変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

今年もお世話になりました

2011-12-31 14:07:36 | 日常生活

 私のブログを読んで下さる皆様、今年もお世話になりました!
 読んでくださる方がいらっしゃるから…つたない、自己中心的な文章でも…
 頑張って書こう、という気持ち、意欲がでます。

 本当にありがとうございました!!
 また、来年も自分の思いを色々と書いていきます。
 また、見に来てください。


 今日は、「希望」のお話です。


 先日の27日に今年最後の銀サロへ行ったことは、先日書きました。
 そのときに、聞いたお話です。

 銀サロの副院長である、田山先生がパパになられました。
 25日に待望の男の子が、誕生されました!!
 身長 49㌢  体重 3186g  
 おめでとうございます!! 
 田山先生は、(だからなのでしょう~目が輝いて)とても充実され、
 はりきって施術されていました。


 もう一つ、股関節仲間のインド舞踊家でヨガ講師の方からのメールです。
 彼女は、3年前の‘きらら講演会'(銀サロの松本先生講師)の時の参加者でした。
 その後、松本先生の施術を予約するも、地下鉄銀座一丁目から、電話があり、
 歩けなくなったと…
 駅まで、迎えに行くも(銀サロで待ち合わせをしていた、そのあとお茶をして話そうと…)
 一歩も歩けない様子。施術の時間も大遅刻で結局キャンセル、色々と話をした。

 そのあとも、歩行困難になり、銀サロへも何処へも出られなくなり、私が一年後に
 彼女の自宅へ「ラッコちゃん」を持って様子を見に。
 彼女のお母様が、やはり変形性股関節症で、40代で人工関節の手術をなされ、
 その後、医者に言われるままに…片足3回、反対の足2回の再々置換をされ、
 3度目の足は、脱臼を2度繰り返し… と、大変な姿を身近で見ていたので…
 自分が40代後半に、同じように歩けなくなったけれども…手術は嫌だ、 
 と、思っていたようで…

 私が「いつまでも、痛みが続くわけはないから、もう少し(手術をしないで)頑張って!」
 と言った言葉を信じて、痛みを我慢して、手術をしませんでした。
 私が言った言葉を信じてくれた縁で、いまでも一年に一回はランチをしています。
 私は、自分が辞めてしまった舞踊をなんとか彼女には辞めてほしくない、との
 思いも有って…他人事ではありません。


 痛みが強く出ていた時から、2年間は痛みが続いていたようです。
 2年目の冬(昨年)富士温泉病を卒業しました(骨頭の形がよくなり、矢野先生から
 通わなくても良い(1ヶ月の一度は通ってリハビリしていた)と、太鼓判をされ、
 今年の3年目の冬の一昨日(28日が富士温泉病院の最後の診療日だったのでしょう)
 彼女から、メールをもらいました。以下、彼女のメールです。



 お元気ですか。今日一年ぶりに病院に行きました。レントゲンの結果は、昨年よりも
 さらに骨頭が丸く滑らかになっていて、変形の原因となった臼蓋(大腿骨の先っぽを
 包み込む骨盤側の受け皿の骨)が延びてきていました。
 私の知らないところで、黙々と治ってくれている体に感動して感謝しています。


 
 実際に私は、彼女の股関節のレントゲンを見ていませんが、事実は事実だと思います。
 骨は、確実に修復するんですね。
 彼女のこの事実は、保存療法法で、頑張っている方たちの希望と励みになる、と。
 私は、とても嬉しく、確信しました!! 


   『変形性股関節症に負けないでね!』

   皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい!!

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今年最後の…

2011-12-28 14:02:01 | 日常生活

 昨日は、寒い一日(北国や雪国の方は、もっと寒くて大変でしょうが…)だったので、
 おでんにしました。晩酌に(いつもはうすーいウイスキーですが)日本酒を飲みました。
 なんととても飲みやすく…つい、飲む量が…
 体は、ホカホカ気分は上々!  だったのが、しばらくすると、

 体は、だるく、胃は痛く、頭は重く… 
 (結局、胃薬を服用した。だけど、熱った体にアンカはいらなかったが…)
 朝、お酒が体に残っているのがわかった。分解し切れなかったのね。
 やっぱり、飲みなれないものは、用心が必要!
 
 月曜日は、今年最後の温泉施設へ‘きらら'の相棒と。
 体がふやける位、低温浴(炭酸泉の露天風呂で)しました。

 火曜日は、今年最後の‘銀サロ'施術。
 二ヶ月ぶりの施術は、あっちこっちと痛かった(痛気持ちよかった)が、施術後は
 屈曲も開脚も伸展もすべて、楽にできるようになる、のでとても嬉しい!!

