ハリーの「聴いて食べて呑んで」

日々増殖を続ける音源や、訪問した店、訪れた近代建築などの備忘録

玉屋 @名古屋市千種区・覚王山

2020年02月26日 | 名古屋(千種区・守山区 老舗)

覚王山の日泰寺参道にある食堂「玉屋」。創業は大正2年(1913)という100年を超える歴史のある食堂だ。日曜休みなのでなかなか機会が作れなかったが、ある祝日にやっと訪問が叶った。開店してすぐの時間に店に着いたが、すでに数組の先客が。中はテーブルが5つ、小上がりが3つという造り。こちらの店は盛りが凄いことでも有名。名物のかつ丼を大盛にすると2合のご飯が出てくるというから恐ろしい。若い頃なら1度位チャレンジしたいところだが、オッサンが試して万が一にも残すのは嫌だし、食べ切れたとしても1日が終わってしまうのでもちろん注文はしない。壁に貼り出された品書きには食べたいものが沢山。カキフライ定食と激しく迷って、結局注文したのは「カツカレー」。給仕のおばちゃんに「ご飯少なめで。」と忘れず伝える。

しばらくして「カツカレー」が登場。ちゃんとお冷やも添えられた。その他にも小鉢のポテサラが付く。持ち手の付いた深めの楕円皿に盛られた「カツカレー」はご飯少なめにしてもらってもしっかりとした量。その上にカツが鎮座している。脇には赤い福神漬け。しっかりめに揚げられたカツの豚肉はかなり厚く、衣も厚め。細切れ肉が入ったビーフカレーはしっかりと辛味もあって旨い。カレーと合わさった時のカツの衣の旨さは言うまでもない。ガツガツと食べ進んでいった。この味なら普通盛(つまり他店の大盛以上)であっても問題なくいけただろうナ。向かいに相席で座った単身ご高齢のバーサンは「きしめん」に海老天をのせるカスタマイズ。きしめんのつゆの色がかなり濃くて旨そう。次はその「きしめん」か、それとも名物「かつ丼」か。横の席の夫婦が注文していた単品の「カキフライ」もなかなか立派な牡蠣を使っていた。あれをビールで…。悩みは尽きない。(勘定は¥920)

 

 


 

↓ 日泰寺参道から外れ、道路を挟んだ北東にある霊堂へ向かうと小高い丘の上に見えるのが「第一軍戦死者慰霊碑」(明治34年・1901・建造、のち移設)。日清戦争の戦死者の慰霊碑で東京砲兵工廠で鋳造されたもの。かつては現在の中区役所の前あたり、広小路のど真ん中に建てられていた(写真3枚目)。周囲を「愛知県庁」「愛知県会議事堂」「名古屋市役所」等が囲んでいたが、この慰霊碑の周囲を路面電車が通るたびにカーブで大きな音を立てるので議事の進行にも支障をきたしたのだとか(笑)。広小路も延長されて交通の邪魔になるという事で建立されて20年も経たないうちにこちらに移設されたとのこと。慰霊碑の周りの柵に使われているのは実際の大砲の砲身(七糎<センチ>山砲と七糎野砲だとか)。

 

 

 

↓ 特異な形の屋根が目を引く「東山配水塔(東山給水塔)」(昭和5年・1930・建造)。例年は年2回開放されていたが、周辺が工事中で最近は開放されていないよう。現在はこの慰霊碑側からが一番よく見える。いかにも古そうに見えるトンガリ屋根だが、実は昭和58年(1983)に設置された比較的新しいもの。にしても愛嬌があって秀逸なデザインだ。

 

↓ その給水塔の東側道沿いには名古屋市の上下水道100周年を記念した「飲水思源碑」という記念碑があり、その脇に「東山配水場2号配水池・水位計建屋」(大正2年・1913・建造、移設)があった。屋根下に碍子が付いているので、かつては電気の引き込みがあったようだ。

 

 


 

麺類食堂 玉屋

愛知県名古屋市千種区山門町2-47

 

( 名古屋 なごや 覚王山 かくおうざん たまや 玉屋食堂 麺類食堂 大衆食堂 にったいじ 大盛 デカ盛 かつどん 近代建築 名古屋市都市景観重要建築物 )


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« つたや (4) @岐阜県各務... | トップ | Loud Hailer / Jeff Beck »

コメントを投稿

名古屋(千種区・守山区 老舗)」カテゴリの最新記事