変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

ゆく年くる年

2008-12-31 12:38:40 | 日常生活
 いよいよ後一日になりました…


 昨日、今日と二日かけて主人と大掃除をしています。
 (一人息子は、美容師なので、今日も遅くまで仕事です。)

 こんなに汚くなるの?!
というくらい あっちもこっちも 汚れますね…

 窓ガラス、網戸、玄関、ドア一式、テーブル、椅子、
 レースのカーテン、エアコン、台所の冷蔵庫の上、時計、
普段出来ないところを脚立に乗って 主人が頑張ってくれます。

 ありがたい。 自分で脚立を使っての掃除は?
  ‘怖い…’  ‘塵で死なない’

 などと 言い訳をしながら 主人の孤軍奮闘を横目で
見て、休んでいます。

 
 今週の初めから 昨日、今日で 叔母の事もありましたし…
 やっぱりとても神経を使い疲れているようです。
 昨日は一時間おきに5回も目が覚めてしまいました。
そして、脚の股関節の前の腸腰筋がいつもより痛くなりました。

 
 『無理は一番良くない!』 


 今年の元旦は、母 主人 私 息子 4人で 迎えました。


 来年は、叔母は入院、息子は友達とカウントダウン。
 主人と二人!


 寂しいお正月。 元旦から叔母の見舞いで病院へ。


 『がんばろう~』 『頑張るしかない』




 皆様、今年は 大変お世話になりました。
‘きらら’を立ち上げ、講演会 歩行教室 DVD製作 販売、
体操教室、食事会、落語鑑賞会 等々 ご一緒に頑張ることが
できました。

 多くの方とめぐり合い仲間になれて、同じ悩み同じ痛み
苦しみを共有し分かりあいながら、共に 笑い 共に泣き 
そして、エネルギーを沢山もらいました。

 『ありがとうございました!!!』


 来年もまた ご一緒に 病気に負けないで
楽しく 元気に 明るく 人生を 歩んでいきたい! 
と思っています。

     よろしくお願いします。


 みなさん、良いお年をお迎え下さい !!!!!

 

 

 


 
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大腿骨骨折

2008-12-29 17:47:40 | 私と介護
 昨日の早朝、4時 叔母が大声で私を名前を 叫んでいる声で
何事かと、驚いて目が覚めました。


 見に行くと、叔母がベットから落ちて転がっていました。


 前にも(家に引き取ってから6ヶ月が経ちますが、二回ベット
から落ちて、痛い思いをしているので、毎日口がすっぱくなるほど
ベットから落ちないで、ベットの真ん中で寝て。転ばないで)

 と言っているのに…

 なんとか起こして立たせようとしましたが…
立てません。 「これは骨折だ!」 と瞬間的に思いました。


 直ぐに救急車を呼びました。 日曜日の早朝、しかも年末で
先週の金曜日26日で病院は、冬休みに入りました。

 そのため、整形の医師が当直としている病院は、限られます。
 この辺では 一番大きい、川崎市立の病院へ行きました。

 レントゲンの結果…

 『右大腿骨頚部骨折』 で、人工骨頭置換え術の手術を
主治医から言われました。


 手術の説明は、人工股関節の術式を勉強していますので
全部知っていることを医師は言いました。


 『叔母が人工の手術を受けるなんて!』
夢にも思いませんでした。

 ただ、麻酔が下半身麻酔でする。 
 自己血液ではなく輸血をする。 
 時に抑制をするかもしれない。
 認知症がでるかもしれない。   などなど 少し違いますが。


 なんともはや、ビックリして 動揺しました。

 レントゲンを見ました。

 大腿骨の頚部が、斜めからスパッと折れています。


 『痛みが強いです』 が 手術は年末年始のため
来年の5日以降で、未定です。

 本来なら早くに手術をするべきなのに、間が悪い!


 10日~14日痛みを我慢しなければいけない!


