変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

生かせいのち

2011-09-30 13:42:55 | Weblog

 昨日、このブログでも書きました高校生の時に「私が体育祭でその子の代わりに
 100㍍走った」お話をしたと思います。
 その彼女から、メールがあり、彼女の家へ(寝たきりのお母様がいらっしゃり
 外で会うより、彼女が安心して過ごせるので…)、高校時代のお仲間他に二人も
 含め、4人でお昼を頂きながら…
 集まることになりました。

 とても、楽しみです!!
 でも、(私は、三人の方と40年ぶりなので…顔が分かるか?ちょっぴり心配)
 私以外の3人は、交流をされていたようなので…問題ないようですが。


 40年ぶりの再会はどんなふうになるのでしょうね。
 人生って不思議!!


 今日で9月も終わります。
 10月から、後、3ヶ月で今年も終わり…時の流れを早く感じます。


 今日は、私の愛読誌「高野山教報」からご紹介します。


            『生かせ いのち』  
                       藪 崇史(福岡県 切幡寺住職)

 仏道においては様々な修行がありますが、一番の修行は仏さまを真似ることです。
 常に仏さまと自分を照らし合わせて日々の暮らしに役立てることが最良の修行と
 なるでしょう。千手観音さまは千の手と千の目を持ち、多くの人を一度にお救いくださる
 仏さまです。この仏さまを真似て生きて仏となった小さな菩薩さまをご紹介します。

 小学校2年生の千代ちゃんは、学校の帰り道に交通事故に巻き込まれ両目と両足を
 なくしてしまいました。しかも病院の検査の結果、血液の病にも侵されていて、あと
 数年の命であることがわかりました。悲嘆にくれる母親に、優しく思いやりのある
 千代ちゃんは常に明るく接し、悲しむ母親をかえって励ますほどでした。
 怪我にも病気にも負けずに明るく振舞う千代ちゃんの周りには入院患者が集まり
 互いに励まし合っていました。

 そんな時、ふと悲しげにお母さんに言います。
 「私が千手観音さまだったら患者さん皆さんを治してあげるのに。みんなに
 励まされても私は何もしてあげられない」と涙をこぼすのでした。
 母親は「千代ちゃん、千羽鶴を折って観音さまにお願いしてみようよ。
 千の手、千の目がなくても千羽鶴なら折れるはずよ」。
 千代ちゃんは恐る恐る手探りで鶴を折り始め、ようやく見事な千羽鶴を折り上げました。
 そして「いつも励ましてくれる患者さんに早く良くなるようにプレゼントするのよ」
 と言いながら、一番の仲のいいおばあちゃんの病室に向いました。

 おばあちゃんは「私の方がどれだけ元気づけられたかわからないのに」
 と涙を流して喜んでくれました。
 それからというもの、千代ちゃんは生きがいを見つけたかのようにせっせと鶴を折り
 病院中の患者さんにプレゼントをしていきました。
 千代ちゃんのたった一つの願いは、自分が作った千羽鶴を見ることでした。
 臨終の際に患者さんたちが、今まで千代ちゃんが折った千羽鶴を持ち寄りベッドに
 敷き詰めました。病にうなされながらその奇跡は起こりました。
 
 母親の手を握りしめ、
 「お母さん、怖いよ。目の前が眩しいよ」と絞り出すような声で言ったあと、こぼれん
 ばかりの笑顔とともに、「千羽鶴が見えてきたよ。こんなにきれいな千羽鶴を私が
 作れたんだね。お母さん、教えてくれて有難う」そう言って、再び弱々しい声になり、
 「私、観音さまのところへ行くから心配いらないからね。本当に幸せだったよ」
 と息を引き取ったのでした。
 お医者さまは幻覚を見たのだろうと言われますが、私は、観音さまに憧れ、観音さま
 のように人々に光をもたらした千代ちゃんに、千手観音さまが千の目の一つをくださった
 に違いないと思うのです。

 仏とともに歩むとき、本当の幸せを知ることでしょう。わずか11歳で尊い命を失った
 少女は、仏とともに自らの命を生かし抜き、幸せだったと何度も感じ仏の国へ旅立ち
 ました。
 人の一生とは、どれだけ長く生きるかではなく、どれだけ命を生かすかが大切なの
 です。み仏の思いを、心に、言葉に、行いに。


泣きながら…鼻水を流しながら…書きました。
   私たち、頑張りましょう!!!

