私のブログを読んで下さる皆様、今年もお世話になりました!
読んでくださる方がいらっしゃるから…つたない、自己中心的な文章でも…
頑張って書こう、という気持ち、意欲がでます。
本当にありがとうございました!!
また、来年も自分の思いを色々と書いていきます。
また、見に来てください。
今日は、「希望」のお話です。
先日の27日に今年最後の銀サロへ行ったことは、先日書きました。
そのときに、聞いたお話です。
銀サロの副院長である、田山先生がパパになられました。
25日に待望の男の子が、誕生されました!!
身長 49㌢ 体重 3186g
おめでとうございます!!
田山先生は、(だからなのでしょう~目が輝いて)とても充実され、
はりきって施術されていました。
もう一つ、股関節仲間のインド舞踊家でヨガ講師の方からのメールです。
彼女は、3年前の‘きらら講演会'(銀サロの松本先生講師)の時の参加者でした。
その後、松本先生の施術を予約するも、地下鉄銀座一丁目から、電話があり、
歩けなくなったと…
駅まで、迎えに行くも(銀サロで待ち合わせをしていた、そのあとお茶をして話そうと…)
一歩も歩けない様子。施術の時間も大遅刻で結局キャンセル、色々と話をした。
そのあとも、歩行困難になり、銀サロへも何処へも出られなくなり、私が一年後に
彼女の自宅へ「ラッコちゃん」を持って様子を見に。
彼女のお母様が、やはり変形性股関節症で、40代で人工関節の手術をなされ、
その後、医者に言われるままに…片足3回、反対の足2回の再々置換をされ、
3度目の足は、脱臼を2度繰り返し… と、大変な姿を身近で見ていたので…
自分が40代後半に、同じように歩けなくなったけれども…手術は嫌だ、
と、思っていたようで…
私が「いつまでも、痛みが続くわけはないから、もう少し(手術をしないで)頑張って!」
と言った言葉を信じて、痛みを我慢して、手術をしませんでした。
私が言った言葉を信じてくれた縁で、いまでも一年に一回はランチをしています。
私は、自分が辞めてしまった舞踊をなんとか彼女には辞めてほしくない、との
思いも有って…他人事ではありません。
痛みが強く出ていた時から、2年間は痛みが続いていたようです。
2年目の冬(昨年)富士温泉病を卒業しました(骨頭の形がよくなり、矢野先生から
通わなくても良い(1ヶ月の一度は通ってリハビリしていた)と、太鼓判をされ、
今年の3年目の冬の一昨日(28日が富士温泉病院の最後の診療日だったのでしょう)
彼女から、メールをもらいました。以下、彼女のメールです。
お元気ですか。今日一年ぶりに病院に行きました。レントゲンの結果は、昨年よりも
さらに骨頭が丸く滑らかになっていて、変形の原因となった臼蓋(大腿骨の先っぽを
包み込む骨盤側の受け皿の骨)が延びてきていました。
私の知らないところで、黙々と治ってくれている体に感動して感謝しています。
実際に私は、彼女の股関節のレントゲンを見ていませんが、事実は事実だと思います。
骨は、確実に修復するんですね。
彼女のこの事実は、保存療法法で、頑張っている方たちの希望と励みになる、と。
私は、とても嬉しく、確信しました!!
『変形性股関節症に負けないでね!』
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい!!