 『かわいそうな叔母』

 今日も先程 病院へ行ってきました。
『叔母さん』 と声をかけると しっかりとした 受け答え。


 頭が変ではない! ということは、ありがたい!素晴らしい!
ことです。 母の時は、大変でしたから…

 一時間以上二人で たわいも無いことを しゃべり続けました。
やっぱり、おしゃべりな人は、ぼけない!って本当だ!
と思います。 お正月もせっせせっせ とお見舞いに通いましょう。

 お見舞いは大変だけど、嬉しいことが昨日ありました。


 兄の子供(姪)に昨日、電話をして 叔母の入院の荷物
(オムツも持って行くので、一人で運ぶには重いため)を
一緒に行って持ってもらいたい、と 頼んだところ、未来の
旦那様も同行してくれました。

 その時に、前に叔母が近々二人が入籍するため、結婚の
お祝いを包んで渡していた、お礼を彼が叔母へ言ってくれました。

 すると 叔母は
 『京子ちゃんを幸せにして下さい』 と言いました。


 私は、嬉しかった!

 家族、身内が増えたことが! 
 叔母の頭がしっかりしていることが!
 私の亡くなった母が そばにいて、叔母の口を借りて言っている
 のでは?!    と。



 今回の叔母の入院で、動揺はしましたが、自分の心が強く
なっているのを 感じます。


 やっぱり 苦労は 人を 育てるのでしょうか?

 自分で言ってりゃ~ 世話はない… ですが。

 (誰も言ってくれないので、コメントもないし…)

 お正月から 大変ですが、 ガンバる 心があります。


 年末年始は、忘れ物 落し物 事故 慌てていると起こりがち
です。今日もデパートのトイレでバックを忘れて…
 
 「中に財布からカードまで全部入っていたのに…」

 と肩を落としていた 方を見ました。

他人事ではありません。 どうぞ皆様 くれぐれも
ベットから落ちない! 転ばない! 忘れものをしない!
などなど いつもより慎重に 行動して下さい。




 

 


 

 
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最後の殿様

2008-12-27 16:10:46 | Weblog

 2008年もあと五日となりました。

 今年は、いろいろと大変でした。
が、過ぎ去ってしまえば なにもかも 良き思い出です。


 私の私的な一年よりも日本の今年の一年の激動に負への
連鎖の歯止めが効かないようで、気がかりです。


 政府への支持率が10%台となんともはや…  
出るのは ためいきばかり…

 アメリカのオバマ大統領への支持率は、80%台とテレビで
言っていました。 オバマさんが、「できる」 「できない」では
なく、国民の来年への希望が高いようだ、と分析されていました。


 日本は、日本人は それだけ希望が持てなくなってしまった…
ということでしょうか?  悲しいですね!



 今年は、NHKの大河 『篤姫』 の人気が凄かったですね。
私も毎回 見ておりました。
 幕末の混乱が ‘今’現代へ通じ、維新への変革を
皆が 心待ちしているからでしょうか…

 『今日の友は 明日の敵』 何が起きているのでしょうか?
政治家の方々の奮起(選挙で勝てるか、でなく 真に日本の
ことを考えて)を心から望むばかり…


 愚痴ばかりになりました。



 今日は、幕末から明治・大正・昭和初期までを生き抜いた
『最後の殿様』 のお話です。



     【最後の殿様    浅野 長勳】   江宮隆之(作家)
 
 NHK大河ドラマ「篤姫」のお蔭で、今年は幕末が熱い。
最後の殿様は、明治維新に大きく寄与したという。

 安芸浅野藩の最後の藩主・浅野長勳(ながこと)が、編集者
のいう最後の殿様であった。長勳候には、詳細な自叙伝がある。
それが小説のベースになった。

 「徳川慶喜がぽろぽろと涙を流して、大政奉還出来ない幕府
の態勢を訴えた」

 「孝明天皇は攘夷一筋の分からず屋ではなく、攘夷を旗印に
して日本の国を一つにまとめようとした」

 「薩長連合とは別に、芸薩長連盟が存在した」


 自叙伝には、こんな記述が随所に出てきて何度も驚かされた。

 そしてあの彫刻家の平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)が長勳候
を写し、考証家の三田村鳶魚(えんぎょ)は、江戸の殿様の生活
を長勳候から教えられて記録に残した。

 江戸の大名の生活が、現在に伝えられているのは、実に
長勳候のお蔭でもある。

 討幕の蜜勅を巡って開かれた 「小御所会議」で
土佐の山内容堂と 薩摩の大久保利通、公家の岩倉具視が
一発触発の状況に陥った。

 それを救ったのは、その折26歳であった長勳候で、これによって
討幕が決定した。

 それでありながら、長勳候は維新後、新政府の重要ポストに
つけなかった。だが、その後を長勳候は恬淡(てんたん)として
生きた。

 『最後の殿様』 らしく凛として、誰にもおもねることなく。
孝明・明治・大正・昭和の4代の天皇に仕え、昭和12年2月1日
96歳という長寿を全うした。

 長勳候の一生を描きながら、爽やかなその生き方に新たな
感動が著者自身にも広がっていた。  ~グラフ社 1470円~




 本当の政治家の出現が、待たれます!

