kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

練習~木曜日~

2013-02-23 | 陸上競技
木曜日、練習は落としです。結構量をやっていたのでこの考査期間中は落とし気味にやっていきたいと思っていました。基本的に練習量がおおいですから、思い切らないと休めません(笑)。

とはいえ、やっておきたいこと&やらなければいけないことがあります。火曜日の練習を少し変更していたのでトレーニングが不足しています。この部分は継続していかないと落ちてしまいます。不足を補うことも考え朝の時点でウエイトを行うことに。朝の30分の練習の中で最低限のウエイトを実施しました。ベンチとスクワットのみ。少し筋力的にきつかったようですね。やはり継続させなければいけません。

午後はシャフト補強のみ。30分程度で終了です。30分とはいえほとんど休んでいないのできつかったかもしれませんね。休む休むといって本当は休めていないのではないかと多少心配になります。とはいえ、通常の負荷から考えるとかなり減っています。こういう日を作っていきながら疲れを抜いていきたいですね。今年の冬は大きな故障もなくすごくスムーズに進んでいます。明確な理由は分かりません。この部分の分析もしてみないといけないですね。「たまたま」ではないと思います。

練習を早めに切り上げて19時まで勉強会。前日の分までですね。解散時に家に帰ってからもやるようにと確認をしました。当然と言えば当然なのですが、勉強会で満足して終わってしまうのでは意味がありません。部活を一生懸命やりたいというのであれば勉強も一生懸命やらないといけません。学校で2時間やったから今日はいいやという気持ちでは間違いなく強くはなりません。ここが「本物」になるかどうかの分かれ目だと思いますね。

私は18時から30分散髪に行き再び戻ってくるという変則的な行動。こういう時間がなければほとんど自分のことはできません。散髪に行ったのは多分去年の10月以来くらいでしょうか・・・。かなり短くしていたのが伸びたので良くわからないというところもありましたが(笑)。

少し休息を含めて・・・。という感じの一日でした。
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練習~水曜日~

2013-02-23 | 陸上競技
ここ数日間は練習に関して全く書いていないですね~(笑)。ということで忘れないうちに記録として書いておきます。

水曜日は比較的走りました。日程変更をしていますから当然といえば当然です。3年生の最後の練習となるのでできるだけ負荷をかけておきたいなと考えていました。とはいえ、特別な練習をするのは違うと考えています。日常通りの練習をする。良く考えてみると「練習で高校生活の競技が終わり」ということは今までありませんでした。何かしら大会に向けて練習をしていって最後にポイント練習をして終わりというのがこれまでです。今回は大学に進んでも競技をやるということでしたからこのような形になりました。

通常通りドリルをやってからフレキとスキップ&シザース。ここまではいつも通りです。通常であればここからマーク走を行うのですが、時間的なこともありましたし、走りの感覚を作りたいという気持ちが強かったのですぐにタイヤ引きにしました。先週末からタイヤを引くと感覚が良いという選手が多くいました。その感覚を本物にするためにはしっかりとやっておきたいと思い実施。タイヤをやってバトン走、これを繰り返しました。

最後は走練習。本数を追うというのは時間的に難しいので本数を少な目に設定して行いました。短短と短長分けても良かったのですが、分けて行うとタイミングが合わなくなることが多くなってしまうので全員で一緒に。こういう意味では「特別」な練習になっていたのかもしれません。3年生が最後だから一緒というつもりはありませんでした。3年生、最初の1本で爆走していました。ここ最近で一番いい走りだったと思います。これくらいの走りが安定してできれば大学に進んでも個人種目とリレーに出場するのは可能でしょう。一安心です。これで力尽きましたが(笑)。それはそれで良いのではないかと思います。「絶対に負けたくない」という気持ちは強かったでしょうから。それに引っ張られて下級生も良く走っていました。

