さっき、買い物のため自家用車を運転していると、一時、
ゲリラ豪雨にあいました。
物凄い風と雨… 明朝も物凄い雨の音とかみなり?
夢うつつの中にいたので… はっきりとは、分からないが、
大荒れの天気だ。
叔母が、ディから帰ってきた。昨日は睡眠が足りなかったよう
で… 気分が悪く入浴はやめた、と。一度入れないと、一週間
入浴できないから…
家のお風呂は危ないので、入れられないから、この暑さで
入浴しないのは… なんともはや、致し方ないけれど…
年寄りをかかえていると、この暑さは… とても心配だ!
私たちの病気(変形性股関節症)は、死ぬような病気でないから
心配は、ないが、昨日発表のあった、桑田佳祐さんの食道がん
告白には、ビックリ!
桑田さんの歌は、よく昔聞いていたので、しっかり治療してもらいた
と思います。
昨年の今頃は、叔母の介護で大変でした。
昨年は、何回救急車に乗ったことやら。
なんて、考えていたときの記事です。
『よく笑わない医者はよく治さない』
フランスの哲学者モンテーニュの言葉である。確かにそうかもしれ
ない。以前、大腸がんの告知を受けた時、笑顔を絶やさない主治医
から丁寧な説明を受け、病気に打ち勝とうと奮い立った記憶がある。
先日、体調を崩し一週間ほど大学病院に入院したときは勝手が
違った。点滴の針の交換日、若い男性医師が病室に来た。
「血管が細いですね…」自信なさそうな態度に不安になった。
悪い予感ほど当たる。何度挑戦しても血管を外し、先輩医師が
出てきてやっと終わった。怒るとなおさら失敗しそうなので、若い
医師を育てるのも患者の仕事と割り切ったが、疲れ果ててしまった。
逆に頭が下がったのは、看護師の献身的な仕事ぶりだった。
ナースコールは昼夜ひっきりなし。忙しそうに走り回っていても笑顔
を絶やさない。いつ休息するのかと心配になった。
そんな姿を目の当たりにしたばかりなので、栄養剤の点滴の速度
を通常の10倍に設定し、患者を死亡させたとして、都立病院の看護
師が書類送検された事件は、とても人事とは思えなかった。
22歳の女性看護師は「なぜ間違って設定したのか分からない」
と供述している。命を預かる仕事に言い訳は通用しない。
ただ、医療事故の背景に看護師不足はないのか気になるところ
だ。そこまで踏み込んだ捜査を期待したい。
~東京新聞より~
この医療事故を新聞記事を自分の目で読んでいないから、よく
分かりませんが、身内の立場だったら… と、考えるととてもせつ
ない。うっかり、ではすまされない、命を預かる医師も看護師も
大変なお仕事。たらいまわしも困るし、地方の医師不足もあるだろ
うし…
私の姪の赤ちゃん(生後4ヶ月)も先週から、ひどい下痢でまだ、
治らないようで、泣いていた…
聞いたら、日曜日に具合が悪くなり、医療相談電話をすると、
小児科医がいないので、川崎から桜木町の病院まで、車(おじい
ちゃんの)で行ったそうだった。大変だー。重度の病気だったら、命に
かかわる。昨日今日どうしたらと、いう問題ではないので、よけいに
なんとかして欲しいものです!
幅広くいらっしゃいます。
今年に入って、85歳の方が糖尿の検査入院されていた時に
圧迫骨折で、歩けなくなり…、
「しばらく療養するために、介護施設にご夫婦で1ヶ月入居します」
とご連絡いただいたっきりになっていましたので…
先ほど、お電話をしましたら、現在使用できなくなっている…
旨のメッセージが流れました。
もう一人の方は、60代の方でこのブログでも載せた方ですか、
お電話するとご主人がお出になって
「今、入院中です。どちらさま…(詳しくご説明すると)結局、
脊柱管狭窄症の手術を7日にしましたので、入院中です。
リハビリしてます。歩けます。段々良くなりつつあります。
もう直ぐ帰ります」
きららへ来られなくなっても‥お元気だったら‥と思っていました
のが… なんとも、心配です。
80代の方が、あと2人とても、お元気でいらっしゃいます!