 筋力の具合をみる、銀サロへ行く前の地下鉄・東銀座の駅の階段昇りは(60段)
 4分音符のタンタンタンタンと最後まで手すりを使わず、リズムを乱さず、昇りきって
 痛みもなし! よーし、今年最後のチェックもOK。
 
 施術後は、快調で、帰りの地下鉄東銀座駅、下り階段60段は、8分音符で、軽快に
 駆け下りました!!!
 自分でも、ビックリ!!!!!  
 「松本先生、今年もお世話になりました。また、来年もよろしくお願いします!」
 と大声で先生へご挨拶しましたが、今度は、天の神様に思わずお礼を心の内で
 言ってしまいました!

 足の自己管理が、今年も上手にできました。
 足が元気だからこそ、気持ちも前向きになり、色々と出来るというものです。

 
 今日は、(水曜日)今年最後の叔母の医療マッサージ(午前中に終わりました)。
 午後、これから内科の往診です。
 忘れもしない…3年前の12/28日深夜、叔母はベッドから転がり落ちて、右股関節
 骨とう頚部骨折で、救急車で搬送(私は、帰りのことを考えて自家用車で追いかけ)
 結局、叔母は入院。私は、午前5時に帰宅。
 朝、入院の荷物を作り大変でした。そして、病院は年末年始で手術が出来ず、
 年明けの5日に人工骨頭置き換え術(ステムのみ)、手術できない期間が長かったので
 痛みが強く、毎日お見舞いへ行き、何も家事ができなかった。

 ですから、この時期、病院はもう休業です。くれぐれも転ばない! ように。
 自分も含め、ご両親様にもご注意下さい!


 その叔母は、さっきマッサージの先生が2時間前に来て、施術をした、ことも2時間後
 忘れていた。あーーーーー。悲しい。
 3年前のことを思えば、どってことない!!

 3年前の叔母は、介護4でした。
 今は、介護2

 年明けに介護認定の人が来て、また査定される。
 このところ、元気で、ときとぎのボケだから、もしかしたら、介護1になるかも。
 

 まっ、深く考えても悩んでも、どうにもならないことは、考えない。
 すべて、天の神様と仏さま、ご先祖様の御心にそってやればよし!!
 だから、なにが起きても、慌てない。
 すべて、受け入れるように…受け入れられるように…
 (時間がかかってもいいから…)が、バレエを引退しなければならない、
 変形性股関節症になってしまってからの私の信条になりました。

 あと、少し。今年も最後まで、体に気をつけて、頑張りたい!


 皆様、まずは、体です。股関節の自己管理をしっかりやって、元気に頑張って下さい!



      『変形性股関節症に負けないでね!』

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メリークリスマス)

2011-12-25 14:26:15 | 日常生活


 
 
 
  
         メリークリスマス! 

 なんだかんだと…あっーという間に、今日はクリスマス。
 あと、一週間となりました。
 何をするわけではないのに…気ぜわしいですね。

 昨日、年賀状の宛名書き印刷をしよう、としたらインクがなく、今日、家の近くの
 ヤマダ電機へ朝一で出掛けたのに… 物凄い込み方で、駐車場は普段は閉鎖されている
 屋上にとめました。もうびっくり!!
 帰りにスーパーでの買い物、これも混雑。親子連れがやっぱり多い。
 なんだかんだと、混んでいると買い物もいつもの倍時間がかかる。
 

 でも、家に戻ると…
 主夫の主人が、大活躍で台所のコンロと水周り、洗面所とお風呂場の大掃除、
 フローリングのワックスがけ。
 全部一人で頑張ってくれ、なおかつ、昼飯も用意してくれていた。

 あーーーー、なんとできた夫。
 うれしいーーーーー!

 と、いうわけで、私は何もせず、我が家の大掃除は終わった。

 これから、私がせめて、我が家の年賀状をやろうーと思う。当たり前だ、とお叱りを
 うけそうですね。へへへへ。

 年末のお片づけ、年始の用意など、どうぞ、ご無理をなさいませんように!!


            『変形性股関節症に負けないでね!』
 



   
 
  

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報恩感謝

2011-12-23 12:47:33 | Weblog

 日本列島全体が、凍える寒波に被われています!
 今日は、天皇陛下の78歳のお誕生日。
 ご高齢でのご公務は大変でしょうが…
 いつまでも、お元気で気品あふれる笑顔で…国民を励ましていただきたい、ものです。

 
 息子が勤める美容室のHPがありました。
 お近くの方は、クーポン券で割引もききますので、ぜひ、一度ご利用下さい!
 (出来れば、息子、彦坂をご指名いただければ、嬉しいです!)←親ばかですみません。
 よろしくお願いします!! 