2セット目に入った時点でキャプテンの動きにキレがなくなりました。元々本数が持たないタイプでしたがここ最近は少し休息を挟めばかなり走れるようになっていました。マイル云々の持久力ではないですが短い距離であれば持ちます。しかし、2セット目はフラフラでした。ちょっと過呼吸気味になっていたのかもしれません。これまでそのような状況になったことはありませんでした。この日の練習は「特別」だというのがあったのでしょう。翌日の練習日誌を見ると「特別ではない」「冷静に冷静に」と考えながら練習に取り組んでいた様子がうかがえました。この時点ですでに「特別」になっていて「冷静」ではないのですが・・・。ここはしっかりと考えないといけないですね。

練習をするときや大会の時には周りから多くの情報が入ってきます。集中を途切れさせる要因がたくさんあります。この時点で「集中、集中」と考える必要があるときにはすでに「集中が途切れている」のです。「集中しなければいけない」と考えるということはその前の段階で間違いなく集中が切れています。こういう場面では「今自分が行うことは何か」という考えが必要になります。レースに向けて何をしておかなければいけないのか、必要なことは何かを常に考えておく。ここに集中できていたら他のことは考えません。「次が一番大切なレースだ」とか「負けたらどうしよう」とか考えていたら本当にやらなければいけないことを見失ってしまいます。だからこそ「自分が何をやるのか」という部分にのみ力を注げばいい。自然と集中できます。

3年生も最後まで走りました。120mだけしか行いませんでしたが「最初の60mまでは負けないこと」と言って走らせました。こちらもフラフラでしたが・・・。それでも最後まで手を抜かずに走りました。こういう選手と一緒に練習をする中で他の者が何を感じ取るかです。「真面目にやる」というだけではありません。「自分のために一生懸命にやる」という姿勢を肌で感じながら練習をすることができたはずです。言葉ではなく「姿勢」から学ぶものがある。今のうちの女子チームが存続しているのはこの子がいてくれたからです。色々とありましたが一人で保ってくれていました。「伝統」というのは途切れてしまったらなかなか元に戻りません。2年間本当に難しい時期でした。それをなんとか保ってくれたというのを下級生は感謝してもらいたいですね。多くの卒業生たちが少しずつ積み重ねてきた「チーム」としての「想い」があります。それが途切れずに下級生に引き継がれたというのは大きなことだと思います。

最後に下級生から「感謝の言葉」がありました。こうやって言葉で想いを伝えることも大切。それ以上に大切なのが「恥ずかしくない行動をすること」です。卒業生たちは卒業していってもうちの陸上競技部を気にかけてくれます。それだけ思い入れがあるのです。後輩の様子はずっと気になります。陸上部の存在は気になります。「まともな行動ができない」というチームになってしまったらそれが一番失礼な話だと思います。「引き継ぐ」という意識をもって一つ一つの行動に責任を感じながら生活をしてもらいたいですね。

3年生、これで終わりではありません。これからがまた大変になると思います。しっかりと勝負できるようになってもらいたいですね。「お疲れ様」という言葉を送るには早いでしょう。これからに向けてしっかりと取り組んでもらいたいですね。私もこの子から多くのことを学びました。感謝しつつそれを多くの選手に還元できたらと思います。
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「怒る」と「叱る」~その2~

2013-02-23 | 陸上競技
続きを。

「勝てないこと」に対して感情的になるというのは違うのではないかと書きました。技術的なことに対しても「できない」ことを責めても一向に問題は解決しません。「やろうとしない」事に対してはきちんと「叱る」必要があります。何故なら「強くなりたい」という意志と「やろうとしない」行為は一致しないからです。「何となく練習をしている」というのは良くありません。「勝つために練習をしているわけではない」「そこまでして練習をする必要はない」というのであれば「競技スポーツ」とは違うと思います。学校の部活動は「競技スポーツ」なのか「趣味のスポーツ」なのか。ここは一概には言えないと思います。全国で優勝を目指そうというチームがいてそこに「自分は1週間に3回だけ健康づくりに参加します」という話にはなりません。ある程度「同じ方向性」を向いた集団にならなければ活動はできないでしょうね。

話があちこちいっていますねー。すみません。何が言いたいかというと「本人が最大限やっている」かどうかだという部分が大事なのではないかということです。「自分なりの一生懸命」ではなく「できることを全てやっている」かどうかというのは本当に大きいことだと思います。試合で負ける。ここで「何で勝てないんだ」と怒る。または、「勝てなかったのは・・・という原因があるのでは?」「取り組む姿勢が不十分なところがあるのでは?」と叱る。選手にとっては同じ「注意を受ける」という風に捉えるかもしれませんが全く意味が違うと思います。