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これでよかったのか

2011-09-28 15:04:14 | Weblog

 秋晴れでとても爽やかです。
 
 息子の彼女が度々わが家へ遊びにくるようになりました。
 いままでの息子は、同じ女子と3ヶ月間続いたことがありませんでした。
 が、初めて今の彼女とは3ヶ月間続きました。
 明日明後日と2日間とも連日、彼女とデートするようで…
 母は、二人の青春の光り輝く日々が、嬉しく、うらやましい。

 二度とない青春を謳歌して、思い出を沢山作ってほしい。
 今の彼女は、なかなか気の付くとてもしっかりした、1歳上の子です。
 先日、メールアドレスを交換したら、さっそく、お礼のメールが入りました。
 やっぱり、なかなかいい子です。


 昨年、私の実兄が、前立腺の癌の疑いがあり…ヒヤヒヤとしました。
 その兄は、優しい性格で、とても穏やかな人です。
 ただ、小心者で騙され易く…亡き母は、気にかけておりました。

 そんな兄は、一度医者へ行き、癌かも?と言われ、とても怖くなって…
 それ以来、6ヶ月以上医者へは絶対に行こうとせず、一人娘の(私の姪)に
 説得されて、やっとこさ、癌かもといわれてから8ヶ月以上経ってから医者へ
 行きました。
 そんなこともあって、この新聞記事が目に入りました。ご紹介します。


           『これでよかったのか』  井上 治代(東洋大教授)
 
 私の姉は21世紀を数時間だけ生きて1月1日に逝った。姉は臆病で体調が悪い
 のを更年期のせいにしてほっておいた。体力が衰え、病院へ連れて行ったときには
 既に乳癌末期と診断された。
 姉には癌であるとは話したが末期とは言わず、
 「早く治療して来年には皆で旅行しようね」とウソをついた。
 抗癌剤治療をするか否かなどすべての判断を本人抜きで、姉の家族や私が
 下すことになった。

 年末、もう直ぐ学校や仕事が終わって家族皆が病院に詰められるというとき、
 姉の痛みが強まり、セデーション(意識レベルを下げて痛みを感じなくする処置)
 を判断した。姉を楽にして上げられたけれど、もう二度と家族と話せなくなる判断を、
 本人ではなく私たちが下した。

 私は「本当に、これでよかったのか」と今も思う。
 病状を話していれば、家族と別れの時間が持て、高校生の娘に言っておきたい言葉も
 残せたに違いない。しかし、話していたら、耐えられなかっただろうとも思う。
 「看取り」には後悔がつきもの。だからこそ私は勧めたい。
 「病名や死期の告知を希望するか否か」の意思表示と、意識があるうちに
 「ラストメッセージ」を家族のために書き残すことを。

 「いろいろ気遣ってくれて、ありがとう。素晴らしい家族に恵まれ、私の人生は幸せ
 でした。さようなら」。

 こんなメッセージが枕元から出てきたら、
 「私たちの判断は、間違ってなかった」と、どれほど安堵したことか。
 
 
  数年後になるか、30年後になるか?
  「いろいろ気遣ってくれて、ありがとう。素晴らしい家族に恵まれて
   幸せでした。さようなら」と私も言いたい!   
   そのために、今日を大切に生きよう!!                     

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彼岸に想う

2011-09-25 15:21:27 | Weblog

 今日は、とても爽やかな一日となりました。
 明日まで、お彼岸ですね。
 毎年できれば、お彼岸中に主人と実家の方、両方の家のお墓参りに行きたい、
 と思っていますが…

 皆さんも、(なかなか苦手な作業の一つ)お墓参りは一苦労なされていることと思います。
 お出掛けになりましたか?


 まだ、足の病気がなく、元気だった時は、実母と一緒によく両家のお墓参りを
 欠かさずに行っていました。
 が…今では、母もいない、主人も仕事となれば、一人でやってやれないことはないが…
 病気の足では、なかなかやっかいなこと(水汲み、墓掃除、雑草取りの作業をしゃがんで
 (お墓では、膝をつきたくないので)30分以上は、ちょっとしんどい!
 …特に実家は本家と親戚とで、3件分なので、作業をすると、1時間はゆうにかかる。

 車で、片道2時間(渋滞すれば3時間)一人で運転し…一時間の墓掃除は…憂鬱。
 なので、勝手で、ご先祖様には申し訳ないが、 主人が休みになったら、兄を誘い、
 必ず行きます、と朝夕の読経でお詫びしています。

  そんなことから、今日は私の愛読「高野山教報」から、ご紹介します。



          『彼岸を想う』 
                   大阪府 佛並寺住職 丹波義寛
  
  お彼岸ですね。去年同様、猛暑が続きました。まだまだ昼間は暑いですが、
  朝夕の風に秋を感じるようになりました。どれだけ暑い夏もやがては終わり
  秋が訪れます。私たちの人生もそうでしょうね。
  秋といいますと何を感じますか。考えられることは山ほどございます。
  食欲の秋、読書の秋、紅葉、観光など…。
  でも考えると感じるは違います。季節が変わる時「諸行無常」を感じる人が
  少なくありません。
  諸行無常とは、例えば今日一日したことを三日後同じようにしても、一緒では
  ないですね。
  私たちの身体では髪や爪も少し伸びていますし、街角の草花や大空の雲も
  変化しています。言い換えますと、あらゆる全てのものが今の現状を保つこと
  が出来ず、常に変化していることを諸行無常といいます。

