照る日曇る日第1745回
映画「パターソン」に導かれて世に贈った米国20世紀前半の詩人の代表作を読んでみた。
映画の中の詩のような詩を期待していたのだが、その予想は大きく覆され、一言で約言できない奇妙な、しかし面白くないこともない、現代の詩であった。
その特徴の第1は、詩人がバスで30分ほど離れた町パターソンを象徴的に擬人化?物語化していること。
第2は、韻文と散文を密接不可分なものとして一体化していること(おらっちには散文の方が圧倒的に面白かった)。
第3は作品の第5巻Ⅲの中で太宰治の「斜陽」に就いて触れていること。
―「彼女は「選ばれた」のかもしれない、ダザイ・オサムとあの聖女のような姉なら そう言うだろう」
最後に、詩について以下のようななかなかよいことを言うておることである。
―「詩というのは、感動をこめた言語と言ったらいいでしょう。リズムを整えた言葉です。詩はそれ自体で完全な小さな世界です。独立して存在します。すぐれた詩は、詩人の全生命を表現するものです。詩人とはなにかを教えてくれます。」
言葉から詩を立ち上げるのは間違いで心の奥から立ち上がるもの 蝶人