照る日曇る日第1804回
2020年7月10日、92歳で卒去した、偉大なる歌人の35番目の歌集にして、遺歌集を読みました。
題名は絶筆の、
ああこんなことつてあるか死はこちらむいててほしい阿婆世(あばな)といへど
から取られたそうですが、阿婆世の意味はよく分かりません。
まあともかく色々あったけれどいよいよ長い人世におさらばするぞ、というような意味なんでしょう。
で、その内容的としては、総合誌や「未来」に掲載された短歌に加え、いくつかのエッセイや編集後記などを、さながらグリコのオマケみたいに付け加えていますが、いずれも短いものばかりです。
病に苦しめられている高齢者が、詩歌をつくったり、文章を書くことが、どれほど苦痛と困難を極めるか、私は体験的に熟知していますが、それでもなお本書に収録された最晩年の短歌は、往年全盛期のそれに比較すると、その調べも、中身も、かなり貧弱で、残念無念と言うほかはありません。
さりながら、如意ならぬ仕儀に立ち至った糞便と便器を題材とした「便座考」は、自らをドン・キホーテに擬したような、悲愴にして滑稽な味わいをもち、表現者としての勇気も必要とした意義深い作品で、わたくしは身につまされるように味読致しました。
つかみつつ、探るのだ、その軟便を。或いは便座そのものをさへ
さりながら、
二万人を超えたる人が「静」の御題で歌会始へ。咲けよ梅たち
眞子さまのお歌難問と申し上ぐ助詞の爪もて答へ出したが
などの宮廷詩人歌、さらには、「(敢えて言うなら)「君が代」や「海ゆかば」が好きである」とかの発言は、かつての歌人の政治的立場を知るわたくしを、いたく失望させましたし、
左脚つねによろめく。弱いんだなあ昔から左よわ虫!
てふ「自嘲歌」には、「なに、これ?」と、ほろ苦い微苦笑で報いるしかなかったずら。
若き日は左の人も歳取れば次第に右に傾くという好例に数えていいのか 蝶人