照る日曇る日 第1120回
「やまゆり園障害者殺傷事件」を、植松被告への継続的インタビューに基づき、彼の事件後もかわらざる主張、奇異なる世界観を紹介しつつ、識者の丁寧な解説と共に紹介した貴重なドキュメントです。
植松の主張は、障害者のすべてを殺害せよというのではなく、「意思疎通(名前・年齢・住所を自分で示す)ができず」、「人の心を失っている心失者」を安楽死させよというのですが、安楽死以前に、この手前勝手な障害者区分に同意できる人は本人以外に誰もいないでしょう。
百歩譲って、今現在そのように見受けられる最重度の複合障害者にしても、近い将来において、彼のいう「心失」状態を回復する可能性は常に存在しているのです。
勉強家の植松は、世界人権宣言を引用しておのれの主張を論理化しようとしています。その第一条には「すべての人間は生まれながらにして平等であり、かつ権利と尊厳について平等である。人間は理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」と書かれているのですが、植松は世の中には「理性と良心」を授けられていない人間がいる。そういう「心失者」のために莫大な経費と時間をかけるのはやめて国家が皆殺しにすればいいというのです。
後半は明らかに暴論ですが、植松が言うとおり、生物学的宿命によって、なかには「生まれながらに理性と良心の分配に預からない非人間的人間」も何パーセントかは存在していると思われます。
しかし「理性と良心」があろうがなかろうが、すべての人間は自由・平等・尊厳にかんしては天賦の権利を持っているので、世界人権宣言第一条の時代遅れのデカルト風の「理性と良心」規定は、削除すべきなのです。
また植松は「心失者」をケアするために莫大な経費が投入されていると妄想していますが、小泉政権以来この国では「心失者」であろうがなかろうが「自立」して生計を立てることを強いられ、現在安倍蚤糞が障害者のために投入している経費など、膨張する一方の軍事費に比べたら微々たるものでしょう。
それにしてもあの夜、相模原やまゆり園で、障害者の「理性と良心」の有無を学んだ植松が、一人づつ独自のノウハウ!で「心失者」か否かを判断しながら、合計46名の障害者を次々にナイフで刺していく姿を想像すると、身の毛がよだちます。
この男は、自分がケアしていた重度の障害者に、あるいは自分自身がなったかもしれない、結婚してできた子供が障害者かもしれないと、どうして自分の頭を使って想像できなかったのでしょう。
本書には、植松が獄中で描いたマンガも掲載されています。
ホラー漫画家の母親の才能を受け継いだとみえて、個性的なタッチで描かれている短編では、世界中で繰り広げられている混乱と闘争を、「大麻の妖精」ウイードが救済し、世界平和をもたらすというなんとも幼稚なストーリーですが、作画に多少けたくそ悪い不気味さはあるものの、作者の精神に異常があるとは思われません。
彼の脳髄は、クレージーではあってもマッドではなさそうです。障害者抹殺の冷静な確信犯だからこそ、あの事件以後も、自分の殺戮計画を撤回しないのです。
事件後植松は「自己愛性パーソナリテイ障害」と診断されたようですが、香山リカという精神科医は、自分が直接植松を鑑定したこともないのに、むしろ「発達障害」の疑いがある、などと無責任な噂をばら撒いていますが、科学的な根拠なきレッテルをみだりに張りつけるのはやめてもらいたいものです。
最後に本書には殺人犯の主張が掲載されているので、出版を中止せよという声が一部にあったそうですが、その意図がさっぱり分からない。植松被告の凶悪な殺人哲学の中身と誤謬をありのままに伝える本書の意図と内容は、極めて真摯なものであり、この前代未聞の凶悪事件の本質を知る上で欠かせない一冊といえましょう。
やい香山植松のどこが「発達障害」なのかその理由を言うてみなさい 蝶人