  季節が変わる秋、昔の人々は限りある肉体にて、遥か彼方より受け継がれてきた
  “いのち”を感じ受け、仏さまの世界「彼岸」を思いました。
  昼と夜の時間が同じで、お日さまが真西の沈む中日の前後三日を含む一週間を
  「彼岸」と呼び、仏さまとのご縁を深められてきました。
  彼岸とは、川の向こう岸で仏さまの世界です。対して川のこちらの岸を此岸といい
  私たちの住む迷い苦しみの世界です。迷い苦しみの世界から仏さまの世界を想う。
  此岸から彼岸を想うことで迷い苦しみの世界にも尊さや美しさ、有難さに気付き、
  感謝する心が芽生えます。

  現代社会に生きる私たちは、向こう岸への想いを失いつつあります。
  彼岸に背を向ければ此方岸しかありません。
  自分や周りの大切な皆を此岸である迷い苦しみの世界に閉じ込めてしまわない
  よう、「彼岸を想う」心を大切に育んで参りましょう。

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帰宅難民 400万人

2011-09-23 14:39:36 | Weblog

 今日から三連休。
 でも、相変わらず…私たち家族には関係ありません。
 暑さ寒さも彼岸まで…
 本当にすっかり(台風通過後)秋風に変わりました。
 つい、寝る前は暑いので、昨日窓を開けたまま…(夜中に寒くて閉めましたが)
 数時間…うっかり寝てしまい、今朝は起きてから頭痛がし、股関節痛では飲まない
 鎮痛薬を飲んでしまいました、が、まだ、ぼんやりと痛みがあります。


 21日の台風は、今回予想通りのルートを通り、最大規模の勢力でした。
 
 私が舞踊家の現役の頃にも今回のように沢山の台風に見まわれました。
 私は、指導する生徒さんの安全のため、あらかじめ前日か午前中までには、
 お稽古を中止するか否かを決定し、電話連絡網で流していました。

 そんな時、予想が外れて、レッスンを休んだことを後悔する時もありましたが、
 ただ、大雨・大風の中、特に幼児はずぶ濡れでそのままレッスンして、もし風邪でも
 ひいて熱をだすかも・・・と考え、振り替え日にレッスンを…で対応していました。

 今回、都内だけで400万人の人が帰宅困難者になってしまった…と知りました。
 我が家の息子も困難者になり、深夜13時30分(電車が動くまで待っていて
 電車で)に戻りました。
 息子は美容師なので、「台風の日に美容院へ来る人なんかいないでしょうに?!」
 と考える母の予想は、なんとビックリはずれました!
 あんなに風雨が強いのに、きたーーーー(お客さんが)そうです。
 お客さんが(予約も含め)来る限り‥‥帰れない、店を閉められない、
 そんな日に限って家の息子、ヘルプでよその店(普段は川崎でもし、電車が止まっても
 私が車で迎えに行けるのに…こんな日に地下鉄新宿線の船堀へ行ってました。
 
 テレビを観ていると、刻一刻と台風が近づき…電車が止まるのも時間の問題、、、
 と思っていたら…次々と止まった!!!

 主人はというと、たまたまこの日だけ休みになっていて本当によかった。

 ワイドショーで言っていた。
 3.11を体験していたので、会社の方針で、13時に全員帰宅決定をした会社の
 社員さんは、スムーズに帰れた。
 が、15時16時と、少し早めの帰宅を促した会社の社員さんたちは・・
 次々に止まる動かない電車になすすべもなく・・・
 唯一のバス、タクシーは長蛇の列。ずぶ濡れになりながら、多くの人がぐったり。。
 今回の台風は、スピードが50㌔と早く…早期退社を決定した時には…
 もう、間に合わない、という構図だった。

 だけど、もっと早くの判断はできなかったのか?
 電車が動かなくなるのは、だれだって分かるでしょう。に。
 「官庁が休止しない限り、一般の会社は休みにできない」とゲストがコメントしていた。
 そういう、都知事は、また勝手なことばかり言っていた。
 「帰ろうが残業しようが、どうしょうが、本人が決めればよいんだ」って。
 本人が、勝手に早退できないでしょうー
 運転手付きの車で送迎されている、知事や社長さんには、とうてい庶民の考えは
 分からない、通じないのだろう!