 『来年こそ 明るく 希望の持てる国づくり』 

 でもその前に まずは、家庭の幸せから…
美味しいものでも 作りましょうか…  できるかなぁ~(えへへ)


 




 


 

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クリスマスプレゼント

2008-12-24 12:49:13 | 私自身のこと
 昨日、主人と二人で両家のお墓参りへ行きました。
気温は低かったのですが、風もなく天気に恵まれありがたく
守ってもらっている…と感じました。

 前の日までは、初めての二件(お墓のはしご)続けてお参り
なんて、出来るの?!  (私のうちは、千葉の柏→常磐道で。
主人の方は 川崎の津田山)
 
 と 主人の提案に躊躇しました。

 実は 先月、新車が家に来まして、(うれしかった~ )
( 今までの車は、うちの息子が18歳で免許を
取って、ぶっける !  ぶっける !

 可哀想に… 前も後ろも右も左も  すべて彼がぶっけて
へこみ 傷だらけ… )


 新車にはナビとETCをつけました。
やっと ナビとETCをつけた車に乗れ、幸せ !
(世間から 大分 遅れてますね…)

 その優れもののナビが柏のお寺から、川崎の津田山の
墓地までの行き方を教えてくれました。

 (当たり前ですよね… でも、私たちは地図を見ても最短距離
で移動する、しかも到着時間と渋滞箇所を即座に音声で
教えてくれる!!! すばらしい!!!)


 主人と大感激しました。


 文明の優れものです。当たり前だけど当たり前だ、で
終らない心の持ち主でありたい! 
 と思いました。



 二件のお墓参りを終え無事に家へ戻りました。
ナビのお蔭と事故が無かったので、明るいうちに帰れました。


 やっぱり、疲れました…
お墓の汚れは主人が綺麗にしてくれます。
 私は草むしり、落ち葉拾いでした。 やっぱりしゃがめるけど
長くしゃがんでいると 脚にきます。

 あーあー また脚のケアしなくっちゃ…


 と 気が重くなっていたら、信貴山のお寺から宅配便が来ました。


 信貴山は、母と二人(バレエのカンパニーの先生が先達で
20代の時からバレエを引退するまで)で毘沙門天王へ毎年
参拝しておりました。


 引退してからは、脚が悪いこともあって参拝できず、お札だけ
郵送していただいてました。

 先日 来年のお札をお願いするにあたって、母のことを
お手紙でお知らせしたら、昨日 ご住職様から 心のこもった
お手紙とお香を頂き、お手紙を読みながら 涙が出て止まりません
でした…


 天からのクリスマスプレゼントだ。


 母はとても幸せなんだ… 喜んでくれているんだ…

と感じました。



 このブログを書いていたら、きららの方から メールを
いただきました。


 『出逢えたことが今年最高の私にとってのプレゼントで~す』


 ありがたい! ありがたい!


『皆さん メリークリスマス。 あなたにとって素敵な一日になります
ように』   
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笑進笑明

2008-12-22 16:58:56 | 心のこと

 関東地方は、この二日間 とても変なお天気に見舞われています。
二日とも19℃はあったのでしょうか? そして とても風が強く
洗濯物が飛んで、ベランダへ落ちました。


 私は、せっせ せっせと綺麗になった お風呂場をまたカビ
だらけにならないようにと、念入りにお手入れをしています。

 でも、悲しいかな 脚が痛みます。

 ほんのちょこっとの お掃除もまともに出来ないなんて!


 この病気になって ほんのちょつとした 動作が動きにくく
出来なくなる事への やりきれなさは…  耐え難いものがあります。

 皆さんも そうでしよう …

 まして、私は 朝起きて 身体が 動けないことが
 「夢なら覚めて !  いや、これが現実 !
 私の身体は動けない !」


 忘れているつもりなのに…
 あんなに動けて 踊れて、自分の思うように 動いた肉体 !