先日の‘きらら'の暑気払いのときに、「75歳過ぎたら、なんだか
調子が良くなくて…」と70代の方。
私「55歳過ぎたら、とたん、エネルギーがなく、元気がない」
なんて、二人でお話していたら、86歳の方に笑顔でかいされ
ました。 「まだまだ頑張ります。」とおもわず、二人で顔を見合わせ
笑いました。
そんな、86歳の方のことを考えていましたときに、読んだ記事
です。
『友去りて』
小林不二子 87歳(横浜市)
プールの仲良しがおかしくなってしまった。通いなれた道が分から
なくなって友だちに連れてきてもらった、と言った。見るといつもの
おしゃれ水着でなく不似合いの水着姿です。
私は少し前から彼女の様子気がついていたのですが、ともかく
一緒にプールに入った。彼女85歳、私87歳。クロール、背泳ぎ等
スイスイ泳ぐ池のうば桜ペアなのです。
泳ぎ終えて風呂場に。だがタオルも下着もどこだか分からないと
言う。探しているうちに水着のまま浴槽に入ってしまった。やっとの
こと着替えさせて、迎えの孫と共に彼女の家まで送り届けた。
数日後、電話が入り、「心配した息子が迎えに来て、これから
大阪へ行きます。来月帰ってくるからね」と。
私はホッとしたが、急に寂しくなって涙があふれた。
帰れるわけないのに。
「友去りて百合乱れ咲く夏野かな」
認知症になって、亡くなった実母のことも思い出し、せつなくなり
ました。
みなさま、猛暑に負けないで、お元気でお過ごし下さい!
観に出掛けました。
中村勘三郎が率いる「平成中村座」とは、少し違っていました。
演目は、「人情噺 文七元結」 と 「鷺娘」
歌舞伎の鑑賞は初めてです。
日本舞踊を習っていましたが、観たことがなく…
バレエの総げい古の練習で、20年前くらいに国立劇場のケイコ場
で練習をしましたが…
いつも忙しくて、観る機会を逃していました。
初心者としては、興味津々で出かけました。
勘三郎は、やっぱり上手で、引き込まれました。
お話も人情噺なので、涙あり、笑いあり、1時間20分があーっと
いうまでした。
もっと観たい! と思いました。
鷺娘は、次男の七之助が早着替えもふくめ(引き抜き)を何回も
して、目にも鮮やかな女形でした。
長唄?生演奏の三味線・鼓もとても日本人として心に響き
ウキウキしました。
日舞を10年やっていましたので、私もいずれ、「鷺娘」
「娘道成寺」「親子獅子」は、絶対やりたい演目でした。
やれませんでしたが…
暑い中、観に出かけてとても良かったー。
でも、帰りの電車の中、暑さで気持ちが悪くなりました。
吐きそうな気分になり、家に戻り急いで、冷やし休みました。
毎日の酷暑の中、沢山の方が、熱中症で特に高齢者の方が、
お亡くなりになっています。
夏休み中、今日もベランダの外で子供たちが御神輿を担いで
元気に「わっしょい、わっしょい」と声をあげていました。
盆踊りも盛大に行われるようです。
町内会の役員で、子供さんの行事で、と暑い中,脚が痛くても
頑張っていられる方も多いと思います。
どうぞ、楽しい思い出の中に、脚が痛くてー! 熱中症でー!
と、ならないように、どうぞ、皆さん十分ご注意してください!
私も無理をしないように、遊びを(エヘェ)頑張ります!
温泉施設に行きました。
夏の温泉は、気持ちが良いけど暑くて暑くて…露天風呂ばかり
入って(だけど足だけみたいなー)いたら…ジャーン………
鼻の頭と腕が日に焼けて赤くなった!