  『EARTH』川崎店

 http://www.hairmake-earth.com/php/hairmake/salon/shop_detail.php?area_id=14&shop_id=100075




  今日は、先日の私の愛読誌『高野山教報』(ありがとう繋がりで、とても良いお話なので)
 からご紹介します。

               『報恩感謝』  吉武隆善(大分県・弘法寺住職)

 お大師さまは何時も、「親の恩」についてお説きになっておられます。恩を知り、恩に
 感謝し、恩に報いる。
 元バレーボール選手の川合俊一さんが、あるテレビ番組に出ていたときのことです。
 司会者が一つの段ボール箱を持ってきました。川合さんは中を見ると照れくさそうに
 笑いました。中にはお米やさつまいもや果物、そして手作りの餃子の具と皮が入って
 いたのです。それは川合さんのお母さんからの荷物でした。
 恥ずかしそうに、そして嬉しそうに話されていた様子がとても印象的でした。
 それを見て私はどこも同じだなあと思いました。そして数年前のことを思い出したのです。

 当時私は、大分県の自坊を離れ高野山に家族と住んでいました。そのときによく母が
 お米やお供え物の野菜などを送ってきてくれました。「お茶菓子をいっぱいもらって
 あるからどう?果物はある?」と電話をくれては送ってくれました。
 あるときは「キャベツをいっぱいもらったから子どものお菓子と一緒に送ったよ。
 でも宅配の人が“またか”って笑うね」という電話があり、次の日荷物が届きました。
 宅配便のお兄さんがやってきて、「大分からまた荷物です。いつもこんなに送って
 もらって有難いですね」と言いました。

 有難い―家にあるものを送ってきてくれるだけ、と思っていた私には忘れていた言葉
 でした。その日、荷物が届いた報告の電話をかけると、父が出て「いつもお母さんが
 一生懸命に荷造りしているよ。汁が出ないかとか、入っているものが傷まないかとか
 気を遣っているみたいだよ」と言いました。
 その言葉が追い討ちをかけるように、当たり前だと思い感謝の気持ちを忘れていた
 自分を、つくづく恥ずかしく思いました。「荷物が着いたからね」という言葉は出ても、
 「有難う」と心からと言ったことはありませんでした。
 お大師さまは「報恩感謝」ということをお説きになっておられます。私は仏門に入りながら
 報恩感謝の感謝という部分を忘れていました。今では宅配便のお兄さんの言ってくれた
 「有難いね」という言葉を「有難う」にかえて言っております。

 お大師さまは「性霊集」の中にこう説かれています。
 「我々が生まれ、我々が育つのは親の恩である。親の恩は高い天よりも高く、
 厚い地面よりも厚い。我々が身を粉にしても報いきれるものではない」。
 親は子を思い、報いを期待せずあらゆる愛情を注いでくれます。しかし子は、
 親の愛は当たり前だと思っているところがあります。また、育ててもらったことは
 忘れて都合の良いときだけ親子であり、親に経済的能力がなくなれば見離す例も
 多くなっています。

 思い返してください。私たちはどうやって生まれ、どうやって育ってきましたか。
 今まで父母に対して感謝し、それに報いたことがありますか。
 もう一度親の恩を思い返し感謝の気持ちを表してください。
 難しいことはありません。いつ何時でも、「有難う」という言葉を言うことです。
 そしてそれに合掌をつけてください。心から合掌し「有難う」という言葉は、
 何にも勝る親に対しての一番の報恩になるのです。



 亡き母生前中は、私は、母に恩は感じていたものの…
    当たり前だと思い…なかなか「有難う」と言いませんでした。
    母が亡くなる何年か前は、認知症になった母に対して
    ― とても大変で、有難うってたまには、私に…(母に)言ってくれーって
      泣きながら母を責めました― 今、思い出せば恥ずかしい~
     お母さん、ごめんなさい。

    自分が、母にたくさん、たくさん、「有難う」って言えばよかった!
    言わなければ、いけなかった!!  と今は思います。
     天国のお母さん、お父さん、ありがとう!!!  私は、元気で頑張ってます。

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息子のカット

2011-12-21 14:52:34 | 私自身のこと

 昨日は、息子の美容室へ行きました。
 初めて、息子にシャンプー前に髪の毛を触られて、
 「おふくろって、こんなにネコっ毛だったんだー」って言われ…
 お互いに鏡の前で目を合わせ、ちょぴり照れました。

 シャンプー、とても丁寧で上手でした。
 カット、正直、耳の横が右と左のバランスがずれていたらどうしよう? なんて、
 冗談で周りの方へ言っていましたが…
 一人前でした! 思っていたより、普通に、美容師でした!!