 が…


 と いまだに 思っています…  思っても 動かないのに…



      『笑進笑明』            とても良い言葉です。

 高知市の日浦駿介さんが「家族性けいせいまひ」と診断されたのは
二歳半の時でした。神経細胞が破壊され、全身の機能が一つずつ
失われていく進行性の難病です。

 人は成長することに従って「できる」 ことが増えていくはずです。
しかし、日浦さんには「できない」 ことが、だんだん増えていきました。
 小学校五年生のころには声を失い、車椅子の生活でした。

  「今を生きる喜びを」

 養護学校高等部3年の夏、卒業後の進路を探している時に、
一冊の本と出合います。脳梗塞の後遺症で言葉を失いながら
画家を志す、元ミュージシャンの詩画集でした。

 もう歌は「できない」 ならば絵が「できる」 ようになりたい。
元ミュージシャンの力強い生き様は衝撃でした。

 「書きたい。自分を表現したい」 かつてない衝動でした。

 わずかに動く左手の指に筆をくくりつけてもらい、初めてしたためた
のは 「家族」 の二文字。いつも支え続けてくれた大切な人たちに
感謝と決意の気持ちを込めて。人生が変わる瞬間でした。

 日浦さんは「ストリート書家」 の活動を始めます。
車いすで街へ出て、心に浮かんだ言葉を書いて贈ります。

 『とりあえず前だけ見て』
 『今生きる喜び』
 『きっと大丈夫さ 進もう』  ―独特の丸文字がしなやかに
                    飛び跳ねます―


 「できない」 ことばかりが日々増えていく中で、初めて見つけた
「できる」 という手ごたえでした。ほとばしる言葉や文字は、そのまま
一編の詩のようです。


 作品を読んでくれる人を見て、また新しい言葉が生まれます。
『笑進笑明』 明るく笑って進もうぜ。
 「笑」 という字が大好きな日浦さんの造語です。

 日浦さんは、この秋20歳になりました。

 「我々はこう言います。こう願います。こう信じます。
 大丈夫、私たちにはできると!」 オバマ大統領の
『YES WE  CAN 、 (大丈夫 できる) 』 が世界を揺さぶれました。

 主語も述語もあいまいになりがちな政治家の “話術”に
耳が慣れすぎてしまったせいか、一人称で明確に 「できる」 と
言い切る、言葉の力が新鮮でした。

 政治家だけではありません。高度に効率化、マニュアル化された
社会の中で、一般に「できる」 が気薄になっています。
 店頭や役所の窓口などで、マニュアルから少しはずれたことを
頼むと、いとも簡単に 「できません」  「分かりません」
と言われる場面が増えました。

 「できません」と言ってしまえば、それでおしまい。
「できる」 と請合えば、その言葉を実現させる責任が生じます。

 「できる」手段を探すより、「できない」 理由を見つける方が
楽だし、簡単です。しかし、それではいつまでたっても、「できた」
瞬間の喜びを味わうことも、分かち合うこともできません。

 新聞を開けば、不景気なニュースが並ぶ、重苦しい年の瀬です。
米国の住宅ローンの焦げ付きが、日本の好景気を吹き飛ばす―。
 マニュアルにない不測の事態に、誰もがすくんでいます。
クリスマスのイルミネーションも寂しげに見えてしまいます。

 でも、こんな“寒い冬”はなおさら 『笑進笑明』 を心に飾り、
「YES  WE  CAN」  と言ってみたい。 私にも「できる」 何かを
探してほしいと願います。

 今やすっかり暮の風物詩になった日本漢字能力検定協会の
『今年の漢字』 は 『変』 でした。
 二位以下の 『金』 や 『落』 、予想として取りざたされた
『崩』や『失』 『迷』 などに比べると、 『大変だ』 『おかしいぞ』
と慌てふためくだけでなく、新しい『変化』や『変革』 に通じる
前向きな意味合いも見いだせます。

 いつまでも落ち込んだり、迷ったりしていても仕方がない。
来年は自らも変わろう、自らの力で変えていこうとの希望もあって、
選ばれた文字だと信じます。

 「世界は、私たちひとりひとりからできている。だから、あなたや
私がちょっと変われば、世界はやっぱり、ほんのちょっと変わって
いくの」 ― 日系4世のカナダ人環境活動家 セバン・カリス=スズキ
さんからのメッセージ。


 

 今日の朝刊から 抜粋しました。


 「できない」 理由をあれこれと こね回すのでなく、
「できる」 今 「できる」 ことを探し 希望を持って
 『笑進笑明』 しましょう !!!