 都庁に勤めている9500人が一斉に(ノー残業デーで退社)新宿駅に集中して
 余計に混乱させたようでした。
 それこそ、ノー残業デーをやめさせて、残業させるように、指示すればよかったのに。
 これを教訓に帰宅難民が出ませんように、上に立つ方にお願いしたいです。
 
 …にしても、11時過ぎまで電車は動かなかったようで…
  大変な一日だったようです。

 私は、はなっから、こんな日の外出は絶対にしません!!
 いつ何時、転ばないとは限らないので…
 変形性股関節症になってから、とても慎重になりました!!!(うそつけ、と言われそう…)

 自分だけは、大丈夫! という考えは、危険です。
 みなさん、くれぐれもご自愛下さい!
 

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百歳

2011-09-19 14:19:23 | Weblog

 今日は「敬老の日」。
 いつからか、いつが…敬老の日か分からなくなりました。
 政府の方針で、祭日ばかり増やして…
 よくないと思っています。

 昨日、町内会の方が、わが家に叔母の敬老を祝い、お赤飯と紅白饅頭を
 届けてくれました。
 町内の方とのふれあいは、わが家はあまりないので…
 ありがたく思いました。

 
 今日は、敬老の日でもありますので、99歳の詩人、(昨年話題になった
 「くじけないで」の)柴田トヨさんの詩集『百歳』の誌が、出版を記念して新聞広告
 になってましたので、ご紹介します。


             『百歳』
    柴田 トヨ
     私  来年になると
    百歳に なるの
         奉公  戦争  結婚  出産  貧しい生活
    いじめられたり  悩んだり
    辛いこと  悲しいことも
    あったけれど
    空は  夢を育み
    花は  心に潤いを
    風の囁きは  幾たび
    私を  励ましてくれたことだろう
    あっ  という間の九十九年
    両親も夫も  友だちも
    みんな  逝ってしまった
    でも  次の世で会えるわね
    私  笑顔で会いたい
    そして  いろいろなこと
    話してあげたい
    百歳のゴールを
    胸を張って駆けぬけよう


 私も百歳の時、健康で元気に笑顔にあふれ、自分の足で歩くのが、目標です!
    「百歳でも歩ける身体と心を目指しましょう」へへへ  

 

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糖質制限食

2011-09-17 16:03:17 | 日常生活

 今、叔母を2ヶ月に一回は連れて行く、(家から車いすを押して2分の場所)の
 床屋さんへ、髪のカットと顔そりへ連れて行きました。
 台風の影響からか、風で飛ばされる、と思うくらいの強風でした。
 叔母は、痩せているので一人で歩いたら…本当に飛ばされるよ(汗)

 今度、篠原涼子さんの「アンフェア」を近々、戦友(同病方で同時期に入院手術を
 共にした人)と映画を観に行く約束をしたこともあって…
 テレビでしきりに映画の宣伝をしている時に篠原さんが言っていました。
 「お水(ミネラルウォーター)を一日約2ℓは飲んでいる。体内の毒素を出すという
 意味で…。その代わりトイレに何度も行きますよ」と。

 昨日からさっそく…私も暇際あれば…なるべく水(常温の浄水器からの水)をたくさん
 取っています。確かにトイレへ何度も行きます。
 効果が現れるには、だいぶ先のことでしょうー

 昨日、30代の時のパンツを(一年に2度くらいしかはかない)はきましたら、
 太もももお尻もピチピチのキツキツ。
 ビックリしました。体型が、いよいよ中年の下半身デブになってしまったようです。
 鍛えていた、足もおしりも、今は昔!
 昨日から、あわてて、腹筋とピップアップ、太ももを動かす、運動をしました。
 リハビリにもなるし、一石二鳥、ただし、痛みさえでなければ…ですね。
 痛みなし。毎日、1分間、運動をしよう、なんて、思ったけれど続かないかも?

 
 こうなったら、やっぱり、お食事しかない。
 またまた、目に入りました。記事をご紹介します。
  〜江部康二(財団法人高雄病院理事長)医師。糖尿病や肥満克服に効果がある
   「糖質制限食」の体系を確立。著書に「糖尿病がどんどんよくなる糖質制限食」
   (ナツメ社)他~

      糖を控えて肥満・糖尿病を改善。『糖質制限食』

 糖質制限食は、脂質やたんぱく質をしっかり摂取し、血糖値を上昇させる糖質だけを
 極力減らす食事療法です。上がった血糖値を下げるために分泌されるのがインスリン
 ですが、インスリンは別名‘肥満ホルモン'とも呼ばれ、余った糖分を脂肪として体に
 ため込む働きがあります。しかし、糖質の少ない食事を摂っていれば、血糖値の
 上昇自体が抑えられインスリンの分泌は少なくてすむ。当然、血糖値もよくなるし、
 インスリンの働きで脂肪をため込むこともなくなります。

