変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

年の瀬

2009-12-29 15:46:54 | 日常生活

 こんなに、おだやかな年の暮れはしばらくぶりです。

 叔母は、いま昼食後・・・ のんびりとテレビを見ています。

 昨年、一昨年となにを私は考えていたのだろうー?
とふっと思い・・・  自分のブログを見直していました。


 思い起こせば・・・・・
本当に前年までの 私の年の瀬は毎年大変でした。


 ・2004年12月22日に義母が89歳で入院。大腸がんで入院したときは
 手遅れでした。「痛い!お腹が痛い!」 と意識朦朧で最後は、コル
 タールのような便がにょろにょろと出て・・・ 私はショックでご飯がく
 食べられなくなりました。そんな義母は、なんと1月2日(1日の日がわ
 ってすぐ)亡くなりました。この年2005年は新年早々のお葬式で大で
 した。私の左脚股関節手術もこの2005年でした。

 ・2006年12月初旬。実母が認知症の発症? 東京へ出掛けたのに、
 宇都宮警察隊から連絡があり、保護しています、と。
 母の迷子事件。それから、母の介護が始まった。

 ・この年は、12月30日、義父の警察へ保護事件もありました。亡くっ 
 て2年経ったので、お話します。義父は94歳で亡くなりましたので、時
 92歳でした。主人が実家である義父の家の大掃除に、朝10時頃行し
 たら、家中(信仰している神棚3ヶ所)の神様をぶん投げて叩き壊しい
 たそうです。
  この後、とんでもない事件になりました。
 当時、義母亡き後、姉が(独り身の義姉)義父と同居しておりました。
 義父の介護に、当時「死にたい!」と義姉のメモをみつけていた私  
 は、主人と心配していたのですが・・・
 姉からの電話で
 「殺されるー すぐに来て!」 「警察を呼んだから」
 
 私は、実母がおりましたので行けませんでした。帰ってきた主人に
 よると、父が天からの命で姉をころせ、と。 危ないことを察した姉は
 刃物を隠した、が はさみのような カッター?のようなもので刺され
 そうになり、やもなく警察を呼んだそうでした。
  父は、昔の剣道 水練など体を鍛えていた人でしたから・・・
 おまわりさん5人がかりで取り押さえて、警察署へ。姉と事情聴取。
 そして、一晩 父は警察にご厄介に。次の日、緊急措置として、関東
 圏の精神病院へ隔離。3ヶ月後、一般の精神系の施設へ、6ヶ月後
 認知症対応型施設へ。
 
 こうして書いていると 大変な義父でしたが、大正生まれのすてきな
 真面目で頑固な愛すべき父でした。


 ・2008年は、忘れもしない、12月28日。
 叔母の大腿骨頚部骨折。入院。

 
 実父、実母、義父、義母。
 もうこの世にはいません。大好きな大切な人たちでした。


 今、こうしてのんびりとPCに向かっている。なんにもないことが、こんなに穏やかで幸せなこと!

 当たり前のような日々の繰り返しが・・・

 「幸せ」


 生きていれば、色々なことが 本当にあるものですね。

 幸せに、生きていることに感謝して、元気にがんばろうー!!!


 どうぞ、みなさま 転ばないで! 年の瀬だからと慌てないで!
いつもより、十分注意して落し物・忘れ物しないように。


 今年も後 もう少し。

 ★変形性股関節症に負けないでね!
 何があっても元気な心で、頑張ってください。私も

 



 


 

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今年最後のビックリ!

2009-12-27 15:31:05 | 私自身のこと
 いよいよ、2009年もあと5日。
カウントダウンも片手に入りました。

 忘年会も一段落。

 今年、最後の○○・・・ となってきます。
昨日は今年最後の銀サロ(理学療法士の股関節サロン)で、
「今年、最後の施術」をしてもらいました。

 M先生曰く、
「股関節の動きが、スムーズになっているよ」

「調子が良さそうだね。彦坂さんは精神的な面に影響を受けやすいから、今 (精神的に)落ち着いているのかなぁー」

 うーん?

 自分では、あまり良いとは思っていなかったけれど・・・
改めて、先生に言われてみれば、確かにそうかも。

 叔母の調子が少しずつ良くなって、私の介護の負担が減った。
(睡眠も取れるようになったし、叔母がとりあえずトイレ<今まではポータブルトイレで始末が大変だった>まで自力で歩けるようになったし、痛い!痛い!も小声になったし・・・)


 人に言われると、その気になって、足の痛みが減るような?
気がします。私って単純!

  今年も一年、痛みと上手く付き合うことができた!

 よーし、来年も頑張るぞー!

 来年は、明るい話があります。


 来年、兄の子(姪)37歳が初産です。
心臓弁膜症の手術を幼児期にしていますので・・・
 出産のときにカテーテル?を入れる、詳しいことは分かりませんが・・
横浜市大病院で、もう出産日(3月29日と)も決め、2週間ごとに病院に受診し経過良好・・・・ と10日前に聞きました。


 いきなり、ビックリ仰天!