 私も  がんばります 


 




 

 

 

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ブータンの夢

2008-12-19 16:42:22 | Weblog

 先日、お掃除の業者へ水周りのお掃除を依頼しました。

 高かった・・・・    清水の舞台から飛び降りてへそくりを
だしました。

 水周りの汚れが自分の技量? では、長年のつけ?
のため 落ちない・・
 (特にお風呂の側面の内側のカビ、床の黒かび? 
鏡のうろこ状のカビ、洗面所の陶器の水あか、トイレの
陶器の水あか) など 毎日ほんの少し頑張れば、綺麗なのにね。

 お手入れを怠る→汚くなる→少し掃除する→また汚れる
→だんだん落ちなくなる→見ないようにする→どうしょうもなくなる


 という悪循環で、あー これって 私の脚と身体みたい・・・

 なーんて 思うということは、いかに 変股症 が 私の心
に影をおとしているか・・・ と 思いながら・・・くそっ・・と
思う 私がいる。



 とはいえ、今は ピカピカ ツルツルになった お風呂場 
洗面所 トイレを 汚れを見つけては せっせ せっせ と 
磨いています。

 いつまで 続くか?!   「頑張ります」 と 自分で自分に
言い聞かせています。。。



 私たちは 幸せ を求めて 暮らしています。

 でも 少しずつ 住みずらく、こんなはずでは? みたいな…
毎日に どうしようもなく  いきどおりながら、でもどうしてよいのか
分からずに 漠然と 暮らしています。


 理想的な国、が ありました…

 

       『ブータンの夢』         作家   宮内 勝典

 山手線の車内で、2人の老人が立ったまま揺られていた。
優先席の前であった。次の駅で老夫婦が乗り込んできたけれど、
誰も席を譲ろうとしない。

 4人の老人たちはつり革にすがりつきながら、無言で耐え続けて
いた。なんと冷たい国だろうと暗澹としているとき、ふっとブータン
のことが思い出された。

 GNP(国民総生産) ではなく、GNH(国民総幸福)
を目指そうというのがブータンの国家方針だという。

 まさかそんな夢みたいな話があめものかと疑いながら、数年前に
訪ねていったのだが、決して嘘ではなかった。

 ヒマラヤの急斜面にかろうじて乗っかっているような山国である。
信州の伊那谷にそっくりで、遠いふるさとに帰ってきたような懐かしさ
が湧く。

 穏やかな良い国だった。贅沢はできないけれど、誰も飢えて
いない。物乞いもホームレスもいない。自殺や犯罪は皆無に
等しく、学費、医療費は無料である。

 青年海外協力隊の若者たちに会って確認したが、かれらも病院は
無料だという。大家族で年寄りを大切にするから、だれも老後の
心配などしていない。

 わたしたちは、世界第二位の経済大国で暮らしているが、
幸福感はほとんど何もない。

 一年に三万人以上、一日に八十数人が自殺していく。すでに
資本主義の臨界点にさしかかったのか、なにかが間違っている。

 ブータンの雪山や稲の実り、暮らしぶりなど見つめていると、
一周遅れのランナーが先頭を走るように、先進国の夢見る
理想社会がひそかに実現されているのではないかとさえ
思われてくる。



 あー うー  えー  …



   さっそく 世界地図で ブータンを探してみよう !
  と思いました。

 日本の国は? 理想は?  どんな 国なんでしようか?


 


 


 



 



 


 

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柚の季節

2008-12-16 13:09:42 | 日常生活

 テレビを見ても ラジオを聞いても 新聞を読んでも
なんだか 心が 暗くなる話ばかりで、悲しいです。


 2008年は 「変」 でしたね。 苦しくなる変動、変化ばかり
目につきましたが…

 明るく 「変」 チエンジ したいものです !



 こういう時こそ、『笑顔』 を忘れない !

