なんとか卒業式の動画配信を終えることができました。ここだけで私自身のキャパはほぼオーバーフローという感じでしたが。各クラスでのお別れの会が実施されている間に「動画配信」の必要な部分だけ残して「YouTube」で配信できるように編集をしました。これも初めてのことなので上手くできるか分かりませんでしたが。必死にやればなんとかなるものです。
ある程度の時間が経過してから部活動の「卒部式」が実施されました。これまでは自分自身が準備などをしていましたが、今回は立場で気に「見守る」という感じです。メインは私ではありませんし。これまでの流れの中で選手がどのようにするか。私自身思うことはたくさんあります。とはいえ、関わる時間も短かったので何もできなかったかなという部分もあり案す。
式の内容に関しては割愛かなと。3年生がそれぞれ思うことを話していって下級生がコメントを述べて記念品を渡す。その後に顧問からの話。kbt先生が一番思い入れがあると思います。当然の話です。その次にkd先生が話をされる。こうなるとすでに私は「話をする必要性はない」という感じにはなっています(笑)。私の話が必要かどうかさえ怪しい部分ですから。とはいえ、時間を与えられたので少しだけ話を。
私自身、異動となってバタバタしている間に時間が過ぎてしまった部分があります。本当に選手に向き合えたか。もっともっとできたのではないか。それはずっと残っています。男子の400mHのHoくん。「インタハイ出場」の可能性はあったと思っています。が、県総体で色々なアクシデントがありヨンパに集中するどころか個人のレースさえ満足走り切れるかどうかという感じでした。本当は走る予定がなかった4継に急遽出場することになる。400mHの予選を走った後にリレーを走って全身が痙攣する。それでも走り切ってくれたおかげでIHへの道が切り開けました。普通に走っていたr間違いなく大幅自己ベストで県総体は優勝していたと思います。一緒にハードルでIHへ。その思いがあるので申し訳ないなといいう部分が大きくあります。
また、Miさん。100mHでのIH入賞を目指せる感じがありました。それなのにいろいろなことがあって最大限の力を発揮させてあげられませんでした。13秒台を出せるほどになったのは「本人の資質」の部分です。もっともっと磨くことはできた。救われたのはMiさんが個人で話をするときに「補強の大切さ」について話してくれたこと。あとで個別に話したときに「ハードル楽しかった」といってくれたこと。以前から話をしてくれていましたが私が異動になっていなかったら「ハードルは辞めていた」といってくれていました。私が赴任したから「ハードルもやろう」と思ってくれたと。救われます。14秒8から13秒9まで伸びたのは間違いなく本人の資質だと思います。扱いにくさは天下一品だったと思いますが(笑)。これも「縁」だと思います。13秒台で走れるハードル選手の指導に関われたこと。本当に感謝しています。
最後に「動画」を流しました。これも「作品の質」としてどうなのか分かりません。もっと変種する能力やデザインセンスがあれば違った形になっていたかもしれません。それでも「3年生に向けて」の内容を作成しました。一番大変だったのはそれぞれのレースを見ながら「ベストレース」を選んでくださったkbt先生だと思います。私はそれを繋げながら簡単にアレンジしていっただけですから。「kbt先生の想い」をどのように表現するかを考えながら。批評はどうなのかは聞いていません。何かしら本人たちの心に残ってくれたらと思います。
もっともっとできることがあったのかなとは思います。申し訳ない気持ちです。花をいただきました。ありがたいことです。
後悔のないようにしたいなとは思います。その時その時にできることをしたい。Miさんからは手紙をもらいました。「先生のことはずっと忘れません。多分((笑))」と最後に書かれていました。忘れられるかもしれないですね(笑)。
上手く表現できませんが。記録だけはしておきます。卒業おめでとうございます。