 実は、糖質制限食こそ人間本楽の食生活です。
 人類の歴史は約400万年ですが、そのほとんどは狩猟採集生活でした。
 農耕始まったのはせいぜい数千年前。人間の体は本来、活動に必要なエネルギーは
 脂質を中心に使うようにできています。糖を食事で摂らなくても、体内で作る働きが
 備わっているのです。ところが、炭水化物や糖質の多い食事を摂るようになると、
 血糖値を下げようとインスリンが追加分泌され、結果的に脂肪が使われずに余り、
 太ってしまうのです。

 主に生活習慣が原因として起こる糖尿病では、糖質制限食を実践すれば、必ず
 血糖値が改善します。減量効果も絶大で、普通に制限食をするだけで、10人中
 8人は痩せます。
 

★糖質が多い食品の例
 白米、パン、カボチャ、イモ類、ケーキ、菓子類、根菜類、ドライフルーツ、果物類、
 ビール、日本酒、砂糖の入った飲み物

☆糖質が少ない食品の例
 魚類、魚介類、肉類、卵、大豆食品、きのこ類、海藻類、葉物野菜、
 赤ワイン、蒸留酒(焼酎、ウイスキー、ブランデー)


①ブチ糖質制限食
 夕食だけ主食(ご飯やパン、麺類)を抜く。ダイエットや血糖値が気になる人向き。
②スタンダード糖質制限食
 朝・昼食のどちらか1回だけ主食を食べ、残り2回は抜く。境界型糖尿病や比較的
 軽い糖尿病の人はここから始めてもいい。
③スーパー糖質制限食
 朝・昼・夕食とも主食を摂らない。高雄病院で糖尿病患者に推奨しているのは
 このタイプ。

※糖尿病の治療中なら、必ず医師の指導の下で行う。血糖降下剤やインスリン注射
 をしている場合、低血糖の発作を起こす危険がある。また腎不全、活動性の膵炎、
 肝硬変のある人は、糖質制限食を行ってはいけない。


 10人中8人には、効果がある、ということです。
  極端に太っていなければ、さして痩せなくてもよいと私は考えますが…
  (整形外科医は、往々にして、体重管理のお話をされます。耳にたこの方も
  多いと思われますが…)
  きららの方たちもですが、なかなか体重を現状維持するのは難しいようで…
  皆さん、今年よりも翌年、次の年というように、毎年、太っています…
  (きららの皆さん、ごめんなさい)もちろん、数名は痩せていますが…へへ。
  痩せなくてもよいけれど、太っては良くない!! と私は思います。
  どうぞ、お心当たりのある方は…実践してみてください!!
  天高く、肥えないように! エヘへ ホホホ



         

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残暑と体調

2011-09-15 14:39:17 | 私の身体

 真夏のような日差しに、ジリジリと焼かれるような感覚を腕に受けながら…
 ベランダで洗濯物を干しました。
 
 もう、一ヶ月が経ちました。
 体調が悪く…体の変わり目かも?…と思ってから。
 体の全身のしっしんが始まってから、もう一ヶ月。
 やっと、小康状態のような気配。今までは、いつも常に赤くて痒かったのが
 一日に2~3どのかゆみで、薬を塗って治まるようになりました。
 
 ただし、昨日は、全身の倦怠感があり、無理はしないと、ゆっくり休んでいました。
 でも、叔母のことはしっかり、やらなければいけないので…
 やっぱり、つらいと思ってしまいました。

 自然に自然治癒力を信じて、待つというのは、歳になると、時間がかかって
 大変だー。辛抱は、辛いですね。
 まだ、時々のかゆみがあり、ブツブツも目立つので…
 リハビリと楽しみである、温泉もプールも行かれません。
 悲しい…
 後もう少し、の辛抱…
 頑張れ頑張れ、と自分で、掛け声をかけています。


 なので、致し方なく、グタグタと新聞を見ていたら、面白い投稿記事がありました。
 ご紹介します。


        『個人の権利に戸惑い』  金 成一(東京都)
 秋の行楽シーズンを前に、多くの写真コンテストの文字を目にする。
 あるコンテストで担当者が、写真に写っている人たちの了解は取れているのかと
 応募者に確認していた。写真には多くの人が写っており、了解など取れるはずも
 ない。
 食い下がる応募者。担当者も肖像権トラブルを避けるため譲れない。
 「それじゃ、人の写った写真なんか撮れないじゃないか」と応募者。
 「確かに人の写っている写真での応募は少なくなっています」とは担当者。
 