 親として、とても誇らしく嬉しかった!
 親ばかの私は… 知り合いにメールをして、宣伝しまくりました!


 仕事から戻った主人に「どうよ!!」って言うと…
 

 「なんだー?? 本当に行ったのか? 全然変わらないけど…」だって。

 
 ダメだこりゃ!!


 主人は、着るものにも髪の形にも無頓着だった。
 白髪染めは、私にしろ、って言うくせに…

 息子は、オシャレな私に似た。 私は、一人っ子だったせいもあって息子には、
 小さい頃から、洋服もセンスを気にしたよいものを着せた。
 だけど、中学生になり、反抗期になり、洋服も自分で購入するようになり、
 その時は田舎者(差別語ですみません)みたいに…
 スボンを下に落として…足を極端に短くして、ダボダボのズボンをはいていた。

 今は、とても高価なもので、体にピチピチのものを着ている。
 靴もブーツを何足もあり、片付けないで履きっぱなし、で…


 何だか、日頃の息子へのうっぷん暴露話のようになってきたので…
 この辺で止めます。


 一日、一日、2011年もわずかになりました。
 何かと、せわしない年の瀬です。


 焦らず、忘れ物、落し物に気をつけて、転ばないでくださいね!



          『変形性股関節症に負けないでね!』
 
 

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共に生きる仲間として

2011-12-19 14:41:26 | Weblog

  金正日総書記が死去、というニュースが飛び込みました。
 世界がアジアが動く予感がします。
 世界平和の方向へ動き出すことを祈念します!


 歳末の街は、クリスマス一色になりました。
 明日は、息子の美容室へ行き…初めてカレにカットをしてもらう予定でいます。
 果たして…腕前は?  乞うご期待、後日ご報告いたします。


  今日は、愛読誌「高野山教報」よりご紹介します。

         『共に生きる仲間として』  廣瀬 玲子

 まだ薄暗い中で目が覚めて、時計を見れば朝の四時。よくあることだ。
 でもその日は違っていた。起きた時には、すでに涙が止まらなかった。
 寝そべったままでしばらく過ごす。涙は後から後から溢れ出てきてこめかみを
 つたい、耳に流れ込もうとする。その不快さにようやく上半身を起こすと、体は
 砂袋のように重く、気が付けば、私はしゃくりあげて泣いていた。30過ぎの一人暮らし。
 明け方女が寝床で一人膝に顔をうずめ、声をあげて泣く。そして思う。
 「やっはり、私、変。病院へ行ってこよう」

 転職して二年。新しい職場は、結果を出せば「女のクセに、よそ者のクセに」、
 ミスをすれば「しょせん女、しょせんよそ者」、そんな環境だった。自分にだけ
 情報が知らされていない、ということも多かった。自分ではまだまだ踏ん張るつもりで
 いたのだが、こり明け方の涙の発作でやっと気がついた。
 「本当は、もう限界なのだ」。職場に、私の居場所はなかった。

 診断は「うつ」。実家の母に電話で知らせると、母は電話口で泣いた。両親のもとで
 療養することになり、父が車で迎えに来た。一人住まいのアパートの、生ゴミも汚れ物も
 そのままに、私は、父の車に回収された。
 最初の一ヶ月は、眠り続けて過ぎた。そうしてようやく動けるようになると、親からは
 料理番を言い渡された。病気のせいか、物事の段取りがうまく組めず、簡単な料理を
 するだけで、二時間、三時間もかかってしまう。その情けなさに、また涙が出てくる。

 ある日のこと、料理の支度中、無理な姿勢で取り出した大皿が手から滑り落ち、台所の
 黒い床の上で派手に砕け散った。その瞬間の自分の感情の動きを、今でも生々しく
 覚えている。その時私は本気でこう思ったのだ。
 「仕事も出来ない、家事も出来ない、こんな自分に生きる資格などない、死んでしまえ」
 そこへ母が帰って来た。私が「ごめん、皿」と言うと、母は言った。
 「家事してくれるからこそ、皿も割れるんや。いつもありがとう。助かっとるよ」。
 思いもしない言葉だった。「ありがとう」なんて、ずっと忘れていた。
 思えば職場で「ありがとう」などと、言われたことはなかった。