 作り笑いでない 「笑顔」 で 今日一日 接しよう!
と 朝 突然 頭に浮かんできました…

 朝から 会う人 会う人に(見ず知らずのふと目が有った人へも)
笑顔を振りまきました…

 少しでも心が 明るくなるように…
 自分も相手の方も…



 今日は、心が温かくなった お話をご紹介します。


      『柚の季節』      徳島市  田中  富榮
 
 今年も玄関で「宅配便です」 と大きな声がした。
宅配人さんが差し出す小さな箱を見れば、柚だとすぐわかった。
 「Mさん 今年も生きているんだ」 とその小包みを見て私は
安堵するのである。
 
 あれからもう20年になるだろうか。年末の行事のように柚の
小包が我が家に届く。私との約束を一度も忘れたことなく、柚の
贈り物がMさんと私との唯一の絆になっている。

 Mさんは、45歳のときに発病し、私が勤務する病棟へ入院して
きた。高熱が続き重症患者の一人であった。検査の結果 膠原病
と診断された。

 入退院をくり返し、生死の境をさまよったことが何度かあった。
いつだったか退院する日にMさんが

「私の家の庭に柚の木があり、毎年枝いっぱいに実がなるんです。
柚を送りますから届いたら、今年も私が生きていると思って下さい。
生きている証として送らせてもらいたいのです」

 と言って退院した。ちょうど柚の季節であった。
そして間もなく小さな箱に入った柚が届いた。

 それから毎年、年末には黄色い丸々したいっぱいお汁を含んだ
柚が必ず届くのである。箱を開けると何ともいえない香りがして、
Mさんの心も一緒に運んでくれる。

 「今年も生きていてよかったなあ」 と、山里で暮らしている
Mさんを思う。木からもぎたての新鮮な無農薬の柚で、私は
柚味噌を作ったり柚風呂に入ったりして香りを楽しんでいる。

 「Mさんありがとうね」

 今年は神戸のAさんに少しおすそ分けした。Aさんの亡くなった
お舅さんは徳島出身である。仏壇にお供えしていただき、柚を
通じてふるさと徳島の香りを、お舅さんに懐かしんでもらえたら
私もうれしい。

 早速Mさんに、お礼の電話をかけると
『今年も柚を送ることができました。私 68歳になります、
この年齢まで生きられるとは思っていませんでした。
有り難いことです。』   と喜んでいた。

 難病と共に一日一日を大切に生きているMさんの気持ちが
伝わってきた。


 『今年また  生きる証の  柚受くる』



 素敵なお話ですね。


 難病と戦って いる方は 沢山 いると 思います。

 私たち 『変形性股関節症』 は 命に 関係はありません。

 一日一日を大切に 感謝して ご一緒に頑張りましょう !!!

 『変形性股関節症に負けない心と身体を目指して』

 笑顔を忘れないで下さい !!! 

 


 


 

 

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今 痛みをかかえている方へ

2008-12-13 16:17:34 | 筋肉について

 師走の月になり、なんとはなしに気ぜわしくなりました。

 のんびりと過そうと思っているのに、やはりなにかに追われて
いるようです。


 先週、お二人(私と同じ病気の変形性股関節症の)方から
相談されました。

 Aさんは、舞踊とヨガを教えている方で40代半ばです。
 3年前から痛みが出て その時は、まだ 病名が分からずに
湿布を処方されただけだったそうです。(股関節専門外来では
なかったのもあるかも…)

 それから徐々に 度々痛みが出て、次に行ったときは
「末期」 と言われ ショックを受け それでも 仕事は
続け、今年の4月の“きららの講演会” で 知り合いました。

 銀サロ(理学療法士の股関節専門 深圧治療) へ一度行かれ
ましたが今 現在、痛みのために続けて15分歩くことも困難で、
通えなくなり、また夜間痛と痛みのために安眠することも出来ず、
かなりナーバスな状態でした。

 4ヶ月前から〇〇大の漢方薬を処方していただいて、その中に
トリカブトも入っていて他にもいくつもの漢方薬が処方されていま
した。夜間痛もあり また痛みのために眠りへの導入も遅いため
睡眠薬をも処方してもらい 常用しているようでした。 

 でも、痛くて家の中でもスワニーのカートを押して家事をして
いました。 どうにもこうにも 薬も効かないようです。

 私の持っている情報をすべて お話して 彼女の選択を
仰ぐだけでした…

 まだ、若いのでそして 仕事(舞踊)を辞めることが出来ない
事情があるため 手術へ とは …にふみきれないようです。

 というのも、彼女のお母様も変形性股関節症だったのです…

 形成不全で36歳で、初めて手術をされたようです。
又聞きなのであまり 詳しくはわかりませんが、両側とも悪く
両方の脚を人工に置換えて、2~3年前にどちらの脚か分かり
ませんが、3回目の置換え手術後 2回も立て続けに 脱臼して
大変だったそうです。

 全部で5回の手術!

