照る日曇る日第964回
「巻第10藤戸」における佐々木三郎の海渡りは目覚ましい殊勲だが、漁民斬り(能にもなっている)の後味は悪い。
「巻第11扇の的」における那須与一の的中の後で、伊勢の三郎が与一に命じて、名人芸に感に堪えずに踊っている平家の老武者を射抜くのは興ざめである。その後両軍は小競り合いから一大ゲバルトになり、弓を拾おうとした義経は、悪七兵衛景清に追われて九死に一生を得るのである。
平家滅亡に大きな功績のあった義経、そして義経の兄範頼が、ほかならぬ頼朝によって誅殺され、平家の武者景清のほうが長生きするとは、いったい誰が想像しただろうか。
「巻第10」では、先帝、2位殿、能登殿、知盛の最期が、「巻第12」の「大臣殿最後」では、平宗盛と重衡の最期が粛々と描かれるが、ひとたびは安堵された平家の正統を受け継ぐ維盛の長男六代が、頼朝の死後32歳にして、鎌倉の六浦坂(一説では逗子田越川)で処刑される。
たいていの一方系写本による平家物語は、巻尾に御白川法王が大原に御幸して建礼門院を訪ねる「潅頂の巻」で終わるのだが、珍しや八坂系版の本巻は、平家の最後の後継ぎである「六代」が斬首される「断絶平家」で、源平逆転の一大ドラマの幕を閉じる。さうして、
それよりしてぞ、平家の子孫は絶えにけり。
というエピローグの言葉が、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。たけき者も終にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」というプロローグと、まるで円弧のようにつながって来て、覚えず胸に悲嘆が迫るのである。
ただⅠ首の歌すら生みだすこともなく大連休は過ぎ去りにけり 蝶人