 この、両親の「ありがとう」に支えられて、秋の日々が穏やかに過ぎていった。
 「ありがとう」と言われるたびに、私はここに存在していてよいのだ、と思えた。
 そのうちに、雪の季節となり、その頃から、自分の心が、除徐にまた、自分の手のうちに
 戻ってきた。そうしてやっと、自分の心に何が起きていたのかが分かってきた。
 つまりあれは、心が傷つき、壊れてしまっていた状態だったのだ、と。

 一方、心の傷という結論に思い至ったことで、私は、とうとう、ある記憶に向き合わざる
 をえなくなった。
 ずっと思い出したくなかったこと、それは、私が中学生の時、同級生をいじめていた、
 ということだった。自分が人を傷つけた、それも鬱憤晴らしのようにして傷つけたという
 申し訳なさや、恥ずかしさをこれまではずっと、日々の忙しさに紛らわせてきた。
 それもこれも、彼女の痛みを、他人の痛みとしてしか感じていなかったからこそ、
 できたことだ。今となってようやく、私が職場で負わされた傷は、結局のところ、私が
 20年前、彼女に負わせた傷なのだと、悟る。

 やさしい女の子だった。今でも真っ先に思い出すのは、例えば、夏の日の部活で、
 タオルを忘れてきた私に、おずおずと自分のタオルを差し出してくれた様子だ。
 それに対して、私は、さも当然だという態度をとっていた様に思う。
 彼女に「ありがとう」と言ったことなど、おそらく、ない。私は、彼女の居場所を
 奪い続けていた。残酷だった。

 自分が傷みを受ける立場となって初めて、今まで自分が人にしてきたことをあらためて
 思い返してみた。酷いこともした。にもかかわらず、自分だけは大丈夫だという思い上がり
 があった。二度と同じ過ちは繰り返すまい。そのために、今回実感した「ありがとう」という
 言葉の力に頼りたい。私は両親の「ありがとう」で生き延びられた。
 この言葉に生かされた。この言葉には、深さがある。それは異なる者が、異なるままに
 相手の生命を抱擁しようとするような温かさだ。排除の論理ではなく、共生の論理
 ~それを表すもっとも雄弁な言葉、「ありがとう」。だから、私も、多くの人に「ありがとう」
 と言う。相手の存在に対する感謝の気持ちを込めて、「ありがとう」と言う。
 その時、相手のいのちも、自分のいのちも生かされる。
 そしてそれが、私なりの「生かせ いのち」である。


 心をこめて「ありがとう」言います!! たくさん、言います!!
    「ありがとう」が広がって、明るい明日が来ますように!!
    

     『変形性股関節症に負けないでね!』


 
 

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とっておきの話

2011-12-17 12:18:51 | Weblog

 今日は、関東圏はとてもスッキリとした晴れです。
 富士山が今日も とてもきれいです!!

 
 いよいよ、押し迫り今年も後、二週間となりました。
 何にもしなくても…いろいろと用事があり、気ぜわしいですね。
 と、言いながら…
 昨日は、股関節のお仲間であり、戦友と「タンタンの冒険 3D(吹き替え版)
 を観てきました。
 とても面白かった。娯楽性にとんでいて、ただ3Dは、目の悪い私にとって、
 やっぱり後で、目が疲れて痛くなりました!
 やれやれ、です。


 ★阿部トレーナーが大掃除について、書かれております。
 皆さん、見てください。
  阿部トレーナーのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/hpj_trainer/11800785.html
 

 ☆銀サロパーティーのときにお会いした のんちゃんのブログ
 お仕事(美容師)も趣味のゴルフも人工関節で頑張っています。
 ぜひ、見てください。太ももが4.5㌢太くなった…などなど、てんこ盛りです。
 http://ameblo.jp/yuiwhich/entry-11108061141.html




 今日は、ちょっと雑学で面白いお話がありましたので、ご紹介します。

      「なぜ、日本人は年越しそばを食べるようになったの?」

 もうすぐ今年も暮れて行く。暦の上では12月を「師走」というなり。
 その由来はこうだ。江戸時代の後半、村や町に寺子屋が繁盛した。教育熱心の
 日本の親たちは子どもに読み・書き・算を習わせた。
 幕末に来日した外国人は、日本の教育水準や道徳性の高さにビックリ。
 アジアで唯一、列強の植民地にはならなかった要因のひとつもここにあったのでは
 ないかという学者もいるほどだ。

