kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

最後の練習

2013-02-20 | 陸上競技
水曜日、この日から学年末考査のテスト週間に入りました。色々と事情があってこの日を考査前の最後の走練習としていました。今まで練習を一緒にやっていた3年生がこの日で高校での練習を終えるということになっていました。下級生からの最後の日は一緒に走練習をしたいという申し出が1週間前にありました。少し変則的な日程になりますが前日の練習を少し早く切り上げ、この日の練習をしっかりとやろうという事にしました。

この日に選手が提出していた日誌に数名気になる事を書いていました。先輩が参加する最後の練習だから良いものにしたいという趣旨の内容が記されていました。これまで一緒に練習をやってきた先輩とこれからは別々の道を進んでいく。だからこそこの日の練習は特別なものにしたいという気持ちがあったのでしょう。

この事に関して私は違うのではないかと感じていました。これまでの私であれば感情移入してしまっていた部分があるでしょう。ほかの者よりも1年間付き合いが長いですし、この子に対する想いはかなりあります。辛い事を何度も乗り越えここまで来ているのです。その選手が高校生活最後の練習をチーム内で行うという状況。普段通りの練習をするというのは簡単ではありません。分かっていることです。

しかし、本当に3年生に良い練習をしてもらおうと思うのであればこの日の練習を感傷的になって涙を流しながら練習をするのは違うと思います。先輩と一緒に練習するのが最後。良い思い出にしたい。その気持ちが前面に出てしまう練習であれば雰囲気も間違いなく暗いものになってしまいます。その日一日だけの感情で練習をするのは違うと思います。これまでの練習が先輩と一緒にやって来た大切な練習であれば最後の日であっても通常通りの練習がきちんと出来ないといけないと思います。日誌のコメントにそういう意味合いの内容を書いて伝えました。どこまで伝わったか分かりませんが感じ取ってもらいたいと思います。

ほとんど口を出さずにやって行きました。技術的な話は何度かしましたが気持ちのコントロールの話は一切言わず。キャプテン、3年生との関係がかなり深かったと思います。他の者よりも思い入れがあるでしょう。頭で感情のコントロールをしないといけないと分かっていても簡単には割り切れないでしょう。力は間違いなくついているのですが最後のひと押しは気持ちのコントロールだと思っています。走練習の2セット目が終わった時点でキャプテンが疲れ果てていました。普段よりもチカラを使っていたのもあるでしょう。更に感情的になり過ぎていたのではないかと思います。過呼吸まではいきませんでしたが通常とは違う様子でした。仕方ない部分だとわかってはいますが他の者も集めて話をしました。

こういう時だからこそ当たり前の事を当たり前にやらないといけないのではないかと思います。特別だというのはほかの者以上に分かっているつもりです。3年生本人もかなり感情的になっていたはずです。全体が雰囲気に流されて感情的な練習をしてしまうというのは良くない。3年生の事を本当に想うのであればここはきちんとした練習を最後までする事が大切だと思います。きちんと練習をする姿勢を示すということで感謝の気持ちを示すことができる。感情的になって普段とは違う練習をしてしまい練習の質を下げてしまうのはお互いにとってプラスにはなりません。

また、特別な場面だからこそ落ち着いてやっていく必要がある。このことを3年生が教えてれているのだと感じていました。この場面で平常心を失って感情的な練習をする。これは間違いなく今後の大会でも同じようなことになるでしょう。本当の勝負になった時、ここで勝ったら上の大会につながる、負けたらお終いだと考えてしまったら本当の力は出せなくなってしまうでしょう。興奮したり通常とは違う場面ではなかなかチカラが出せません。その場面が特別だと自分自身が思い込んでしまうからです。だからこそこういう場面で本当にやらなければいけないことをやる習慣を身につける必要があるのです。

この部分感覚的にも感じています。が、他の指導者よりは心理学の勉強をしてきました。今までの私であれば学んだことは知識として残っているだけで感情が先に動いてしまっていたと思います。これでは自分自身も同じことを繰り返してしまう。冷静にやらなければいけないことを判断できる人間にならなければいけないと思っています。同じようなミスを繰り返すわけにはいきません。経験則だけで物事を言っているわけではなく、多くの情報を自分の中にインプットしてから本当に必要な事をするという部分です。書いていて分からない人には絶対に分からない感覚だろうなーと思ってます(笑)。

