照る日曇る日第1800回
直木賞作家の松井選手が、のちに師父と仰ぐような存在となる、かの有名な歌舞伎演出家の武智鉄二氏と出会って、運命を変えられるような体験をするという波乱万丈の半生の回想録なり。
本書を読んで、おらっちは初めて、際物映画の監督としてしか認知していなかった武智鉄二という天才的な人物の人となりについて、つぶさに知ることができたように思います。
物語や伝記は、人物は、その正史ではなく、その逸話によってしか理解できないとは音楽評論家、三浦淳史氏の名言であるが、それを地でいって成功したのが本書でありませう。
息つく間もなく読みあげて、末尾の注釈をぱらぱら眺めていたら、「劇団木霊」という名称がわが2個の眼球に飛び込んできた。
「劇団こだま」なら、おらっちが大学1年生の数か月だけ在籍したひたすら地味な学生演劇集団だったがあ、と妙に気になって調べてみると、60年代にはひらかなであったその表記を、69年になって生田萬という人物が改名したのだそうだ。
木霊ならぬこだまの入団試験は、部屋の真ん中にチョークで2本の線を引き、リーダーらしき人物が「これは小川であるから渡ってみよ」というものであったが、おらっちが下駄を脱いで、両手に持って渡ったら、それが良かったらしく合格の判定が下った。
ところが翌日から、毎日近所の原っぱの大きな木の下に新人全員が集まって、例の「アイウエオ、アオ」の発声練習をやらされたのには大いに閉口したので、その翌日からは出なかった。
ところが、しばらくして「夕鶴」の公演をやるから「惣ど」をやれと言われたが、「あんなニッポンのどんくさい芝居はどんな役でも嫌だ」とゴーマンにも断り、結局形だけの裏方を務めて退団してしまったのだが、会社勤めを終えてから、ぼちぼ歌舞伎や能文楽見物をするようになったおらっちにも、意外や意外、役者志望の時代があったことを、本書を読むまですっかり忘れていたずら。
ザアメンの匂いとどこが異なるかうまく言えずに栗の木過ぎる 蝶人