 また 6度目の手術もした方が 良い…  
と 医師には言われているようです。 

 まだ 69歳のお母様です。

 初めての手術は、‘自分の意志’ で する! と
決められます。

 でも、2度 3度 と なってくると…  段々とリスクが増し
主治医の意見が 重視 される。

 今 現在、生涯 手術は 片脚 3度まで。
と聞いています。


 お母様のことがあるので、ますます「怖い」 のだと思います。

 まして 私と同じ踊りを 職業にしていますので…
どんなにか 悲しく 辛い 想いなのか? と 何年か前の
自分の姿を思い出し、彼女の今 に重ねて、何とか 仕事が
続けられるように! と 心が痛みます…


 Aさんから、明るいメールが届きました。

 「私の紹介した 「〇〇温泉病院の 矢野先生(保存療法の
先生)の所の予約が取れたので、母と一緒に行ってみます。」

 彼女は来年 都内のある会場で 3日間4公演に女優として
出演するようです。 
 仕事への情熱があれば 大丈夫!  安心しました。



 手術も痛みを取る方法です。 でも、完璧に病気を治す
ことでは ありません。
 
 保存療法もあります。 でも 常に痛みとの戦いです。

 両方の療法とも メリット デメリットがあります。

 
 今 股関節痛のため 痛みに苦しんでいる方へ
私が 言えることは、どちらを選択するにしても よくよく よくよく
考えて 考えて、決めて欲しい。

 そして、絶対に後悔しないように…  納得してほしい…
そして 「あきらめない」 で 前向きに 生きて欲しい!

 『変形性股関節症に負けないで !!!』

 

 

 
 

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叔母の介護

2008-12-08 12:05:37 | 私と介護

 今年の1月15日に 義父95歳を送り、8月21日に実母を送り
今 実母の妹(叔母) 81歳の お世話を しています。

 叔母は 忘れもしない 母の入院した日から、うちに連れて
来ました。 一人暮らしの叔母は、昼夜逆転から お隣の方に
夜中の2時に 救急車を呼んでくれ !  と 玄関をドンドン ドンドン
たたき、救急車は 来たものの 悪くないので、引き返し
迷惑でした…   と  その朝 電話が 入りました…


 しかたがなく 母は(ショートから帰ってくる日 だったのに…
もう一日 ショートを伸ばしていた矢先 肺炎で 緊急入院
したのでした)

 そんないきさつがありましたが、母が亡くなって力なく
泣いていて 「私は とうとう 一人になってしまった… 」
そんな叔母をみたら とても 自分の家へ帰りなさい…
とは 言えませんでした。 

 「心配しなくて 大丈夫だよ !  私たちがめんどうを
みてあげるよ !  ずうーと ここにいていいんだよ !」

 と 5ヶ月が経ちました。


 その間 叔母は、トイレと食事の時以外は ずーと ベットの中
です。 「痛い 痛い 痛い 痛い」  と 寝ています。

 初めのうちは、ずーと 寝ていたら 歩けなくなってしまう !
と なんとか 散歩だ、デイサービスだ、と 思い、誘いましたが
本人がその気になりません。

 やっと 週に一度だけ デイへ行ってくれるようになりました。
というのも お風呂に入りたがらず(今年の3月から5月まで 
叔母の自宅は 市営住宅で お風呂がないため 銭湯へ
行っていたのですが、行かれなくなり三ヶ月も お風呂に入って
いなかった…)

 ヘルパーさんも 生活援助の契約なので、体 、身体を拭くのは
また 違う契約と料金だと … 後になってしりました。
 爪切りも 看護婦さんでないと してはいけない、お尻に
床ずれができても 手当てがヘルパーさんは できない…

 などなど いろいろと 制約が有って 何で?! どうして?!

 と 思いました。 そして 三ヶ月お風呂に 入らなくて、下着も 
一週間に一度 やっと着替えて… いた なんて 思いもよりません
でした。


 母は 一日おきに 無理やりだった かも知れませんが
お風呂へ入れていました。
 一人で今年になり 入浴できなくなったため、私が介助していて
脚と腰の痛みが強くなり、デイサービスで入浴を週2回 お願いし、
週1回は 私が入れていました。 が そのために 変な体形を
するのでしょう 脚の痛みが 治りませんでした。

 当初 叔母の 入浴介助をしてみましたが、一人で湯船と
高めの椅子から 立てませんでしたので、やはり 介助は
無理だ !  と思い デイサービスでの入浴をお願いしました。

 今では、叔母の好きなように… 無理なく… 
だけを 思い、多少 お風呂に入らなくても 死にはしない !

