照る日曇る日 第1111回
これは短歌研究文庫から刊行され始めた、文庫本全歌集の最終巻で、「汨羅變」「誌魂玲瑯」そして彼の24番目の歌集にして最後の序数歌集となった「約翰傳偽書」などがぎっしりと収録されていて読み応えがある。いや、あり過ぎる。
国歌など決して歌ふな『國の死』を見しこともなきこの青二才
自衛隊員募集ポスター斜に裂け「みづからをまもる」てふ繪空事
朝鮮朝顔、否々「北朝鮮民主主義人民共和國朝顔」の毒
著者は1989年頭に一日10首の制作を課し、8年後の96年には約三万首に達したというが、プロの歌人といえども、これは難行苦行に近い道行だったのではなかろうか。
アポリネールの「カリグラム」烏丸車庫行の電車に置忘れたり
アウシュヴィッツのヴィッツに噛みし二枚舌以後百餘日絶食續き
いかに唇を閉ぢをらむ魚玄の冷凍庫内下積みの鱚
その三万首中、発表に値するのは十分の一内外と「月耀變」三百首に寄せるマニュフェストで書かれているが、実際にそれらの作品を読んでみると、飽くことなき詩魂の永久運動、あるいは最高級天才AIの自動表記!という印象は隠せないものの、まるで苦吟の跡など留めないのが脅威ですらある。
「やすらひ」と「やすらぎ」の間曰く言ひ難し白曼珠沙華折れ伏し
かの時に触れあひたるは刎頸の朋の胸骨剣状突起
今生と根性と紺青の差のさもあらばあれ人焼けば灰
まあ結局この人はノルマを課そうが課すまいが、毎日毎日なにかを詠む、言葉を押し出し、それと戦いながら加工し続けざるを得なかったのだろう。
力士四つに組んで折重なり喘ぎ喘ぎつづくる一人は童貞
バッハ管絃組曲二番ロ短調死語にし聴かばふたたび死なむ
「酩酊船」書きたる頃のランボーは海を知らざりけり十九歳
「誌魂玲瑯」の跋文には、「壮麗な独断と爽快な偏見を発条とせぬ立論や創作は空論に等しい」とか「想像力、即ち創造力を、一瞬に言語化=詩歌變に導け」という方法論が吐露され、さらには「マイナス10×マイナス10=プラス100、この百は正数10の10倍の百とは根本的に異なる」という信条が披瀝してあるが、いかにも言霊に魅入られ、言霊と戯れ、言霊と刺し違えたこの歌人らしいと思う。
必ず滅ぶとは思ひつつ日本もみづからも水無月の緑金も
究極は言葉に背きつづかて歌人たり 水無月の初霜
ここ過ぎてまた修羅の市、白緑に濡れて夕暮せまるユーカリ
「残暑お見舞い申上げます」呟きながら道端で息絶えてゆく町内の爺婆 蝶人