汗をかくから、日焼け止め塗れないし… 次回はなるべく室内に
しなくっちゃ…
今日は、亡き実母の祥月命日、朝の読経で思い出して涙が…
私の愛読している『高野山教報』からご紹介します。
『盂蘭盆会と親の恩』
大分県弘法寺住職 吉武隆善
お盆は「仏説盂蘭盆経」というお経がもとになっています。お釈迦
様のお弟子に、目連尊者というたいへん神通力に長けた方がおら
れました。死んだ母親がどうしているか神通力を使って見てみると
極楽で楽しく過ごしていると思っていた母親が、地獄の餓鬼道に
落ちて苦しんでいたのです。
何とかして母親を救いたいとお釈迦様に頼んだところ「夏安居と
いう夏の行を終えたお坊さんを供養すれば救われるだろう」とおっ
しゃいます。そこで夏安居を終えた沢山の僧を供養し、母親は無事
極楽へ成仏を遂げたというお話です。死んだ後まで親孝行をした
目連尊者の報恩の心を汲み取ることができます。私たちの命は親
からいただいたものです。そして親はその親から、またその親は
その親からと、命を受け継いでいるのです。今一度、命のあることを
先祖に感謝し、お参りすることがその恩に報いることです。お大師
さまも「恩を知り、恩に感謝し、恩に報いる」と説いています。
高野山の麓、九度山にある慈尊院は、お大師さまのお母様が
おられたお寺です。お母様はお大師さまが開かれたお山を一目
見たいとの一念から、高齢にもかかわらず香川県から慈尊院に
来られ、本尊の弥勒菩薩さまを篤く拝まれました。そんなお母様を
思ってお大師さまは高野山から二十数㌔離れた慈尊院を月に九度
訪ねられたと言われています。それが九度山の地名の由来です。
一中略一
お大師さまは、「性霊集」のなかでこう説かれています。
「私たちが生まれ、私たちが育つのは父母の恩である。父母の恩は
天よりも高く、地面よりも厚い。私たちが身を粉にして命を損じても
報いきれるものではない」父母の恩の深さをしみじみと表されている
のです。
親は子を思い、報いを期待せず、あらゆる愛情を注いでくれます。
しかし子は、親の愛情を当たり前だと思っているところがあります。
また、育ててもらったことは忘れ、都合のいい時だけ親子であり、親
に経済的能力がなくなれば見放して別離する例も多くなっています。
思い返してください。私たちはどうやって生まれ、どうやって育って
きましたか。今まで父母に感謝し、それに報いたことがありますか。
まず、恩を知ることです。そして、そのことに感謝し、いつの日か
報いることができるように努力したいものです。ご先祖さまに、
今ある自分の命に感謝し、そして、お父さん、お母さんに親孝行して
下さい。
もっと母に親孝行がしたかった!
と今も思っています。主人の両親、私の両親みな亡くなりました。
ですから、叔母に今、親孝行が出来ます。
親御さんが元気に内にどうぞ皆さん親孝行をなさってください!
梅雨疲れ…なんて言葉がありました。
いつも疲れたー、調子が悪い、なんて言っているから…
じゃーいつ元気なんだ? って主人に言われています。
‘きらら’では、元気印の私ですが、家ではゴロゴロ、グダグタです。
胃腸が弱い私は、梅雨で疲れた体には、胃腸に優しい野菜中心
のメニューが良い! とさっきワイドショーで言ってましたっけ。
昨日、『ル・サロン吉祥寺』 大原先生の施術を受けてきました。
4月の‘きららの講演会'の時に、初めてお会いして、その人柄の
良さを好ましく思っておりましたので、とても楽しみに伺いました。
初めての吉祥寺。当初、車で行こうか?電車で行こうか?
悩みました。電車で1時間40分… 遠いー 乗り換えも2回
東京駅の人ごみもあるし… 車は時間が読めない…
高速で駐車場代がべらぼうに高い(私は障害者手帳がない。手帳
があれば、近くの井の頭公園が無料)
そして、いろいろと悩んで結局、電車にしました。
行きの電車で、下りの階段の途中で電車が入ってきました。
思わず何も考えず階段を駆け下りてました。すごい、駆け下りれた!
にんまり笑顔になりました。
普段乗らない中央線、ビックリしました。洋服は20代のワンピース
顔は70代。私も若作りなので? そういうように見えたくない!