もちろん、教員も「聖人君子」ではありません。時には「主観」で物事をみていることもあるでしょう。何もかもが正しいとはだれも思っていません。しかし、「こちらのほうが良いのではないか」という指摘は必ずできると思います。この部分が「叱る」という行為になるのだと。

部活動などに所属するとかならずルールがあります。そのルールを守れない場合は「叱る」という行為が間違いなく必要になります。「時間を守らない」「自分勝手な判断で動く」「周りに迷惑をかける」というのはそのまま放置するというのは良いことではありません。私は基本的に技術的なことで「怒る」ことはほとんどないと思います。しかし、取り組む姿勢や行動、考え方などで「ちょっと違うのではないか」ということがあればしつこく叱ります。服装がきちんとできていないことを野放しにするというのは良いことではない。部活動を行うのであればやはりきちんとした日常生活を送れないといけないと思っています。

「勝つために」というのではなく、「当たり前のことを当たり前にやる」ということで「叱る」のです。授業中に携帯電話を使用した。これは「個人の自由」でしょうか?ばれなかったから問題はない、他人に迷惑をかけていないのだから関係ないという視点で良いのでしょうか?ここは「叱る」必要があると思います。授業中の態度が悪い、自分勝手行動をとるなどの行為に対して「仕方ない」と考えるのは違うと思っています。そんなの当たり前ではないかと言われるかもしれません。でもそれが「当たり前」でなくなっているのが現状なのではないかと考えています。

感情的に「怒る」行為ときちんとできていない部分を「叱る」行為。これが同じように扱われています。そこに大きな問題があるのではないかと考えます。注意を受けた生徒にとっては「怒られた」という感じでとらえられます。自分が他者から何か言われるのは気分のいいものでありません。たとえ自分が良くないことだなという自責の念があったとしても「注意を受ける」という行為で自分の弱い部分を指摘されるのは嫌なのです。もっと言えばその行為が「良いことではない」という認識がない場合もあるのです。だから注意を受けても「何がいけないのか?」ということになる。自分は「悪い」と思っていないのですから「言われる筋合いはない」という認識になります。だから「なんなんだ」という流れになる。当然といえば当然の結果だと思います。ここが「価値観の違い」という部分だと思います。

何度も書いていますが私の価値観がすべて正しいとは思いません。しかし、感覚で考えていわけではなく多くのことを学びながらそれで自分自身の価値観を培っています。感情論で「怒る」のではなく論理的に考えて「叱る」ことを心がけています。生徒にとって耳触りのいい言葉かけだけをするのは違うと思います。間違ったことをしていても「君は悪くない」と味方になるというのは本当に良いことなのでしょうか?当たり障りなく人と関わる。本人にとって「嫌だな」と感じることは一切口にしない。間違いなくこういう人は「良い人」と言われるのでしょう。だから批判を受けにくい。しかし、将来のことを考えた場合「ダメなものはダメ」と教える人がいないことは絶対にプラスにはなりません。「怒る」のではなく「叱る」のです。同じ行為かもしれませんがきちんと「区別」して考える必要があると思います。

こんなことを考えているというだけで「面倒な人間だ」という感じですね(笑)。こんなことを考えなくてももっと適当に生きていけばいいのですが性格的にできないですね~。それを他者に押し付けるつもりはありません。でも、「ダメなものはダメ」と伝えていける人間になりたいとは思います。それが「押し付け」と言われたらそうなのかもしれません。今の「教育」というのは本当に難しいと思います。

長々と書いてしまいました。すみません。
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「怒る」と「叱る」~その1~

2013-02-23 | 陸上競技
ここ数日間のblog、完全に陸上競技の内容ではなくなっています(笑)。お許しを。競技に関して書きたいこともたくさんあるのですがそれ以上に書きたいこと、考えることがあって・・・。「陸上のことを書け!!」と思われるかもしれませんが、この「考え方」の部分を含めて私だと思っています。真面目な話ばかりで重いのですが、ちょっと考えることがあるので書きます。

