前の記事の続きを。長いので読み飛ばしてもらって構いません(笑)。
競技の指導に関して見直さなければいけないと強く感じました。それと同時に「外に出よう」という気持ちが強くなりました。これまで「自分がやってきたこと」の視点でしか物事が見れていなかったという深い反省がありました。色々な人の考え方を学ぶという姿勢を持っていたつもりでしたが知らず知らずに自分の世界で終わっていました。ここで気づけたというのは大きいと思います。この時点でもある程度指導ができていたと思います。全くできていないとは思いません。
ここで考えないといけないのは、教員というのは採用されたその日から教員になるということです。これまでの経験が云々ではなくどのような考え方でやっていても教員は教員なのです。自分自身に危機感を感じていてもいなくてもそれなりに仕事はできます。これはどの職種でも同じです。また、「親」になるのも同様。子供ができて生まれた瞬間から「親」としての行動が求められます。精神的に成熟していなくても「親」なのです。「学校教育が・・・」とか「家庭の教育力が・・・」という部分がマスコミや報道で大きく取り上げられます。考えてみればどちらも「不十分さ」が残ったままでその「役割」を求められているのです。大変な事だと思いますね。
「教員」の価値観がおかしいと言われる。それはどこの立場から見ておかしいのか?保護者が「この教員の考え方はおかしい」と非難する。確かにおかしいのかもしれません。しかし、その保護者の価値観が世間一般から見てずれている可能性はないのか?誰から見た価値観が正しくて間違っているのか?判断は本当に難しいと思います。私は現在36歳です。36歳の価値観は間違っていて50歳の価値観は正しい。これは本当でしょうか?
書いている内容、誰かを否定するつもりはまったくありません。分かりにくいかもしれませんが哲学的な考え方だと思っています。20歳の若者であっても世の中の原理原則を学ぶことができていれば考え方もしっかりとしてきます。
最も尊敬し師事している方がいます。この方との関わりが深くなってきてから「学ぶ」ということが今まで以上に必要だと感じるようになりました、同じ時期に義父からの勧めで「孫子の兵法」について読むようになりました。孔子や論語、松下電器の創業者である松下幸之助、京セラの稲盛和夫、哲学者の池田晶子、教育学者の斎藤孝の本などをひたすら読み漁るようになりました。人に何かを伝える仕事をするのであればこれまで以上に多くの価値観に触れる必要があると考えたからです。これが学ぶという事ではないかと。
以前はスポーツに関する本やトレーニングに関する本を読む事が多かったと思います。その辺りにある書店よりは本を持っていると思いますし、専門的な内容があると思います。しかし、出会いをきっかけにトレーニングの部分から考え方や生き方を学ぶことが優先されるようになりました。こちらの本物数え切れないくらい読んだと思います。保管しておく場所がないくらいの量があります。
世の中には原理原則があると思っています。時代が移り変わっても変わらないものがある。何百年も前から本当に大切なものというのは変わらないのです。論語や菜根譚(中国の故事)などを読むとわかってくることがあります。物事を上手く進めていくためには変わらない大切なことがあるのです。そこを学ぶことが今の仕事にとっては大切なことなのではないかと思います。
県内に留まらず自ら外に出るようにしました。先程書いた師事している方の仲介もあって素晴らしい指導者に会って話を聞く機会を持つことが出来ました。昨年は以前から行って見たいと思っていた宮崎の商業高校の指導者の方に会って話を聞くことができました。練習に参加させてもらうことで選手も大きな刺激を受けます。同時に私も考え方、生き方を学ぶことが出来ます。貴重な体験です。本当に素晴らしい方でした。
共通して言えることは優れた指導者は間違いなく「人格者」だということです。選手のことを考えて生活を送っておられます。偉ぶる事は絶対にありません。それどころか包み隠さず様々な話をしてくださいます。育てるという感覚が強くあるのだと感じました。
人と関わるのであれば多くの考え方に触れる必要があると思います。大企業の創始者は間違いなく自分なりの「哲学」を持っています。本を読んでいくと分かるのですが、その「哲学」は別々のものではなく多くの部分が共通するものなのです。その部分を子供達に伝えていく事が教育の根底にあるのではないかと考えます。自分なりの価値観を押し付けるのではなく、原理原則を知った上で他者に伝える事が出来なければいけないと思います。
だからと言ってその考え方が常に正しいとは限らない。更に多くの価値観に触れていく必要がある。自分自身が成長していかなければいけないと思っています。
私自身の存在を正当化する気はありません。まだまだ未熟だと思っています。だからこそ留まる事なく学んでいく必要がある。そこができなくなったら人に何かを伝える事はできなくなると思います。
我ながら面倒な性格だと思います。回りくどいというか(笑)。こんな内容を書いても文章力が無いので上手く伝える事が出来ているか分かりません。高校生にはきっと分からない内容だと思います。それでも何を想い人と関わるようにしているのかは何となく感じてもらえたらと思います。
独りよがりの文章かもしれません。それでもここ最近は教育って何か?という部分をひたすら考えています。思っている事をきちんと記しておきたいと思ってこのBlogを始めました。日記です。
公の場での日記がBlog。これにより賛同を受ける事もあれば批判される事もある。そこは覚悟しておかなければいけない部分です。誰かに何かしらのメッセージが伝われば良いと思います。
長々とすみませんでした。御許しを。
競技の指導に関して見直さなければいけないと強く感じました。それと同時に「外に出よう」という気持ちが強くなりました。これまで「自分がやってきたこと」の視点でしか物事が見れていなかったという深い反省がありました。色々な人の考え方を学ぶという姿勢を持っていたつもりでしたが知らず知らずに自分の世界で終わっていました。ここで気づけたというのは大きいと思います。この時点でもある程度指導ができていたと思います。全くできていないとは思いません。
ここで考えないといけないのは、教員というのは採用されたその日から教員になるということです。これまでの経験が云々ではなくどのような考え方でやっていても教員は教員なのです。自分自身に危機感を感じていてもいなくてもそれなりに仕事はできます。これはどの職種でも同じです。また、「親」になるのも同様。子供ができて生まれた瞬間から「親」としての行動が求められます。精神的に成熟していなくても「親」なのです。「学校教育が・・・」とか「家庭の教育力が・・・」という部分がマスコミや報道で大きく取り上げられます。考えてみればどちらも「不十分さ」が残ったままでその「役割」を求められているのです。大変な事だと思いますね。
「教員」の価値観がおかしいと言われる。それはどこの立場から見ておかしいのか?保護者が「この教員の考え方はおかしい」と非難する。確かにおかしいのかもしれません。しかし、その保護者の価値観が世間一般から見てずれている可能性はないのか?誰から見た価値観が正しくて間違っているのか?判断は本当に難しいと思います。私は現在36歳です。36歳の価値観は間違っていて50歳の価値観は正しい。これは本当でしょうか?