って思わずツバを飲み込みました。
吉祥寺の駅から施術場所のマンシュンは歩いて3分。方向音痴?
の私でも、先生のブログから道順を確認し、印刷して行ったので、
すぐにたどり着きました。
途中、地元の人なら絶対に入らないような道に迷い込んだ女性
ドライバーがいて…あー車で来ないでよかったー、思いました。
駅前の駐車場はなかなか空いてなく一旦間違えるとぐるぐる回っ
て渋滞にもはまるようだし…
施術の前の問診で 「遠いので、二度と来ないかも?!」
なんて失礼なことを言っても笑っていいですよ、って大原先生。
後ろ向気、横向き、前向き、先生が触診しながら、問診します。
片足立ち、前屈、モモ回り測定など。
「右足、捻挫してきちんと治らないうちに無理なさいましたか?」
えー! いつ捻挫したのかも忘れるくらいだけれど…
バレエは、レッスンが基本ですし、週5日で教えの指導をしており
ましたから… 確かに治らないうちに無理はした、はず。
右足が少し、向きが外側になっている様に指摘されました。
モモの太さも、足の長さもそろっていた。筋力も両足まあまあ。
捻挫のことの的確な指摘にビックリ!
施術もさすが、柔道整復師として接骨院で長年治療をされていた
だけあって、全身のつぼに入ります。私の場合、背中と腰が気持ち
よかったー。「また、来ます。」なんて、ちゃかり言ってました。
‘きらら'のお仲間の中に、車いすの方がいます。前にもブログで
書きましたが、その方は40代で骨きり術をやり、お姑さんの介護
(俳諧したのを探しているうち)で脚が悪化して、車いすになったが、
手術はしたくないため…その方に 私がご紹介して、
先月から大原先生に施術を月2回受け、今3回目。
リハビリで行っている病院の理学療法士に、劇的に筋肉が変わっ
てきている、と言われたそうです。
ご本人も夜間痛が取れて、とても希望が出てきた、と喜んでいら
れます。
別に広告宣伝費、貰ってませんので、誤解しないでください。
気分良くして、ラーメンを食べ、前から行ってみたかった「うさぎや」
という靴屋さんへ行き黒のサンダルを買いました。
方向音痴の私は、大原先生の所からうさぎやまで迷い、帰りの
駅までの道も気がついたら… 反対側を歩いていました。
私って、こんなに方向音痴?!だったっけ。
あー つかれるー!
でも、階段を駆け下りれたことは、凄い自信になりました。
ただし、駆け上ることは出来ません!
できるようになるといいなぁー!
ゲリラ豪雨で、被害が出ている所の様子をテレビで見ました。
災害に対しての対処が早く打たれるように…と毎年思いますが、
難しいのでしょうか?!
先日、叔母が利用したショートの施設は1人部屋の綺麗な部屋
でした。その前は、4人部屋の汚い部屋でした・・・
今日の新聞で、見つけました記事、人事でない!
