今回の浅草橋訪問の真の目的は、ある鮨屋を訪ねる事だった(ずいぶん寄り道しちゃってますが…笑)。昔読んだ本「神田鶴八鮨ばなし」の著者・師岡幸夫氏の修業先として名が挙がっている店で、他にも様々な文献で触れられている老舗。しかし、このネット情報が氾濫する現在において、その長い歴史とは不相応に情報の少ない「美家古鮨本店」を訪ねるためだ。HPには創業文化年間、店を構えたのは慶應2年(1866)とある。いつかは行ってみたいと思っていたが、なかなか機会もなく、いくらか情報を集めようと思ったけれど、鮨に関する古い本に名前は出てくるものの、実際に訪問した記録や写真は驚くほど少ない(同ルーツと思われる浅草の辧天山と立喰処はたくさん出てくるが)。ネットでもしかり。やっと機会を作ったのが今回。昼時に意を決して予約なしで飛び込んでみた。
店は柳橋に近い路地にある。昔は花街だったというこの近辺も住宅地となっていて、華やかさの名残りを感じさせるものはほぼ皆無。その路地に店が見えてきた。看板には「柳ばし代地」とある(代地とは「江戸で公用徴収された町地に対して代償として与えられた土地」だそうです)。暖簾が掛かり、明かりが点いているので営業中である事は分かったけれど、予約はしていないので入れるかも分からないし、外からでは先客がいるかどうかも分からず、ちょっと緊張した。思い切って引戸を開けて中に入ると、幸いな事に先客は無く、「よろしいですか?」の声に「どうぞ、いらっしゃいまし。」と返事をもらう。親方が1人で漬け場に立っていた。店内はもちろん年季が入っているが、古色蒼然という感じではなく、昔ながらの鮨屋といった雰囲気。カウンターと右側に小上がりがあり、荷物はそこに置かせてもらえた。その上ではテレビが流れている。親方の他には女将さんのみで、親方の真ん前に座らせてもらった。
親方の後ろにタネを書いた木札もあるが文字が消えかかっており読みにくい。最初から身を任せてみようと決めていたので、お酒はもらわず、「おまかせ」でお願いする。このシチュエーションなら親方がどんな頑固な人であっても驚きはしないが、いかにも鮨屋の親方らしい雰囲気がありつつも、言葉遣いは丁寧で、色々食べられるだろうからと「1個づつ握りましょう。」とあちらから声をかけて下すった。この辺りでやっと落ち着いてきて、あとは握りを楽しむのみ。
しばらくして出された握りを見てビックリ。系統を辿っていくと弟子筋にあたる鶴八(神田鶴八、新橋鶴八)も大きめだが、ここは更に大きい。江戸の昔、握りはおにぎりのような大きさだったというが、まさにそんな感じ。まるで華屋與兵衛の鮨と伝えられている絵を見るようだ(個人的なイメージです)。形も似ている。それにご飯は親方が「うちのはあったかくて旨いよ。」と言うだけあってかなり温かい。ここまで温かいのも初めて。煮切りは塗られているので特に醤油をつける必要はない。それこそ頬張るというのが正しい大きさの握りを、思い切って口に放り込む。握りはかなり柔らかめなので上手く持たないと崩れてしまうのでけっこう焦る(笑)。途中で女将さんが出してくれた吸い物は魚のあらで出汁を取っているようで自慢らしく、親方も「お代わりしてよ。」と声をかけて下さる。自分は食べるのが早いので、ポンポンと握りを口に入れていくが、何しろ大きいので腹に落ちるまで普段より時間がかかる。するともう握りが置かれているので、またちょっと焦る(笑)。数えていた訳ではないが10種類程出ただろうか。人にとっては異形で、食べづらい握りかもしれないが、タネとの全体的なバランスといい、自分は嫌いじゃないです、この握り。これに玉子、それに弟子筋でもお馴染みの、トロ、中トロ、赤身が巻かれた太巻きと言っていいほどの鉄火巻き。そして水菓子が出て終了。いやぁ、満腹です。「すし喰ったーっ」という感じ。必死にテンポを合わせて早く食べていったつもりだったが、あとで親方がひと言、
「おたく、食べるの早いねぇ。」
いやいやいや(苦笑)、握るのが早いからこっちは必死でしたよ。だんだん慣れてくると、意外にも話好きだった親方と話がはずむ。入った時との印象は違い、ざっくばらんな雰囲気で、女将さんも声をかけて下さるし、思いのほか居心地のいい店だった。「お粗末さまでした。」との親方の声を背中に聞きつつ店を出る。いやぁ、来てみて良かった。やはり実際に来てみなくちゃ分からないなぁ。面白い体験だった。絶対また行こう。(勘定は¥7,300程)
東京都台東区柳橋1-10-12
(みやこずしほんてん みやこずし 美家古寿司 美家古鮨 柳橋美家古鮨)