 街の良さを広げようとのコンテストなのに、街の本当の良さである人と笑顔が
 そこにないのは寂しい。さまざまな権利が騒がれ、その対応も難しくなっているが
 それによって街の賑わいを伝えられないとは少し複雑である。


井戸端会議大好きおばさんは、考えた。
  じゃ、ピューリッツァー賞のカメラマンは、どうなのよ!?
  いちいち、了解なんて、取らないぞーって。。。。。エヘェ
 
  

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生かされた命

2011-09-12 12:19:20 | Weblog

 叔母が、デイへ行きました。
 なんだか、のんびりしています。
 このボーっとする時間が大切なんでは、と思う歳になりました。

 昨日くらいから、股関節周りの筋肉にはりが。
 筋肉痛が遅れて出る歳なんですねー。 トホホホホー。
 早速、叔母がいないので、ゆっくり、のんびり、ラッコちゃんでほぐしました。
 30分。又、叔母が帰ってくる前にほぐそうと思います。

 昨日は、3.11から6ヶ月ということで、沢山、東日本の震災後の報道が
 あっちでもこっちでもされていました。
 まだまだ、これからですね。
 私は、インターネットからの毎日一回のクリック募金を続けています。
 114円になりました。
 復興には、20兆円(5年で)のお金が必要との事。
  塵も積もれば…です。どうぞ、クリックして下さい!!

      http://www.unilever-sabd.jp/

 いまだに、行方不明の方も4000人以上いらっしゃるようです。
 多くの尊い命を失いましたが、身近には虐待が…まだ、あります。
 里親になっていた方が、里子を殺してしまった事件や、いまだに虐待で命を
 落とす小さな命が絶えません…
 悲しいです。
 私の愛読誌「高野山教報」からご紹介します。


           『生かされた命』 藪 崇史(福岡県・切幡寺住職)

 罪を犯した子どもを預かり、社会に適応できるように応援する施設があります。
 ある女性がこの施設で子供たちの生活面のお世話をしておられましたが、出産・
 育児のために休暇をとられました。
 無事に女の子を授かり、育児に勤しむ中で気掛かりだったのが施設の子供たちの
 ことでした。多くの子どもが複雑な家庭事情を抱えており、特に、中学一年生の少女
 のことが気になって仕方ありませんでした。

 その少女は乳幼児の頃、両親に虐待され捨てられた後に孤児施設で育てられ、
 6年生の頃から万引きの常習、中学校に入ってからは他の少年達と共謀し、
 窃盗、恐喝、薬物の販売にまで加担しここに入ることになったのでした。
 彼女は何も強制することなく、子供たちの心を癒そうと笑顔で見守っていました。
 多くの子供たちが彼女に心を開いていったのですが、この少女だけは表情も
 変えず、冷たい視線に恐怖を覚えることもあったといいます。

 わが娘を愛おしく思いつつ、愛情に恵まれなかった少女のことがなおさら心苦しく
 子どもが生後3ヶ月を過ぎた頃から、赤ちゃんを連れて施設に戻り働き始めました。
 施設の子供たちはいつも遠巻きにわが子を見つめるだけでした。
 しかし、梅雨時のある晴れた日、洗濯に夢中になり一時間ほど経ったころわが子の
 様子を見に行くと、子どもたちに囲まれた中でわが子が泣き叫んでいたのでした。
 放っておいてごめんねと駆け寄ると、あの無表情の少女が
 「子どもを置き去りにするな」とすごい剣幕で詰め寄ってくるのです。よく見るとおむつを
 替えようとしていたらしく、少女の手は赤ん坊の排泄物にまみれていました。

 女性は少女の手を取り、何度も「ごめんね、ありがとう」と言いながら手を洗って
 あげました。少女は目を潤ませて「赤ちゃんって大変だね。ずっと付き添っていなければ
 いけないんだね。でもこの赤ちゃんはいいね、おかあさんがいてくれて。私なんか
 生まれなければよかった」と言い出したのです。

 女性は手を握り締めたまま、初めて大声で泣きながら訴えました。
 「そうよ、赤ちゃんは誰かがいなければ生きていくことができないの。でも赤ん坊は
 教えてなくてもお乳を吸い、泣いて訴えて精一杯生きようとしている。あなたたちにも
 誰かがいたのよ。ご両親じゃなかったかもしれないけど、誰かがミルクを飲ませおむつを
 替えてくれたのよ。たくさんの人たちが守ってくれていたのよ。そうじゃなかったら
 今生きていることはできないの。生きている命なの、生かされている命なの。
 粗末にしないで」と心から叫びました。涙の訴えに少女は、手を握り返し泣き崩れた
 そうです。