未来の私たちの入る施設のことかも?! と思いましたので、
皆さんにご紹介します。
『一人一人の尊厳守れぬ現実』
柴田範子(NPO法人「楽」理事長)
特別養護老人ホームの待機者は42万人といいます。その希望を
少しでも早くかなえられる近道は、4人部屋を新たに増やすことだと
いって、作り始めている地方自治体があります。ある県の知事は
お金を持たない人は4人部屋で、というニュアンスの発言をして
います。
この動きに疑問を持つ、介護に携わる人たちが6月末、東京都内
で「あなたは雑居部屋で老いたいですか?」というテーマの緊急集
会を開きました。パネリストの一人は「誰一人として自分から4人部
屋に入りたいなんて言う人はいない。一度造ると30年、それが使わ
れるのですよ」と反対。
特養の4人部屋を調査した研究者は「互いに顔を見合わせないよ
うにして、会話もほとんどなかった」と報告しました。
朝起きたい時間、食事をしたい時間、好きなテレビ番組、みんな
違います。おしっこや便をするとき、カーテンでベッドを囲んでいます
が、その音やにおいは隠せません。友人との一泊旅行や、一時の
入院とはまったく違い、お年寄りは家族ではない人たちと暮らし続け
るのです。
お年寄りの中には、自分や家族の費用負担を考え、本当は個室
をという希望を伏せ、相部屋を選んでいる方もいると思います。
お年寄り一人一人の尊厳を十分には守れない相部屋の推進。
それでいいのでしょうか。
軽度の認知症のある一人暮らしのAさんもアパートの自分の部屋
で暮らしたいと願っています。でも私たち周囲への説明が足りず、
特養ホームの相部屋に入ることになりそうです。Aさんの希望をかな
得られず、残念でなりません。
あと20年で、私も立派な老人です。国民年金なので、
月6万です。とても特養でも入れません。
叔母が使った特養4人部屋でさえ、月10万以上。
先日の個室部屋なら、20万以上でしょう。
股関節手術で2週間ベッド上でした。 カーテンをひいて、
オシッコ、便をするのがとても嫌でした。におい消しを用意すること
もしらず、慌てて買いました。嫌だから便秘にもなりました。
でも、特養は死ぬまでですもの…
辛い現実です。 ここでも、やっぱり、最後は
『ピンピン ころり』 死ぬまでピンピンして、ころり と死ぬ。
これも私の目標です。
まだまだ梅雨明けは遠い… うっとおしい…
昨日の‘きらら'体操に5月11日に、日産玉川病院で、人工置き換え
術を受けたお仲間がまた帰ってきました。前回の方に次いで2人目
の復活です。
この方も、60代で脚長差があったのですが、すっかり足もそろい、
爬行もなくなり、笑顔満開で戻られました。
今日は、泣けた『高野山教報』からの記事をご紹介します。
{善意のバトン} 清風中学1年 長尾竜弥
僕の母は数年前のある出来事が誘因となり病気になってしまった。
ある日の夕方、いつものように母と買い物に出かけた時、母が急に
具合が悪くなり、運転していた母はすばやく路肩に止めた。まだ
小学生だった僕は、車から降りて救助を求めた。夕暮れで薄暗くなっ
ていく中何台もの車に腫れられそうになりながら
「誰か止まってください」と、何度も何度もさけんだ。が、スピードは
落とすが一台も止まってくれない。その間も母の容態は悪化し、
全身が冷たくなり、痙攣し意識が遠のいていく母を「もう少し待って
大丈夫」と声を掛けた。救急車を呼ぶために電話をかけることは出来
るが現在地が何処か分からないので、大人に助けてもらうしかなか
った。そんな時通り過ぎていった一台が戻ってきてくれた。
「僕どうしたんや!何があったんや!」とおじさんが声をかけてくれ
た。おじさんの顔をみてビックリした。スキンヘッドに大きな体と真っ
黒のサングラスでとても怖そうな人だった。でもおじさんはとても優し
い人だった。救急車を手配してくれ意識のない母には、「おかあちゃ
ん、大丈夫やで。もうすぐ救急車来るからな」と母を励まして下さった。
そして、「救急車来るまでおっちゃんも一緒におったるから安心しい
や」と僕にも励ましてくれた。気がつくと知らない人たちが大勢きて
僕たちを心配し励ましの言葉をかけ続けてくださった。
救急車が来て僕はおじさんに心からお礼を言って連絡先を聞いた
が「困った時はお互い様や。また僕も誰か困った人がいたら助けてあ
げてな」とだけ言って名前も教えてくれなかった。
人を外見で判断してはいけないと思った。怖そうに見えても優しい
人はいくらでも居る。反対に優しそうに見えても相でない人もいる。
あの時おじさんから言われたことを今も覚えて実行している。あの
おじさんへの恩返しになると僕は思っている。
しかし、助けてくれる人がいる一方でとても嫌な人も見てしまった。
母の病気のことで色々と言うある男性。「世の中にあんたの病期なん
て何の役にも立たん。生きている価値ない。死ねばいい」と母に言い
放った。僕は怒りで全身が震えた。許せない。母だけでない母以上
に苦しい病気と闘っている人はたくさんいる。自ら望んで病気になっ
たひとなんて一人もいないと思う。そんな非人道的な発言を平気です
ることができることが理解できない。母は心が疲れ切って病気になっ
た。不思議なことに心の病は、全身をしびれさせたり、痙攣させたり、
心身共に病に冒されてしまう。
僕はあの出来事でたくさんの人の優しさに触れることができた。気
付くことができた。普段の何気ない日常では、色々な大切なものを通
り過ごしているかもしれない。
また、母をののしり、傷つけた男性により僕も傷ついた。簡単に人が
人を傷つける怖さを学んだ気がする。
僕は、母を助けてくれたおじさんから頂いた言葉を一生忘れない。
そして、困っている人がいたら、直ぐに手を差し伸べられる自分でい
よう。なぜなら僕は、あのおじさんから善意のバトンをこの手に受け
取ったからだ。
善意のバトン、確かに受け取りました!次は、皆さんにタッチ!!
