あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

チャールズ・ブコウスキー著・中川五郎訳「書こうとするな、ただ書け ブコウスキー書簡集」を読んで

2022-07-09 09:04:32 | Weblog

 

照る日曇る日第1760回

 

アベル・デブリットが編纂したアメリカのパンク詩人&作家チャールズ・ブコウスキー(1920-1994)の書簡をパンク歌手&翻訳家の中川五郎選手が刊行しました。

 

「詩が広まったことは一度もなかったし、今もそうだ。そうだ、そうそう、知っているよ。、豊かな感情や深遠な真実を数行の簡潔な言葉で表現することができた李白や昔の中国の詩人たちがいた。」

 

ブコウスキーは郵便局員とかバーテンダーなど色々な職業を転々として、食うや食わずの超貧しい生活をしながら、1)ビールを浴びるように飲むこと、2)いい女と死ぬほどオマンコすることと並んで、3)ブラームスのレコードを聴きながら、タイプライターに向かっていたすら書きまくることが大好きなひとで、そこらへんが、大学で詩学なんかを講じながら「自分の詩を旗のように振っている」インテリ詩人とはなから違っていたようです。

 

「人を催眠術にどっぷりかけてしまうような詩の書き方をしなかったりすると、何だか響きが悪い下手な詩を書いていると決めつけられてしまう。彼らは、自分たちがいつでも耳にしてきたようなものを聞きたいだけなのだ。」

 

んなわけで、酒と女に眼がないルンペンぷろりたりあーと出身のアルチザンの詩も小説も大好きな中川選手が訳出したこの手紙ほどオモロイてがみは、あんまりないでしょうね。

 

「インテリ人種がわたしの金玉を切り落とす。私にとっての始まりはどれも(わたしにとって!)新たな始まりなのだ。そうでなければほかにどうやって自分が生きているか死んでいるか気づけるというのか?」

 

その大半はビールを飲んで酔っ払いながら書いているようですが、だからと言うて中身が酔っ払っているかというと、そういう手紙も少しはあるが、思わずハタと手を打ち合わせたり、居住まいを正して傾聴せざるをえない名文句だったりするので、ぐんぐん読み進まずにはいられません。

 

詩を学ぶ最良の手段は読んで忘れることだ。なぜなら理解できない詩が特に優れたものだとは私は思わない。殆どの詩人は守らた生活の中で限られたことしか書けなくなっている。それなら私は詩人よりもゴミ収集人や配管工、揚げ物調理人とおしゃべりする方がいい。

 

   ついにいく道とはかねて聞きしかどきのう奈良とは思わざりけり 蝶人

 

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