蝶人物見遊山記第245回&鎌倉ちょっと不思議な物語第385回
長い坂の上の突き当たりに立っているこのお寺の開基は、5代執権北条時頼の家臣、宿谷光則、開山は日蓮の弟子日朗上人です。
ものの本によれば日蓮が「立正安国論」事件で佐渡流罪になったとき、光則は師と同時に捕えられた高弟の日朗を自邸の裏山の土牢に幽閉したのですが、その立派な人柄にうたれて日蓮宗に帰依し、自邸をこの「光則寺」にしたのだそうで、なんとなく同じ日蓮宗の「収玄寺」の由来に似ています。
裏山の土牢は思ったより広かったのですが、夏はともかく、寒い冬などをどのようにして凌いだのかと、暗澹たる気持ちになります。
このお寺の名物は、樹齢200年と称されるカイドウですが、先日紹介した「収玄寺」に似て様々な野草が境内所狭しと植えられているので、植物好きのマニアがよく足を運んでいるようです。
光則寺を出た左側には長谷幼稚園がありますが、材木座の海を遠望するここらへんがかつての満鉄総裁中村是公の別荘があったところで、明治44年に夏目漱石が訪ねています。
珍しき八重のドクダミ見つけたり亡き母上の庭の片隅 蝶人