昨日から二泊三日で、叔母がはじめての介護施設へショート
スティに行きました。あまり、やはり気が進まないようで不服そうな
顔をみせました、が、致しかたがありません。
新しい施設は、5年前に開所したそうで立派できれいでホテルの
ようでした。全40室(ショート用、特養は120室)すべてユニット型の
個室です。お値段も今まで使用していたところの3倍です。
叔母が馴染んでくれるのか?心配で気が気ではなく、様子を
ケアマネに聞いてもらいました。なんとか大丈夫のようで安心しま
した。そんなことを考えて、今朝いつもの読経の御勤めをしていると
何故か母の事を思い出し声がかすれ‥涙が出ました。
昨日の新聞記事が、とても良かったのでご紹介します。
『いまだに母が一番の先生』 俳優 藤岡弘
戦争中、妊娠中の母は松山市の病院にいましたが、医師に突然
「ここを出ます」と言って医師を振り切って退院したそうです。その夜
松山に大空襲があって病院は全焼。駐在所の警察官だった父が
翌日、母を死なせたと焼け跡で呆然としていると、医師に前日に病
院を出たと言われびっくり。母は実家の愛媛県西条にいて無事でし
た。母の直感にその後も何度か命を救われているんですよ。父は
武道家でもあり、母はお茶・お花・裁縫・お琴を駐在所で地元の娘さ
んたちに教えていました。一見細くて優しい。でも、これと思った事
以外は、がんとして男が束になっても凛としてはねつけていました。
僕は子供のころは体が弱く恥ずかしがり屋で、いじめられっ子でし
た。父は丈夫にしなければと、僕に武道を教えてくれたのです。見よ
う見真似で徐々に覚え体も丈夫になりました。小学5年のころ上級生
数人によってたかってやられ、我慢できなくなって一番強い子をやっ
つけた。無我夢中で身に付けていた武道が自然と出たんだと思いま
す。けれど、その子のダメージがひどくて母と父に知られてしまった。
父は何も言いませんでした。母は僕に正座させ物凄い剣幕で
「あなたが、これ以上人様にご迷惑を掛けることをするなら、お母さん
があなたの命をちょうだいします。それでよろしいですか」と厳しくしか
りました。言い訳しようとすると「ならぬものはなりません」涙を流す。
本気の母の目を見て、謝りました。そのときのの母が僕の中で一番
怖い母。今でも何かやろうとすると、その母の姿が浮かびます。
高校生のころ映像の世界に夢を感じ、俳優になりたくて18歳で上京
しました。想像以上に厳しく3、4日何も食べられないとか四苦八苦し
ましたけど、母の事を思うと頑張れました。仮面ライダーに出演する
前の25歳、母を呼び寄せました。母の実家は裕福で嫁入り道具に
多くの着物を持たせていました。母は私に生活力のないことを分かっ
ていて、その着物を質に入れたり売ったりして僕を支えてくれました。
残っているのは数枚。それでも母は「役に立った」と喜んでいます。
母は90代半ばまで「料理が楽しいんだ」と言って僕の食事を作って
いました。足が弱くなってからは、自宅の階段を上がるのを僕が手伝
おうとすると「甘えさせないで。ここを上がっていくのが私の運動にな
るんだから」と。
母は今、百一歳に向っていますけれど、気丈さ、凛とした姿は貫い
ていて、今も化粧をしています。人に頼るという気持ちを持たず、自分
で出来る間は自分でやる。その気力がすごい。あきらめないことも含
め、いまだに母が私の一番の先生なんです。
この気丈さ、気力、見習いたい! がんばろう!