書いている内容、誰かを否定するつもりはまったくありません。分かりにくいかもしれませんが哲学的な考え方だと思っています。20歳の若者であっても世の中の原理原則を学ぶことができていれば考え方もしっかりとしてきます。
最も尊敬し師事している方がいます。この方との関わりが深くなってきてから「学ぶ」ということが今まで以上に必要だと感じるようになりました、同じ時期に義父からの勧めで「孫子の兵法」について読むようになりました。孔子や論語、松下電器の創業者である松下幸之助、京セラの稲盛和夫、哲学者の池田晶子、教育学者の斎藤孝の本などをひたすら読み漁るようになりました。人に何かを伝える仕事をするのであればこれまで以上に多くの価値観に触れる必要があると考えたからです。これが学ぶという事ではないかと。
以前はスポーツに関する本やトレーニングに関する本を読む事が多かったと思います。その辺りにある書店よりは本を持っていると思いますし、専門的な内容があると思います。しかし、出会いをきっかけにトレーニングの部分から考え方や生き方を学ぶことが優先されるようになりました。こちらの本物数え切れないくらい読んだと思います。保管しておく場所がないくらいの量があります。
世の中には原理原則があると思っています。時代が移り変わっても変わらないものがある。何百年も前から本当に大切なものというのは変わらないのです。論語や菜根譚(中国の故事)などを読むとわかってくることがあります。物事を上手く進めていくためには変わらない大切なことがあるのです。そこを学ぶことが今の仕事にとっては大切なことなのではないかと思います。
県内に留まらず自ら外に出るようにしました。先程書いた師事している方の仲介もあって素晴らしい指導者に会って話を聞く機会を持つことが出来ました。昨年は以前から行って見たいと思っていた宮崎の商業高校の指導者の方に会って話を聞くことができました。練習に参加させてもらうことで選手も大きな刺激を受けます。同時に私も考え方、生き方を学ぶことが出来ます。貴重な体験です。本当に素晴らしい方でした。
共通して言えることは優れた指導者は間違いなく「人格者」だということです。選手のことを考えて生活を送っておられます。偉ぶる事は絶対にありません。それどころか包み隠さず様々な話をしてくださいます。育てるという感覚が強くあるのだと感じました。
人と関わるのであれば多くの考え方に触れる必要があると思います。大企業の創始者は間違いなく自分なりの「哲学」を持っています。本を読んでいくと分かるのですが、その「哲学」は別々のものではなく多くの部分が共通するものなのです。その部分を子供達に伝えていく事が教育の根底にあるのではないかと考えます。自分なりの価値観を押し付けるのではなく、原理原則を知った上で他者に伝える事が出来なければいけないと思います。
だからと言ってその考え方が常に正しいとは限らない。更に多くの価値観に触れていく必要がある。自分自身が成長していかなければいけないと思っています。
私自身の存在を正当化する気はありません。まだまだ未熟だと思っています。だからこそ留まる事なく学んでいく必要がある。そこができなくなったら人に何かを伝える事はできなくなると思います。
我ながら面倒な性格だと思います。回りくどいというか(笑)。こんな内容を書いても文章力が無いので上手く伝える事が出来ているか分かりません。高校生にはきっと分からない内容だと思います。それでも何を想い人と関わるようにしているのかは何となく感じてもらえたらと思います。
独りよがりの文章かもしれません。それでもここ最近は教育って何か?という部分をひたすら考えています。思っている事をきちんと記しておきたいと思ってこのBlogを始めました。日記です。
公の場での日記がBlog。これにより賛同を受ける事もあれば批判される事もある。そこは覚悟しておかなければいけない部分です。誰かに何かしらのメッセージが伝われば良いと思います。
長々とすみませんでした。御許しを。