照る日曇る日 第1121回

御鳥羽院は定家の教えをうけながら、急速に和歌の才能に磨きをかけ、ついには
思ひつつ へにける年の かひやなき ただあらましの 夕暮れの空
という会心の作をものするようになった。
彼の師である定家にも名歌はあるが、どうも頭の中で屁理屈を捏ねまわしたような作品が多いので閉口する。私は彼より素直に思いを歌い込んだ貫之や慈円の和歌を評価したい。
あしびきの 山下しげき 夏草の 深くも君を 思ふころかな 貫之
心あらば 吹かずもあらなむ よひよひに 人待つ宿の 庭の松風 慈円
しかし新古今全体を通じてもっとも個性的で私たち現代人の心情に直截訴えかけるのは西行の歌だろう。以前「山家集」を読んだときには、不覚にもそれが分からなかった。
あふまでの 命もがなと 思ひしは くやしかりける わが心かな
月を見て 心うかれし いにしへの 秋にもさらに めぐり逢ひぬる
風になびく 富士のけぶりの 空に消えて ゆくへも知らぬ わが思ひかな
古畑の そばのたつ木に ゐる鳩の 友呼ぶ声の すごき夕暮
世の中を 思へばなべて 散る花の わが身をさても いづちかもせむ
赤染衛門はずいぶん長生きした女性だが、彼女が清少納言のボロボロの住居を訪ねた折の歌は、なまなましい。才女の晩年は、あまり幸せとは言えなかったのかもしれない。
あともなく 雪ふるさとは 荒れにけり いづれ昔の 垣根なるらむ
若さだよ山ちゃん!などというてたころには若さもありしが 蝶人