 その後、彼女たちは命の尊さを思い出したように生かされている命について考える
 ようになり、自分のことも人のことも大切に考えることができるようになったと聞きました。
 忘れてはいないでしょうか、私たちもそうだったことを。生かされる命、生まれたくて
 授かった命、命を育む一切のご縁に改めて感謝し、仏道に照らして大切に生きて
 いきたいものです。
 

 

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芸術の秋

2011-09-10 12:45:42 | 歩行

 秋ですねー。 でも、残暑で暑いです!
 昨日は、『芸術の秋』を先取りして満喫するため、上野・東京国立博物館・平成館
 『空海と密教美術展』へ‘きらら'の相棒と出掛けました。

 
         

  9月25日まで、開催しております。足がお元気でしたら、ぜひ、行かれると
 良いと、思います。右の写真は、スカイツリーですが、ボケてしましましたね。


 密教、真言宗・空海は、いつも私がブログでご紹介しております、「高野山教報」の
 弘法大師様です。
 バレエを引退する前は、毎年のように一年に一回は高野山へ行き、宿坊に宿泊し
 奥の院へ参拝しておりました。
 今回は、相棒が「行こう~」と誘ってくれたこともあり、では、と叔母のディの日でもあった
 こともあり…出掛けました。

 相棒の身障者手帳で、同伴者(私も)無料で、観覧できました。ありがたいことです!
 上野まで電車で、約50分。乗り換え一回、途中で椅子に座れ、上野駅へ。
 駅は、中高年と修学旅行の中学生で、ごったがえしておりました。
 博物館までは、7分位歩きます。
 今回は、しっかり歩けるように、入谷先生のインソールをいれました。
 インソール使用は、実は、2回目。普段は、使用しないかった。
 銀サロの田山先生に「インソールの使用具合はどうですか?」と聞かれ、
 実は、まだ一回しか使用してなくて… と 苦笑…

 夏で、サンダルを履いていたこともあり、又、お買い物へ行くときは、ほとんど、
 スニーカーなので、インソールを入れなくても…大丈夫だから。
 何て、言い訳をして。

 ディズニーシーの時は、スニーカーにインソールを入れて、足がなんともなく、頑張れ、
 翌日、元気で痛みもなかったので、今回は、二回目ということで、ウォーキングシューズ
 にインソールを入れて、使用してみました。

 私って、天然だ、と自分で笑ってしまいました。
 家から最寄の駅まで、歩いて3分、なのですが、どうも足の裏があまりに痛いので…
 駅のベンチで、よくよく見ると…
 インソールを上下間違えて、入れていました。左右は間違えていませんでしたが、
 つま先が踵のほうへ……  よく入りましたよねー。
 自分で苦笑して入れ替えました。アー、やっぱり、履き易い。
 当たり前だー

 朝、10時~16時まで、美術展なので立って歩いて、8000歩は歩きました。
 入館するまでに、また行列、しかもシルバー(元気な中高年)がうようよ。
 相棒曰く、9月4日に嵐のコンサートへ行ったとき、最寄の駅から自分のコンサート会場の
 席に着席するまで、一時間かかったそうです。

 私たちも上野の駅から、平成館に入るまでに、一時間かかりました。
 行列をだらだらと並んで、待っているのは、足に堪えますね。
 でも、足が頑張ってくれないことには…
 生で観賞出来ませんから‥‥‥‥

 中へ入っても、物凄い人でした。遠巻きにしていては、人の頭しかみられません。
 一番前に行って、空海の直筆の書や仏具、仏像、絵画、曼荼羅。
 1200年前のものに、感動しました。
 東寺講堂の仏像群による「仏像曼荼羅」は異空間の気を感じ、感動でした!!
 東寺へは、40代で行ったはずなのに…始めて見た仏像群でした。 
 東寺へ京都へ奈良へ行きたい! って思いました。

 だけど、足はかなりお疲れ、相棒も足が痛いと…
 駅までの足取りの重いこと重いこと!!

 もう、歩けないー、とばかり、駅前の軽食を食べ、重い足取りで。
 今回は、靴が革靴なので、(私の足の指は、親指よりも人差し指が長く…俗に
 親より出世すると云われている足の指)なので、人差し指が靴の中で、山のように
 上へ曲がり、それが靴と擦れて…指が靴擦れになって、皮がむけました。
 入谷先生へ10月に再チェックのために行くので、言わなくっちゃ。

 朝、起きて、さてさて足の痛みは?疲れ具合は?と心配しましたが、
 (一晩寝たら、ありがたいことに‥‥ なんともなく)
 結局、銀サロの松本先生が心配して下さった、インソールによる足のバランス
 が変化するために起こるかもしれない、筋肉痛と股関節痛は、ありませんでした。
 ということは、裏を返せばしっかり、股関節周りの筋肉が使えているということだ、
 と思え、よかった、と安心もしました。


 足が痛いと、どこへも行かれません。
  変形性股関節痛に負けないで、元気で楽しく、人生を歩みたいですね!
  皆さん、ご一緒に頑張りましょう!!

