kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

価値観の違い

2013-02-09 | 陸上競技
ここ最近思うことを。

世の中には多くの人がいます。そのすべての人が同じ価値観で生活をしていれば絶対に問題は発生しません。争い事は仲たがいは「価値観の違い」から生まれると思っています。全ての人の価値観が同じになることは考えられません。本当にそのような世の中になればある意味全く面白くない世界だと思います。良し悪しです。

現在部活の指導をしています。この「部活動」という概念でさえ多種多様なのだと思います。私は「部活動」は子供たちの成長を促す場だと思っています。クラスの部分でも多くの成長はあると思います。が、実際に多くの人と関わる中で「価値観の違い」に触れることのできる「部活動」は学校生活の中で大きな意味を持っていると考えています。これも私の「価値観」でしかないのですが。
部活動の運営に関しては各顧問に任される部分が多くあります。ここでも大きな「価値観」の違いが現れます。私が考える「普通のこと」が普通ではない部活もある。例えば「毎日練習をする」「時間を守る」という部分。これは常識的に考えて普通だと思います。が、練習に来るのが部員の半分以下、適当に始まって適当に解散するという部活動もあります。これを「部活動」というのかというのさえも大きな疑問があるのですが・・・。ひとくくりで「部活動」と言われる部分があります。意味が全く違うのではないかと考えています。


「価値観」が違うので議論にすらならないのですが、「部活動」は人として成長する場だと思います。合わせて基本的なことをしっかりと抑えることができる場だと。私は「部活中心だね」と思われがちですがそれ以外の部分のほうが生徒と関わっている時間が長いと思っています。陸上競技の練習さえすれば他のことはどうでもいいとは思いません。競技力が上がれば何でも許されるというのは違います。部活動ではきちんとした「ルールを守る」という最も基本的な部分を抑えないといけない。

こういう意味で本当の「部活動」とは何かを考えないといけないと思います。「勝利至上主義」になると今騒がれている「体罰」の問題になるのかもしれません。勝てないのは選手の責任、こんなこともできないのか、気合が足りないという流れになり怒りの矛先が生徒に向かう。気合を入れるために暴力に訴える。意味はない行為ですね。私は「人間的な成長」を促したいと思っています。もちろん「勝たせてあげたい」とは思います。きれいごとではなく「自己満足」の練習をしているだけでは本当に大切なものは見えません。「一生懸命練習すれば勝てなくても良い」というのは間違いなく「言い訳」です。きちんとした目標を掲げそれに向かって努力することで初めて人間的な成長があるのです。適当に練習をして適当にやっていて本当に「成長」できるはずがありません。

「部活動」が「勝つことを目的にしていないのだから」と言われます。私は「成長」のためだと書いていますが、やはり勝たせたいと思っています。一生懸命に「勝負」にこだわって練習をするから見えてくるものがあるのです。「部活動」に参加して適当に時間を過ごすのであればっわざわざやる必要はないと思います。人間は「所属欲求」というのがあります。集団に所属しておきたいと思う欲求です。自分は一人ではないと感じることで「安心」を獲るのです。しかし、それだけで大事な時間を使ってダラダラやることに本当に意味があるのでしょうか?適当に集まって適度に身体を動かす。これなら学外でもできるはずです。運動不足解消のための運動部というのは目的意識が全くないですから周りから見ると非常に嫌です。それも私の「価値観」でしかないのですが。

時間を守れない、基本的生活習慣を身につけることができない。これを認めているのが本当に「部活動」でしょうか。学校の教育活動の一環(勤務時間内に限るとは思いますが)としてどうなのか。私の「価値観」ですから批判される可能性はありますが。人が集まってワイワイ何かをやるのは部活動ではなく「遊び」です。目標を共有しながら同じ方向に進んでいくのが「部活動」に求められることであり適当にやるのは「サークル」です。基本的な「ルール」を教えていくことが「部活動」を通じて教育活動だと思います。「部活動」で求められる最低限のルールや約束事を守れない、他者に多大な迷惑をかける場合は厳しく指導されても仕方ないと思います。「なぜそれが悪いのか」が分からないから問題行動を起こすのです。厳しい指導とは「体罰」ではないというのは言うまでもありません。

陸上競技で予選で落ちる。このことを厳しく叱責しても意味はないと思います。競技力云々で注意を受けるのであれば強い選手は何をしても良いということになります。ここは大きな問題です。勝った負けたよりも大事なことがある。例えばレース前に必要なアップをする。この部分で手を抜いてレースで結果がでない。こういう場合は注意が必要です。一生懸命に準備をして全てやり尽くしての結果と準備不足での結果では評価は全く違います。その結果にたどり着くまでのプロセスの中に何があるかだと思います。

深く考えて部活をしている選手はそれほどいないと思います。基本的には「強くなりたい」「上手くなりたい」というのが根底にある。それがなく「運動したい」のであれば「部活動」としての意味はなくなります。教員は「部活動」のために働いているわけではありません。人によっては「勤務時間外労働は一切しない」と公言する場合もあります。それはそれで否定できない部分もあります。勤務時間以外に強制的に労働させられるのは良いことではありませんからね。私が部活動を見ているのも基本的には「勤務時間外労働」です。ここを「労働」と捉えるか「教育」と考えるかも「価値観の違い」でしかありません。どちらが間違っていてどちらが正しいというものではないですから。

私は後者です。教育活動だと思います。だから教員は多少無理をしてでも部活動で生徒と関わる。その中でしか教えることのできない部分があるからです。「走るのが速いから陸上をやる」という子が一番最初のスタートラインだと思います。しかし、それだけでは現実社会を生きていくことはできない。その現実を突きつけられるのは部活動だと思います。速いだけではできないことがたくさんある。人間関係を作ったり周りに気を配ったりする部分は「個人」ではできないからです。人と人との関わりの中で見えてくるものがある。それが「部活動」だと考えます。

小難しい話になりましたね。半分くらいの人は途中で「意味が分からない」と思われたかもしれません(笑)。まー個人的なblogですから興味のない人は読み飛ばしてください。それで十分です。誰かに好かれたくてblogを続けているわけではありません。本心は書けない部分がたくさんあります。それでも少しは「教育的な活動」につながるのではないかと思っている部分もあります。

相変わらずダラダラ長くなりました。また書きます。

コメント
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