べそうだから跳んでみる」みたいなノリ。これって「指導」によるものなのでしょうか。怪我をしているのであれば「ハードルジャンプ」なんかはできないはずです。いきなり跳ぶことの怖さ。まー今後もこんなことがあるのでしょう。こちらもある程度の「覚悟」を持っておかなければいけないと思います。できる限り「詳細な記録」を残しておこうかなと。こういう時代ですから。
最後に合流走を実施して終わり。本当に走るのは減らしておきました。新入生はこの時点でほとんど走っていません。それでも「痛い」ところが出てきます。不思議です。原因を考えなければいけません。
面白くない内容になりますね。毎年のことですが。これはどうするべきなのか。「強くなりたい」と真剣に考えている選手は練習後に「先生、私のの今の走りの課題は何ですか?」とストレートに質問してきました。これもすごいなと(笑)。こちらもその意欲には応えてあげたいと思っています。何が彼女たちにプラスになるのかを考えていきたい。
難しい世の中です。悩みます。