体罰関係や学校の教育関係で取り上げられている生徒との関わり方。この部分はどれだけ書いても「職種の違い」という部分があるので分かってもらえない部分があると思います。毎日毎日目の前の生徒と向き合おうと思えば色々なことが見えてきます。「家庭」で数人の子供を見るのと「学校」で複数の生徒を見るのでは間違いなく違いがあります。「個性」という部分もあります。ある「家庭」の考え方と別の「家庭」の考え方は違うはずです。1つの「家庭」では全く問題ないことであっても別の「家庭」では「絶対に許せない」ということだってあります。これが「価値観の違い」だと思います。この部分を「個性」だからといって放っておくのは良いことでしょうか?

その場の感情で「怒る」というのはあまり良いことではないかなと感じています。感情的になりすぎて本当に大事なことが見えなくなってしまう可能性がある。しかし、悪いことをしたり間違っていることをした場合は「叱る」必要があります。それを放置して許していくのは良いことではない。「怒る」と「叱る」、生徒にとってはどちらも「文句を言われた」というレベルで終わってしまうのかもしれませんが、全く違うと思っています。

競技場面でのほうが例えやすいし、イメージしやすいだろうと思うので練習やその他の部分を例に挙げます。

指導している者が技術的なことを話す。選手は「はい」と返事をする。なんとなく普通の風景ですね。で、実際にやらせてみるとできない。何度か話をするがそれでもできない。ここで頭にきて「何でできないんだ!」と激しく叱責する。これは間違いなく「怒る」ということです。自分がこれだけ一生懸命に教えているのに何でできないんだ!!という感じですね。先日の体罰問題、「女子に負けるなんて」という理由で手を挙げたという風に取り上げられていました。これは完全に「怒る」という話です。技術的な部分の差があれば勝てません。小学生が高校生と試合をやって勝てない。「何で勝てないのだ」というのと同じです。

教えている指導者が技術的なモノを求める。技術的な部分で「前の選手はできていたのに」と比較するのはちょっと違うかなと思います。もちろんそれだけではないと思います、「技術的なこと」や「勝ち負け」を取り上げて「なんで」というのは一生懸命にやっている選手であれば「どうすればいいの?」となるでしょうね。勝てないことに対して「なぜ勝たないのだ」というのは指導ではないと思います。これに対して「怒る」のはどうにもできない部分では?取り組む姿勢の部分で「前の選手は・・・」と言われるのとは違うと思います。

ここで「勝つためにやってるわけではない」という部分について考えたい。「勝ち負けで怒るというのは違う」と書きました。しかし、練習は「勝つためにやる」のです。楽しく練習をするというのは趣味のスポーツです。競技スポーツとは違います。レクリエーションとしてのスポーツと競技スポーツは違うと思います。この部分が混同されているのはちょっと違うかなと感じています。先日も書きましたが、うちの陸上競技部は「競技をする」というチーム方針です。やりたい時に楽しくやるのとは違います。勝つために必死でやるからこそ見えてくるものがある。ここを度外視していたら成長はないと考えます。

それはなぜか?「勝つためにやっているわけではない」としたら、負けても手を抜いても「別にいいじゃないか」ということになってしまうのです。勝つために全力で取り組むから見えてくるものがあるのです。「そこまで本気でやらなくてもいいじゃん」という風潮があります。いや、適当にやるのであればそれは競技ではないと考えています。できることをしっかりとやっていく。そこができなくて負けたのであればきちんと反省してその原因を探るというのは必要となります。そこは「怒る」のではなくきちんと話をして理解させることが大事だと思います。ここは「叱る」という部分だと思います。そこのプロセスで「やらなければいけないことをやらない」のであれば指摘されるのは当然のことだと思います。「競技スポーツ」という視点からですね。本当に「勝ちたい」と思うのであれば自ら工夫します。「勝たなくても良い」と思うのであれば単に身体を動かす程度で終わってしまいます。それも「スポーツ」です。競技スポーツと趣味のスポーツを同じ視点で見るから問題が大きくなるのだと思います。


また長くなってしまいました。ということで記事を変えます(笑)
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