 寺子屋のお師匠さんは月謝(ちなみに今の月謝に換算すると2460円)の集金に
 忙しく走りまわるのが常であった。
 まさに「師」走る年末だ。
 当世もまったく同じだ。街の住人、商売、営業の方々もせわしなく駆けめぐる光景は
 いつの世も同じだ。

 さて、「日本人は、なぜ年越しそばを食べるようになったのか」である。
 江戸時代、全国各地で建具や仏壇をつくる金箔職人が活躍していた。
 「今年も年末だ。仕事場の掃除をしなくてはならんの」。そこで例にならって
 職人達は、そばがき団子をつくり仕事場に飛び散った金粉をぺたぺたとたたき集め
 七輪で焼いた。そば団子は灰になり金粉だけが底に残る。この貴重な金粉は、
 新年度からの仕事に使う(まさに再利用だ)。

 このことから縁起をかつぎ年越しそばは「金を集める」ということになった次第。
 これが長じて年越しそばを食べると、長生きするとか細く長くお付き合いくださいと
 いうことに転じたらしい。



  足の調子が良い方も悪い方も、大掃除はほどほどに!!
     と、いっていつも私は、いい加減(良い??)ですませています。

    『変形性股関節症に負けないでね!』
 

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‘きらら'忘年会

2011-12-15 17:23:37 | きらら

 昨日は、‘きらら'の忘年会でした。
 朝、小雨はやみましたが… 一日中どんよりとした寒い一日でした。
 太陽が出ていないかったので…寒さが身にしみるようでしたが、皆さんとても熱かった!
 
 昨年から痛みのためにきららへ来られなくなっていた方が手術(人工置き換え術)
 をなさって、暫くぶりに参加され、また足の調子も良くなりお仕事が忙しくて
 なかなか参加できなくなった方や昨日が始めての方も参加されて、体操する前から、
 笑顔があふれ、あちらこちらでお話が絶えません!
 朝から元気一杯! 
 きららのお仲間は(お姉さんから若い?方まで)明るく前向きな方ばかりです。
 (ご都合が悪く参加できなかった、お仲間の皆様、ぜひ来年は参加してくださいね!)

 私の誇りです!!

 体操後、中華店へ皆で繰り出しました!

 円卓を囲んで、盛り上がる盛り上がる!
 皆で乾杯し、大いに(太るのも気にせず?!)食べまくりました。
 おいしかったーーーーです。
 食べるのに忙しくて… ごめんなさい。へへへ 写真撮れませんでした。

  デザートだけ撮りました。マンゴープリンとココナッツ味のプリンです。

 今年も、皆勤賞は〇〇さん。三年連続です。
 今年は、3.11の震災があり、計画停電やら、電車の間引き運転やらを配慮して、
 3月4月のきららは、お休みしました。それでも、1年間20回レッスンを行いました。
  彼女が背中に羽織っているのは、‘きらら'からの皆勤賞プレゼントです。
 肩掛けひざ掛け何でもオーケーのポシェットに入る、便利グッズです。

  今年は、精勤賞(一回だけ休んだ)のお姉さまもいらっしゃいました。
          首の周りに巻いている、グレーのマフラーが‘きらら'からのプレゼントです。

 
 宴もたけなわになり、(一人500円くらいのものを持ち寄って)、
 今年もプレゼント交換をしました。
  このステキに品は、陶芸を習っている方の今年のプレゼント交換の品です。
          みかんさんに当たりました。

  最後に、皆で記念写真を撮り解散いたしました。
          たっぷり、貸しきり会場に3時間はいましたね。


 
  家に戻ると、みかんさんから、すてきなお手紙をいただいていました。
  手前味噌のようですが… 皆さんへご紹介します。


             彦坂惠子様     
                              

 このたびはご心配をかけたり、お心遣いの数々を頂戴しありがとうございました。
 仲間を大切にする、かかわり合った人の気持ちまで元気にする……
 “きらら"はほんとうにステキなサークルです。
 出会えてよかった、感謝します。
 これからもどうぞよろしくお願い致します。
 術足にしっかり体重をのせて歩くことが出来、小走りさえ(松本先生に請われて)
 出来て、12月13日は一生忘れられない感動の日となりました。
 ありがとうございました。
 ※ブログ、いつも楽しく考えさせられたりして拝見しています。  みかん



