蝶人物見遊山記第247回&鎌倉ちょっと不思議な物語第387回
通称「権五郎神社」。権五郎は平安時代後期の武将、鎌倉権五郎景政ですが、彼は源義家に従って「後3年の役」で奥州に出陣、その武勇をとどろかせた猛将です。
どれくらいの猛将かというと、秋田県金沢の柵で敵に右目を射抜かれたがひるむことなく射殺して自陣に戻り、味方の三浦平太郎為次に弓を抜けと頼んだところ、為次が顔に足を掛けて抜こうとしたので、「弓矢で死ぬのは武士の本望だが、土足で武士の顔を踏むとは何事か」と刀を抜いて斬りかかったので、為次は驚いて謝ったというのです。
まあそんないわれから林羅山はその著「本朝神社考」に御霊神社は眼病に効ありと記しているそうです。(「鎌倉の神社小事典)
鎌倉権五郎の話は「歌舞伎18番暫」や泉鏡花の小説「冠弥左衛門」や国木田独歩の「鎌倉日記」、久保田万太郎の戯曲「波しぶき」にも出てくるようですが、その豪傑ぶりにふさわしい深い森に覆われた風格ある社殿です。
「ティーチャー」と呼ばれし人は逝きました障がいを持つ子らを慈しみつつ 蝶人