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姿の力

2011-09-06 15:59:35 | Weblog

  せつない、やるせない、
 気持ちに突然、朝の掃除機をかけている時に… なりました…

 秋なんですねー

 気分が感傷的になり、憂鬱です。
 朝・昼、かまわず、イビキをかいて寝ている叔母の世話が、憂鬱に。
 いつもいつも気が休まらず・・・憂鬱に。

 あしたになれば、きっと元気になるはず。
 考えてもせんないことは、考えないでおこう。
 グチグチ、ぐちったら、すっきりしよう。


 あーーーーー、せつない。


 こんな日は、修行だ。

 私の愛読誌「高野山教報」から、ご紹介します。


               『姿の力』
                      西 宏円(福岡県 遍照院住職)

 先日、新聞の投稿欄に、年配のご婦人が若い方を見直したという投稿が載りました。
 ある夜、家の前の道路で人の声がするので二階から覗いてみると、車が止まって
 いて金色の髪をした若い男女4、5人が立っていたそうです。
 そして、しきりに「ごめんな、ごめんな」と謝る声がしていたそうです。
 目を凝らして見てみると、その中の一人の若い男性が動かなくなった猫を抱いて
 いたそうです。恐らく誤って車ではねてしまったのでしょう。
 そしてその後、若者みんなで道のはずれの土を掘って、死んでしまった猫を埋め、
 どこから持ってきたのか草の花を供え、しばらく合掌した後、車で走り去ったそうです。

 投稿したご婦人はこの様子を見て、初めは俗に茶髪といわれるような髪をした若者
 たちだったので疑いのまなざしで見ていたそうですが、その行為が、はねられっぱなしの
 動物をよく見る昨今、優しさにあふれた行為だったと書いておられました。
 そして人は見かけに寄らないものだということを改めて感じさせられた、とも書いて
 おられました。皆様もこのように、人は見かけに寄らないと感じられた経験が多少
 なりともおありでしょう。

 私がこの言葉を深く感じ、心を動かされたのは中学校2年生の時でした。
 当時、私の通う中学校の校長先生は山辺先生という方でした。その先生は、
 温和な方で、怒ったお顔を私は見たことがありませんでした。
 学校の全校集会でも多くを語られることはなく、心動かされる訓辞をなさるタイプ
 ではありませんでした。
 ただ、いつも白いワイシャツに地味なネクタイ、地味な背広をきちんと着ておられました。
 
 当時、私はバレーボールをしていました。授業が終わると体育館で練習が行われて
 いました。そんなある日、たまたま休み時間に体育館に行くことがありました。
 今はもう建て替わってしまったその体育館は古びて、まして休み時間は照明もなく
 薄暗い所でした。その薄暗い古びた体育館で、一人のおじさんが薄汚い作業着を
 着て、黙々とひびが入った壁にセメントを入れて補修する作業をしていました。
 「何だ、工事か。電気くらいつければいいのに」と思いながらよく見ると、その作業を
 しているのは校長先生でした。

 授業が終わってバレーボールの練習に行ってみると、ひび割れていた壁にはセメント
 が詰められ、白いペンキまで塗ってありました。私は、校長先生自ら私たちが使う
 体育館を修理してくださったことへの感謝の気持ちと、薄汚い作業服の格好だけを
 見て、心の中のどこかで人を差別していた自分への恥ずかしさでいっぱいでした。
 このとき、子供の頃から聞かされていた
 「人を見かけで判断してはいけない」「人は見かけに寄らないものだ」
 という教えを心から理解したような気がいたします。

 ところで、お大師さまの教えである真言宗では、体と言葉と心とが一体となった
 修行を「三密行」といって、修行の基本と考えています。
 ここでいう体とは印を結ぶこととも言われていますが、私は体の行い、つまり
 私たちの行為と考えられると思います。
 親が危険にさらされた子どもを無理やりにでも引っ張って救う時は、まさに親の手が
 お不動様の手となり、病気の子どもを撫でてやるときは観音様の手でもありましょう。
 
 まさに、心のこもった山辺先生のセメントを詰める手は仏さまの手であったと今、
 思います。

 人は見かけに寄らぬもの。上辺だけの見かけや姿ではない本当の姿、つまりその人の
 心のこもった行為が人を救い合い、助け合う社会をつくるような気がします。
 心のこもった尊い行為を少しでも多く出来るような生活を心がけたいものです。
 それがお大師さまが目指された密厳浄土、この世の極楽を作るための、小さいかも
 知れませんが確かな第一歩となるのです。

コメント (4)
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