 みかんさん、ステキなお手紙ありがとうございました。きららの存在とお仲間は、
   私の誇りです!!!!!  皆さん、ありがとうございます。

   みかんさんは、10/18日に人工置き換え術の手術をされて、11/19日と
   12/13日に銀サロ松本先生の施術を2回受けられました。
   (私と相棒がキャンセルだったので、代役で施術された)
   たった2回で、今までの股関節の痛みと違和感にさいなまれていたのが…
   すっきりと取れ、何年ぶりかで気持ちよくなり、感動され、更に、松本先生に
   「走ってみて…」と言われ、半信半疑で走ったら…
   なんと!!!  走れた!!!  と、昨日も私にみかんさんは、熱く教えてくれました。 
   思い出しました!
   私も3年前、「走ってみて」と松本先生に言われて、走りましたっけ。
   銀サロのじゅうたんの上を!!
   あの時の感動を私も思い出しました。

    ぜひ、この感動を皆さんも、体験できると良いですね。
    
       『変形性股関節症に負けないでね!』
                                      


 

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戦争の傷今も

2011-12-12 16:02:26 | Weblog

 今年の漢字は『絆』でした。
 テレビのワイドショーで、京都・清水寺の貫主様が流暢に絆と書かれました。
 なぜ、12月12日に、一字の漢字を発表するのかというと?
 「いい、じ、いち、じ」という語呂合わせでした。
 語呂合わせ好きですね。
 私は、『生』かなぁーなんて思っておりました。


 今年もあと数日になり、叔母のスケジュールと自分の予定をかみ合わせて、
 なんとなく、気ぜわしくなってきました。
 こういう時こそ、慌てずに、転ばない、落し物をしない、事故に遭わないように…
 しっかりしたい、ですね。


 今日は、自分の机周りを整理していたら、6年前の「高野山教報」が出てきました。
 心に残りましたので、ご紹介します。


             『戦争の傷 今も』 徳島市 田中富榮

 徳島新聞朝刊に「読者の手紙」という欄がある。主婦、会社員、農業など徳島県民が
 自由に投稿し、採用されれば新聞に載せてくれる。時事問題、可愛い孫のこと、親子の
 愛など内容は様々で、大勢の人が自分の考えや思いを書いている。私も読者の一人
 である。

 そんな記事の中にイラクへの自衛隊派遣問題を通じて、主婦の方が父親の苦しみを
 書いた文章が私の目にとまった。
 “「人を殺した」戦争の傷今も”と言う見出しで娘として父を思いやる心情が、読む者の
 胸を打った。
 テレビで自衛隊の特別番組があり、イラクへ派遣される幹部がインタビューに答えて
 いる場面で
 「自分や部下が相手を殺さないですむように願っています。もし、そんな事態
 になった場合、帰国しても十字架を背負って生きてゆかなければなりません」
 と話していたのを聞いて、生前の父親の苦しみを思ったのである。
 
 「私の父は昨年89歳で一生を終えました。戦争には十年間も前線に駆り出されて
 いました。父は子守唄のように私たち子どもに戦争の話を聞かせてくれたのです。
 その父が誰にも話せずにずっと自分の胸に納めていたことが一つありました。
 自分の死を予感し、家族を枕元に呼んで『お父ちゃんなぁ、戦争で27人も殺したんじゃ、
 天国へゆけるだろうか…?』と。

 意識もうろうとした状態で自分を取り戻しながらつぶやいたのです。この言葉に家族は
 びっくりしました。
 あれほど語り続けた父の戦争の話の中で、今まで誰も聞いたことのない話だったのです。
 父は自分の一生の大半を殺人という負い目を誰にも話せず、十字架を背負って生きてきた
 のだ。死を目前にして家族に伝える最後の言葉が、殺人という告白だったのです。
 なんと残酷な話だろう。
 父の中で戦争は終わっていなかった。
 私たち家族は、時代の流れにどうすることもできない人の悲しみのあることを
 教えられました。自衛隊の人たちは戦場とも呼べるイラクで活動してゆくが、一人として
 こんな不幸のないことを願わずにはいられません」と、切なる願いが綴られていた。

 一国民のこのような願いも届かず、中東の地では血を血で洗う戦いが熾烈さを増して
 いる。自衛隊員の射撃訓練も本格化している。非常の世界と化す戦場では、こちらが
 先に撃たなければ相手に撃ち殺されるのである。人間性が無視され、温情のひと欠片
 も通用しない。一兵卒はただ命令に従うのみ。死と向かい合った中でのその行為を、
 誰が責めることができようか。素朴で善良な国民を生涯追い詰める戦争の傷跡。
 だから戦争は決してしてはならないのだ。

 四国八十八ヵ所めぐり三百回を今年の目標にしているFさん(78歳)も、黙して語らずの
 何かを背負って生きているのかもしれない。
 何としてもあの昭和の激動期を、二度と再び繰り返してはいけないと思う。



 『絆』を深めて、復興めざし、元気にがんばろう!!