一昨日は、主人と『アイアンマン 2』を観ました。
すごく面白くはありませんが…ほどほどの痛快感があり、まあまあ
面白く思いました。
昨日は、心友のKさんといつもの天然温泉施設へ行きました。
そこで、『岩盤浴』の初体験をしました。
大汗がドバーって出ました。
バレエで動いていたときは、毎回頭から足まで(冷房を入れない
で一時間半から二時間動きっぱなしで)汗をかいていたのに…
股関節症になってからは、激しく動かないので…
汗もジト…くらいだったのが、昨日は気持ちがいいほど大汗が…
岩盤浴(ゲルマニウム)の後、いつものように温泉に入っていつも
のように帰ってきました。前日まで(この3ヶ月くらい、いつも我慢で
きるが…痛みがあり)、このところ1週間は‘らっこちゃん'で30分かけ
てほぐしていた。
でも、何故か、股関節の痛みと違和感がなくなった!
何が良かったのだろう?
ゲルマニウム、ローズマリー、わからないけど、とってもいい感じ!
嬉しい! 何が良いのか、また、その時によって違うかもしれない
し、新しいことに挑戦するのも よし! だと思いました。
ローズマリーのことが書いてありましたので、ご紹介します。
~ハーブの力で身体を癒す『メディカルハーブ』~
中村裕恵(内科医)
ハーブとは、生活に役立つ植物の総称。最近自然治癒力を
高めるハーブを医療に取り入れた「メディカルハーブ」が注目されて
いる。ナチュラルケアで不調の予防・改善を実践する中村先生に
聞いた。
「メディカルハーブとは、ハーブを心身の健康に役立てる自然療法
で訳すと『植物療法』のこと。植物を使うという意味では、漢方やアロ
マテラピーなどとも共通しています」
アロマテラピーが精油を使うのに対して、メディカルハーブは、お茶
にしたり、料理に使ったりと、味わいながらハーブの成分を摂取で
きるのが特徴だ。ハーブを日常で取り入れる時の注意、使用方法
は、「香りや味、効能などで選びましょう。ハーブは時間が経つと失
われる成分がありますので、少量ずつ購入しましょう。購入の間違い
を防ぐため商品名はよく確認して下さい」
例えば、イライラ解消には“ジャーマンカモミール”、肩こり肉体疲労
には、“ネトル”“ハイビスカス”、目の疲れには“マロー”、消化不良
には“ペパーミント”などがおすすめ。
「また小瓶で市販されているハーブを料理に使うことも良い方法です
。例えば、肉・魚料理などの臭み消しによく使うローズマリーには、
抗酸化作用があるんですよ」ローズマリーは他にも、濃く出して
湿布薬にすることで、筋肉痛の緩和に役立つという。
「メディカルハーブは長期連用すると過剰投与になる可能性もあり
ます。いずれも2週間から2、3ヶ月程度にすること。ブレンドされたも
のや3~4種を、気分・体調に合わせて使い分けるのもおすすめです。
●お茶の入れ方
①ティーポットを温めカップ1杯のお湯に対し、ティースプーン山盛り
1杯程度のハーブを入れる。
②沸騰した直後のお湯をゆっくりと注ぐ。
③3~5分間かけて成分を抽出。
④ティーカップに注ぐ。
●湿布の方法
①沸騰したお湯カップ1に、大さじ1杯程度のハーブを入れる。
②そのまま10分間ほどおく。
③ザルなどでこし、ガーゼやタオルに含ませて患部に湿布する。
※温湿布の場合は、そのまま。冷湿布の場合は、粗熱をとり冷蔵庫
で冷やして使用。
それにしても、痛みがなく、違和感もないということのすばらしさ!
忘れていました!
しばらく岩盤浴、続けてみようと、思いました。