最後の最後に3年生が教えてくれたのだと思っています。これから自分達が何をしなければいけないのかを勝負がかかった試合よりも前に身を持って体験させてくれたのではないかと。キャプテン、やはり普段とは違いました。個別にも話しましたかここをコントロールできる冷静さが必要になるのです。力が付いてきてもその力をきちんと出し切れるかどうかでまったく変わってきます。そこを最後の最後に教えてもらったのだと。

このことを心で感じられる選手になってもらいたい。この場面を特別だと感じられない選手にはなってもらいたくない。何も感じずに練習をやるような選手では絶対に強くならないと思います。お世話になった先輩と共有できる時間、高校生活で最後になるということの意味を心で感じられるようになるというのは大切だと思います。そこを感じていながらも冷静になる、難しいことを求めているのは分かります。高校生にそこまで求めるのは求め過ぎなのかもしれません。それでも本当の勝負をしようと思ったら必要になるのです。それを考える機会を与えてもらえたというのは最後の最後まで3年生の存在は大きかったなと思います。

書きたいことはたくさんあります。今はこの辺りまででお許しください。

上手く書けないことが多いです。思いつくままに書きました。練習中に自分自身で自分の感情をコントロールすることの大切さも感じました。この辺りのことはまた書きたいと思います。3年生のことも。

今は私自身寂しい気持ちが強いです。頭を整理してから書けたらと思います。御許しを。
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淡々と

2013-02-20 | 陸上競技
火曜日、本来であれば翌日からテスト週間に入るので練習を強めにやろうかと考えていました。色々とあった上に天候があまりよくなくてグランド状態が万全とはとても言いがたい感じでした。そのためこの日の練習を少し早めに切り上げて水曜日にしっかりと走ろうということにしました。「テスト週間なのに」という部分もあるので選手には保護者に事情を説明するように話しておきました。

練習を開始する時点で微妙に雨・・・。思うようにできませんね。時間の節約という意味もありサーキットを省略してからハードルを使ってのアップをしっかりと行いました。これだけでかなり汗をかいていました。補強をしたいという気持ちももちろんありましたがそれよりは早めに終わることを優先。

グランドが微妙だったので坂道を使っての練習を少し行いました。冬期練習であまり坂道を走っていないなと思い出しました。坂道を使うと加速段階の練習となります。苦手な選手は最初の段階で空回りしてしまい進みません。この日は地面が濡れているのもあり最初の数歩が滑ってしまうという感じがありました。難しい部分ですがまー良いかなという感じで走らせました。

終了後はグランドでタイヤ引き。選手の要望に応える形です。今やろうとしていることはこのタイヤ引きがかなりマッチしています。この後の動きは比較的良くなります。感覚をつかむためには必要な練習なのかもしれません。膝の引き出しだけで終わるのではなくしっかりと股関節を使って進む感じでしょうか。その後バトン走を数本やって終わり。18時には練習終了です。

最後に少しだけ話をしました。「強くなりたい」と口で言うのは簡単です。しかし、そのための努力が出来るか?「練習を一生懸命やれば良い」という考え方では困ります。テスト勉強は苦手だからやりたくない。これでは「部活だけやって」と非難されます。当然です。苦手なこと、嫌な事と向き合う。逃げないというのはこういう部分でも必要だと思います。「部活」という一部分が抜き出されて自分の中で「正当化」されるのは違うと思います。練習も勉強もつながっています。ここを別物として考えるのでは駄目です。強くなりたいのであればしっかりと勉強をする必要があります。これも集中力を高める練習になりますし、嫌なことから逃げない練習です。

「練習があるから」「勉強があるから」というのは良くない。「自分以外のものに責任を擦り付けてしまう」部分です。本当にやろうと思えばできる。それを「別のもの」を言い訳にしてやらない。こういう部分も逃げ道をなくしていく必要があります。「本当は出来る」という部分に目を向けることは大事です。

それほど多くのこと話してはいません。上に書いたようなちょっと分かりにくい話もしていません。補足として書いているだけです。与えられた時間を自分で有効に使ってもらいたいですね。
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考え方