コメント (2)
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参拝旅行

2011-12-09 13:31:35 | 日常生活

 今年一番の寒さです!
 今日は皇太子妃雅子様のお誕生日、だそうで、病を発症なさってから…8年経った今でも
 まだ、苦しまれて…
 でも、本来の皇太子妃としてのお仕事に支障をきたされて、(個人としては、お気の毒
 なんだけれども、)日本国民にはとってもマイナスなことは、確か。。
 一日も早くご回復なさることを祈念しています。

 国会も先送りの問題ばかりで、次の世代へのお荷物を増やすばかりで…
 私には何にも出来ないのが、はがゆく、なさけない!


 
 怒ってばかりでも、しょうがないので、楽しいお話へ。

 今年のお礼参拝旅行は、「主人は62歳、私は58歳、といつ病気が発症して
 旅行へも行けなくなる可能性もある、と何だか危機感も出てきたので…」
 関西へ折角行くのだから、いままで行ってない所を観光しよう…と思ったのです。
 それで、松阪・浜名湖のビジネスホテルを予約しました。

 なのに、浜名湖はキャンセルして(キャンセル料は取られなかった。嬉しかった)
 一日早く帰宅しました。
 
 何故って…??
 主人が名古屋の教会の玄関で転んだんです!! 
 主人、アホだから?(東名高速の深夜割引のために昼寝2時間で、ボーっとしていたので)
 ボーっとしているのに、靴をぬぐときに手を使わずに、玄関の段差の角を使って
 スニーカーを脱ごうとして片脚脱げてもう片方が脱げずにバランスを崩して、玄関の
 コンクリへ大の字になって…転んだ!!
 右のお尻の骨を打撲して…びっこになり、正座できず、歩くのもままならず…

 見ていた、私は、スロモーションで倒れていく主人をただ見ているだけでした。
 助けられない。転がっている主人を見て、思わず笑ってしまいました。
 かわいそうなのに… おかしくておかしくて… 
 
 さっそくのお諭し…に、やっぱり考えます。
 その後、2ヶ所それぞれのお礼参拝をしましたが、すべて、和、畳なので…
 (それでも、主人頑張って)座る、立つ、を何度も繰り返しながら私の杖で、
 びっこをひいて歩いていました。
 すべて、終了し二人で、話し合い翌日の宿泊はキャンセルしました。

 一泊目の宿泊地、松阪は松阪牛が食べたかったから…ですが、びっこをひく主人が
 気の毒なので、出掛けるのをやめ部屋で買出ししたお弁当を食べました。
 かなしいーーーー 我慢。また、行きましょうー 

 翌日、私の薬(予備のために痛み止めとシップ)を使った主人は、少し元気も出て
 私の計画した、観光へ行ってくれました。ホッ。

 鳥羽水族館。21年前に一度行った事がありましたが、ちっとも記憶がありませんでした。

  
  

 アシカショー、セイウチショー、ペンギンの散歩など、客席が目の前でとっても
 おもしろかった。セイウチの三段腹すごかったですよ。物凄くでかくて、私、一番前に
 座って、セイウチを始めて触りました。ぬるって、しました。

 水族館は、とっても癒されました!!
 鳥羽水族館は観光客が少なく、ちょっと(経済的な)心配ですが、
 病気の足の(私)とびっこで杖の(主人)には、歩き易い広さで水槽を目の前で
 見ることができ、嬉しかったです!

 
    外来種の青いザリガニ
                                           ビックリです。

 その後、伊勢湾フェリーで、伊良子へ。     
 天気予報では、曇りでしたが、すっかり晴れて風もなく、デッキで外を二人で
 ずっと眺めていました。
 海は広くて水平線が広がって、心が晴れました!!


 若い時と違って、(高速でスピードを出さなくなったので…)
 出かける前に、ガソリンを満タンにして、なななななななんと!!
 一度も給油することなく、自宅近くのスタンドまで戻ることが出来ました。

 マイカー(アリオン)は、ガソリン車でエコ運転したこともあり、
 走行距離…958㌔
 平均燃費…20㌔     でした。


 やっぱり歳なので、疲れました!!   
 でも、痛みをともないながら(主人だけですが、私は元気、足も大丈夫)でしたが、
 思い出に残る旅になりました。 
 
 
 


 

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