照る日曇る日 第1122回
1967年の「万延元年のフットボール」と1973年の「洪水はわが魂に及び」の2大長編を2段組560頁に収めた講談社版全小説の第2回配本です。
著者のノーベル賞受賞を決定的なものにしたという「万延元年のフットボール」。
著者の郷里を思わせる森に囲まれた僻村を舞台に繰り広げられる蜜一族の反乱と挫折、生と死を描く波乱万丈のピカレスク&ビルダングスロマン。かなあ。
万延元年と明治4年の村民一揆を指導した「曽祖父の弟」に自らを擬す蜜の弟、鷹四は、生に倦んだ無気力な兄、蜜三郎を挑発しながら、村の若者を組織し、村人の支持を得て朝鮮人の「天皇」が牛耳るスーパーを襲撃するが、結局三日天下に終わり、無慙かつ原因不明の自死を遂げる。
蜜は60年安保闘争の敗者であり、鷹四は来るべき70年安保闘争を担う闘士として描かれているのだろうが、その革命家の行動はあまりにも矮小である。
2つの安保闘争を挟んだ政治の季節の余熱の下に書かれたこの小説のリアルは、奈辺にありや? あらゆる反体制運動が死に絶えた現在の政治的状況からは隔世の感があり、もはや現代とは無縁な神話的エピソードとしてしか読むことはできない。
「洪水はわが魂に及び」は、この世に不平不満を懐く連中がトーチカのような梁山泊に籠り、警察権力と対峙しながら自滅してゆくという、どことなく安田砦や浅間山荘事件を想起させなくもない思わせぶりな小説である。
しかしもって回った奇妙な日本語を判読しつつ読んでみると、その実態は正体見たり枯れ尾花の、それこそ著者自身が表現しているとおりの「コートームケイの物語」である。
ノーベル賞作家ともあろう人物が、なんと下らない小説を延々と描き続けたものよ。ゆいいつ心を惹かれるのは「洪水はわが魂に及び」という表題であるが、それも「ヨナ書」からとられたフレーズであるとは情けない。羊頭狗肉とはこのことだろう。
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