2013-02-20 | 陸上競技
少し思うことを。

なかなか文章で書き表すというのは難しい部分なのですが。誤解のないように記しておきたいと思います。

私自身の考え方を全て文章に表わすのは不可能だと思っています。基本的に微妙なニュアンスや意図を伝えるのはやはり直接話をしたり、人とのかかわり方を見てもらわない限り無理です。それならblogに書く必要はないではないかという指摘されるかもしれません。難しい部分ですね。書くことで何かしらのメッセージが伝わればと思う部分もあります。が、伝わらない部分もあります。

先日、「思うこと」として書いた内容、もう少しストレートに書いても良いのかなという気持ちといやー無理だろうという気持ちが半々でした。コメントされていた部分もあります。全面的な否定なのか部分的には容認してもらっているのか。万人に私が何を思っていやっているかを理解してもらうことは不可能です。文章に表わす云々ではなく「考え方」は全ての人が同じではないからです。

「勤務時間」という書き方をしています。基本的に8時間働くことにこだわっているわけではありません。朝練をやるから手当を出せとか放課後の部活動で指導したから別途お金が欲しいとかいう話ではありません。こういう話を書くと「お金があれば働くのか」と言われるかもしれないという気持ちはあります。今の私は勤務時間が云々という部分で生徒と関わってはいません。もちろん、勤務時間内は働いています。当然のこと。でもそれ以外の時間が本当はすごく大切で生徒と関わる、向き合う時間としては意味があるのではないかと考えているのです。授業中に授業をする。これは当然。分かりやすい授業というのも最低限の話かなと。でもそれだけで生徒に何かを伝えらえるのかというと違うかなと思います。

「勤務時間」の概念はあってないようなものだと思っています。語弊があるかもしれませんね。最低限の労働時間は守ります。しかし、それ以上の時間を要しているのが私にとっては「当たり前」だと感じています。「お金のために働いているのではない」と思っています。人と関わる仕事が中心ですからその中で何を伝えていくのかを考えないといけないと思っています。時間外は一切何も受け付けないという職種もあると思います。しかし、それは今の仕事ではできないと思いますし、そのようなことをして一番困るのは生徒ということになります。人を育てるというのは「時間」という部分がかなりかかります。表面的に表れる部分だけを議論するのは少し違うのかなと。分かりにくい文章ですね・・・。すみません。

「教育」と「部活」を切り離す。この部分は今の学校のシステムでは無理かなと思っています。部活動を一生懸命やるからこそ分かることがある。何度か書いていますが「陸上競技」は生徒に何かを伝えるツールだと思っています。極端なことを言えば「勉強」と「教育」は別分野です。「スポーツ」と「教育」を切り離して考えるというのと同じだと思っています。本当に「モノを覚える」という行為だけををひたすらやるのであれば「塾」のほうが効率的です。「入試に出る」内容をだけをやれば自分の進路には直結します。家庭科などの受験科目にない教科の授業中に受験勉強をする必要はなくなります。しかし、これが本当に「教育」なのでしょうか。ここも言葉足らずになる危険性があるなとは思っています。「勉強だけ」をする場所が学校という教育機関なのか?という疑問も出てきます。ちょっと小難しい話になってきた気がしますが。

この場で「教育」について語っても理解してもらえない部分はあると思います。教育というのは「考え方」を伝えるものだと思います。「自分のやりたいことだけをやる」というのは世の中まかり通りません。部活動も同様。だから「教育」とは切り離せない。そこまで考えて部活動をしている人がどれだけいるのかは分かりません。こういう考え方をしているというのは少ないかもしれませんね。「勉強」することが「教育」であれば本当に学校という機関が必要にはならないと思います。自分を抑える、周囲に気を配る、周りと協力するなどの「人」と「人」との関わりの中で見えてくるものがある。だから学校という教育機関が存在して、「教育」というものが成り立つ。

うーん、長くなると話が分からなくなってしまうのでここで止めておきます。師匠からは「書いても分からんよ」とアドバイスをもらいました。あと、「文章長くて読みにくい」とも(笑)。まーこうやって気にかけてくださる方々が周囲にいてくださることに心から感謝したいと思います。
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