 と 思い 目を瞑っています…


 明日から 主人と (今年、親を無事に看取って天国へ送り出し
私たち 家族は、子供も就職でき 皆 健康に過せたお礼の参拝をしに ) 奈良へ一泊で出かけるため 叔母をこれから
ショートスティへ 預けます。


 叔母は、認知症が とまりました。
とまりましたと言うのは、頭が すっきりし 日付もここが何処かも
自分の事が しっかりと 分かるように なりました。
 ただ ひたすら 寝ているので 昼夜逆転し 時々 夜中に
ごそごそと始めますが まぁ いいか、 と 困りながらも 過しています。


 認知症ではない !   と言うことは なんて 楽だ !
と思います。 母は 大変でした…



 なんにしても 不安なく 過せることが 叔母をしっかりさせた、
のだと 思えます。



 ★健康保険 年金の事で  コメントいただいた方へ

 払っている金額が違うからではないでしょうか?
というご意見 ごもっとも。。。


 私が言いたいことは、そういうことでは ありません。
制度を一本化して、皆が 老後を安心して 過せるように
考えてほしい !  と思ってのことです。

 現に 今 一ヶ月 3万円の 年金で 高齢者が 生活できずに
泥棒 万引きをし 牢屋に入りば 生活が生きていけるから…
と 犯罪が 増えているのです!

 あなた そういう 事実 知っていますか?!
そのことを どのように 考えますか?

 自分には 関係ない…  自分は 若いときにきちんと お金
年金を 払ったから よい… 

 私は 考えて ほしいから あえて ブログに書きました。
意見があるなら 堂々とコメントしてください。

 あなたのコメントは削除しました。  あしからず。


 

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国保の支払い額

2008-12-06 16:57:58 | 日常生活

 今、 つたやで借りてきた 綾小路きみまろの漫談のCD
を聞きながら、笑い転げています。

 何回聞いても 笑っちゃいます !

 笑いは 体にとても良いので、お勧めです。



 年金問題は、いまだにすっきりと しません…

 後期高齢制度が発足して 見切り発車のように始まりました。
そして、今年 年金特別便が私の家にも届きました。


 うちの子供(20歳)も美容師の有限会社で厚生年金に加入
しました。

 私たち(主人と私)は、国民年金です。


 これからもどうなっていくのか 年金・保険ともに心配です。


 今日は国民健康保険料滞納世帯の子供たちが、無保険状態
なることが問題になっている。

    漫画家の倉田真由美さんのコラムをご紹介します。

 無保険状態の該当する中学生以下の子供は、全国で
約3万3千人にものぼるという。

 一般企業のサラリーマンや公務員に比べて、国保は個人の
負担分が大きい。私自身、20代のころからずっと国保だが、
月々の支払いのために生活が苦しくなることも度々あった。

 今の方が支払い額は高いが、家計への圧迫感は当時のほうが
ずっと大きい。

 なぜ制度が別々に存在するのだろう。年金もそうだ。
国民年金は共済年金、厚生年金よりずいぶん支給額が低い。

 実際、「どうやって生活しろっていうの?」 と、叫びたくなる
額だ。

 「組織に所属せず、個人で自由にやっているのだから、仕方
ないでしょ。 せいぜい老後の貯金をしてください」
とでもいうのだろうか。

 保険や年金が、それぞれの会社が独自で行う私的なものだ
としたら、差ができるのも分かる。
 しかし、公的な存在でありながらこれほど大きな差がつくのは…

 個人事業主だからといって、サラリーマンより稼ぎがいいとは
限らないのに。

 いろいろ改善してほしいことはあるが、(個人事業主としては)
とりあえず健康保険料は、収入差に応じて もっともっと細かく
支払い額を分けたほうが良いと思う。
 年収の差に比べ、余りにも大雑把過ぎる気がする。



 うちは 国民年金なので 微々たる支給額…


 本当にいろいろと 改善してほしい …
 一辺に沢山のことはかえられないでしょう…

 解散総選挙 !  と騒いでいたと思ったら… 
知らないうちに …  いまだに続く 麻生政権…


 混迷が続く 政治 世相 …

 今年も あと 少しになりました。

 
 


 

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