照る日曇る日第1740回
本巻に収録されたのは「都甲太兵衛」、「鈴木藤吉郎」、「細木香以」、「小嶋寶素」「北条霞亭」「霞亭生涯の一年」「ペリカン」です。ニル・アドミナリな「ペリカン」は、文豪ストリンドベルヒの翻訳ですが、他はいずれも鴎外晩年の史伝でありまする。
一番長いのは「北条霞亭」ですが、同じ医師にして儒家を扱った「澁江抽斎」「伊澤蘭軒」に比べると、その出来栄えは明らかに一段劣るように感ぜられるのは、恐らく作者の力の衰えと対象人物の人となりの所為でせう。
面白いのは短編の「都甲太兵衛」でして、細川忠利公の前で宮本武蔵からほんの一瞥でその力量を認められた都甲太兵衛と武蔵の対話は、まるで歌舞伎の名場面をみるようで、印象深いものがあります。
「人は据物で何時でも討たれるものじゃと思うて居るのでござります。」
「(細川殿)お聴きになりましたか。あれが武道でございます。」
しかし晩年の鴎外は、なぜ地を這うような異様な情熱を、これらのいっけん無味乾燥な史伝執筆に傾けたのか? その答えは、やはり1910年の大逆事件の衝撃に求めるほかなさそうです。
悪辣な北条一族が滅ぼせり源家の子孫も御家人もみな 蝶人