照る日曇る日 第1114回
著者が26歳から29歳であった、1961年から64年にかけて発表された、14の短中編が掲載されていますが、なんというても、61年2月に「文学界」に掲載されて以来、57年ぶりに初めて書籍化された「セヴンティーン」第2部の「政治少年死す」が、本書のハイライトでありませう。
「セヴンティーン」は、当時街頭で孤軍奮闘していた赤尾敏の日本愛国党などを巧みに取り込みつつ、次第に過激な右翼へと転化していく少年の揺れ動く胸中に入り込んで、よくその性理と孤独な精神の変転を活写しているなあ、と感心しましたが、続編の「政治少年死す」には大きな疑問符がつきます。
前作における自由な空想と柔軟な筆致がかなり剛直化し、まるで浅沼稲次郎を暗殺した山口二矢の軌跡を後付けしているような印象が強く、失望しました。
とりわけ主人公が浅沼と思われる政治家を襲撃する個所を、「著者の想像の中の言葉」で直接書かず、報道映像の解説の文章として間接的に表現しているのは、納得がゆきません。
「政治少年死す」は浅沼暗殺事件のドキュメンタリーではなく、著者が山口のような右翼少年になり変って綴るべき純乎たる小説であるはずなのに、部分的に事実のなぞりが不用意に登場するのは、出版社の右翼への敗北ではなく、文学の政治への敗北といわれても仕方がないと思うのです。
なお本巻には、このほか「叫び声」「性的人間」などの力作もみっしり頁を埋めていますが、後年の数々の長編群を既に知った目で眺めると、いささか見劣りするのはやむを得ないでせうね。
台風がどんどん近付く夏の日よ57年待ちし小説を読む 蝶人