照る日曇る日第1799回
1990年9月に読んだ小説を再読したが、やはり詰まらなかった。
三島選手の文才と筋立ては、そりゃあ若い頃からたいしたものだが、あまりにも頭が良さすぎるので、大脳前頭葉という箇所の機能を過大評価しすぎているようだ。
恐ろしいことに、彼氏は、森羅万象を自分の言葉であますところなく書きおおせることができると過信しているので、それが私のような読者をいらいらさせるのである。
すべての造形が、血の通わないデクノボウだから、それらが紙上で絡み合っても、てんで生きたモノガタリにならない。ところが彼の演劇では、見事にその逆の事態が生起するのだから、げいじゅつは摩訶不思議である。
もちろん小説の言葉と詩の言葉は異なるが、それを踏まえたうえで、
「午後の曳航」の数十万行も、北原白秋の
青いソフトにふる雪は
過ぎしその手か、ささやきか、
という、たった2行に敵わない、と、おらっちはひそかに考えているんであるんであるん。
遥々とスペインからやって来て100g128円で売られる豚の肩肉 蝶人