思うことを。


あれこれ考えることが増えます。授業のこと、生徒に対する指導のこと、競技のこと、エビのこと。まーかなりエビについて考える時間が増えているのは確かです。大切な命を育てるために何をするか。


エビのために何をするか。ここを考えてやっていく。ブラックウォーターを作ることや餌の種類を増やすなどの工夫をしながら。複雑な想いがありますが私自身、レッドビーシュリンプに救われている部分がかなりあります。この子たちを見ているとあっという間に時間が過ぎていきます。毎日変化を見極める。本当に貴重です。このことに関してはまたそのうち書きます。
blogのタイトルを「満たされない」としました。これは今の私にとって切実に感じている部分です。年齢を重ねてきたというのもあると思います。自分の中で「何か足りない」という感覚がすごくあります。このことに関しては上手く言葉にできません。どう表現したら良いのか。「欠乏症」に近い感覚が存在しています。
少し前から「走ること」に関してひたすら考えています。どうすれば脚が速くなるんだろうという部分。周りからの情報をシャットダウンして自分中にある「スプリントに対しての考え方」についてずっと考えています。正確にはずっとではないですね。レッドビーシュリンプのことも考えているので。しかし、大半の時間を「速く走るために何をするのか」を考えていました。
自分の中である程度の答えがあって、それを普段の練習に組み込んでいます。単純に走っておけばいいという感覚ではなく「何故その練習をやるのか」について考える。そしてそれを選手に伝える。テスト期間に入っているというのもあるのでアウトプットすることがほぼなくなっています。これは私にとってかなりしんどい部分ですね。頭で考えたこと、イメージしたことをどう具現化するかということが微妙になります。
今年の1月末から2月にかけて。奈良と京都に行ってその後徳島からお客さんを迎えました。あの数日間の濃縮された時間。どうしてもあの時間と比べてしまいます。そう考えると普段「競技について」考えるという時間がひどく薄いものに感じられたしまうのです。
あの時期、本当に競技のことをひたすら考えていました。これまで自分の頭の中にあったものを実際に目で見る。11月に京都に行った時も同様でした。この数ヶ月間の時間というのは起きている時間は常に「どうすれば速く走れるか」を考える時間だったと言っても過言ではないくらいの感覚でした。京都に行った時は「危ない人なんじゃないか?!」と思われるくらい「競技」について考えてそれについて話をし続けました。
今、自分の中で「物足りなさ」があります。選手に対しての競技指導はかなり充実しています。かなり突き詰めて話をすることが増えています。感覚のすり合わせなども頻繁にします。どうすれば速く走れるのかを選手と話す機会が圧倒的に増えています。こちらが提供することにたいした「なんとかしよう」という部分であったり、「速く走りたい」という欲求を強く感じる部分があるからです。
が、他の場面で「どうすれば速く走れるか」について話すことがありません。自分の中で悶々とする感覚があります。今考えていることをアウトプットしたとしてますそれに対して「そうなの?」という感覚でしか話ができない気がするからです。
京都に行った時、本当に幸せでした。見ていて感じたことをすぐに言語化して質問する。自分が疑問に思ったことや気になったことに関してひたすら話ができる。関西ではそれが当たり前なのかもしれないですが、今の自分の置かれている環境ではそれができません。このことは辛い。mtm先生やysd先生となら延々とマニアックな話をしていけるなと感じたからです。
「どんな練習をするのか?」という話ではないのです。走る時にどんなことがやりたくて、それを習得するために何をするのか。感覚的なものからそれを走りに落とし込むためのもの。そういう部分をずっと話ができるなと感じたのです。それは私にとって本当に満たされる時間でした。周りからすると「なんの話をしているの??」という感覚になるのかもしれませんが。
今そういう話をするのは選手だけです。他の人と話をしないというのあるのかもしれませんが。それだけではなく「走ることとは何か」をアホみたいに突き詰めて話をしようとする時、付き合ってくれるというのがかなり難しいのだと思いです。それは私自身が受け入れていかないといけなあ話なのかなと。練習だけすれば速くなるという気はありません。そこに対して必死に考えて、目の前の選手に対して何ができるのかを考えらのが「指導」なのでないかなと感じています。
私のアホみたいな話に付き合ってくれる人がどれだけいるのか。日常会話では競技に関する話しはほぼしません。間違いなく「何を言ってるのか?」と思われるからです。トレーニングに関しても「意味が分からない」と感じられてしまう。だから会話の中でそう会う話しはしません。それが自分の中でかなりのストレスになります。まーマニアックな話をしても結局は自己満足でしかないので意味がなくなるのですが。
知的好奇心というのか、ひたすら突き詰めた後という部分なのか。これは自分の中で上手く処理できません。しかし、今やろうとしていることがある。そこだけは続けていきたいなと思います。表面的な技術論ではなくディープな話をしたい。が、彼は今の私にとっては粗無い物ねだりに近い。
上手くまとまりません。ストレスは感じています。走ることについて突き詰めて考えたいなと。やりたいことを体現してくれる選手がいる。その子たちにたいしてどのようなアプローチが出来るのか。
考えさせられます。