 8月の亡き母の一周忌の時には、もう3ヶ月だったの?!よね・・・
なんにも言わないで。

大きなお腹で
「落ち着いたら・・・言おうと思ってました」って。

 自分の子どもでないから・・・・
べつに いいんですけど・・・・

 7ヶ月の温度差になんともかなしいやら、いやーな感じ。

 今の若い人は、みんなこうなんでしょうか?


 「今年、最後のビックリでした」



  でも、赤ちゃん。楽しみです。でも、また

 「落ち着いたら連れてきまーす」って 
 1歳になっても来ないかもしれない!  あー!



 


 

 
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先人たちの名語録

2009-12-23 16:28:04 | Weblog

 昨日の映画「のだめカンタービレ」は、パリとウィーンなどの美しい街並みと古い洋館の美しさ、クラシック音楽の胸に染入る心地よさ・・・
 ラブコメディーのおもしろさ・・・

 映画館は平日にかかわらず、満員でした。
客層も幅広く、子どもから大人まで・・・ 私たちは、おばさん2人組でしたが、若い男性2人組とかもいて・・・ ちょっとビックリでした!

 なかなかお勧めの映画でした。


 
 昨年の大河時代劇‘篤姫'以来、来年は‘坂本竜馬'と時代劇がブームのようです。
 今日 ラジオで言ってましたが、今から‘坂本竜馬'に関連した土地では、ブームを見越してイベント企画をしているようでした。
 不況の中、一発当たれば・・・ という思いは誰しも、ですね。



 今日は、「徳川家光」のお話です。なかなか、と思いました。


            [先人たちの名語録]
                          童門冬二

 徳川家光は三代目の将軍だ。かれは就任のときに、全国の外様大名を集めてこういった。
・祖父(家康)と父(秀忠)は、あなた方(外様大名)のご協力とご支持に よって将軍になることができた。
・その意味で祖父と父はあなた方に感謝し、参勤のときは江戸の入り口までみずから迎えに出た。
・しかし、私は今後これをおこなわない。なぜならば、わたしは生まれな
がらの将軍だからだ。
・もし、わたしのこのいい方に反感をおぼえ、反乱を起こす気のある方はどうぞすぐ国に戻って、合戦の準備をなされよ。
・この家光は、“合戦なんてしらないよ"という世代だが、そういう不届きものは必ず討伐に向かうのでそのつもりでおられよ。

 居並ぶ外様大名たちはびっくりした。眼と眼で、
(若造め、よくいうよ)と敵意を燃やした。このとき、
 
「いや、あっぱれ、あっぱれ、実に見事な三代目でござる」といって、日の丸の軍扇をバタバタさせながら家光に近寄っていったのが伊達政宗だった。政宗は振り返ると居並ぶ大名たちを睨みつけ、

「三代目のいまのお言葉をきいたか。もしも国に戻って反乱を起こすような不届きものがいたら、この伊達政宗が討伐軍の先頭に立つ。いいか?」

 片方の眼でグッと睨む政宗の勢いに圧倒されて、大名たちはなにもいわなかった。若い三代目にことごとくひれ伏したのである。

 家光は木が好きだった。江戸城の庭に、新しい木を植えては楽しんだ。諸大名が争って苗木を献上した。植木を扱う植木職人が苗木の多さに閉口し、とても全部は植えられないと判断して、なかで悪い苗木を取り除けた。家光はこれをみた。

「なぜその木を別にするのだ?」

「これはいい苗木ではございません。よい苗木だけを植えたいと思います」

「それは間違いだぞ」
家光は色をなして植木職人を睨んだ。そしてこういった。

「大名がくれた苗木は、どんな悪い木であろうとそのくれた者の志がこもっている。わたしが植えるのは単なる苗木ではない。大名たちの志なのだ。かれらの忠誠心なのだ」

 これには植木職人も降参してしまった。
「恐れ入りました。そこまで考えが至らず、どうかおゆるしください」
 そういって植木職人は悪い苗木も全部庭に植えた。






☆現在、民主党の小沢さんがこういった、総理の鳩山さんはどうだ、こうだとテレビでいってました。少しでも明るく・住みやすい国にしてほしい、と願う‘庶民の願い'が届きますように!
   

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「不良」のすすめ

2009-12-21 15:52:27 | 私と介護
 今日も西の空に富士山の雄姿が見えます。

 このところ、毎日のようにお姿が見え清々しい気持ちになります。
が、今日もテレビで片山右京さんの事務所の方の遭難が取り上げられて・・・・・・ 自然の脅威を思わざるおえません。


 昨日、実は疲れ果てて・・・・・・
どこが悪い、という訳ではなくなにもやる気が起きず・・・
 本当は、年末のお墓参りへ主人と出掛ける予定でおりました。

 朝ごはんも食べずに、ゴロゴロと(叔母の世話は主人に頼み)一日中ベッドで過ごしました。

 たった一週間しか持ちませんでした。
叔母の介護。 特別に何をしてあげたとかいうつもりもないのに・・・・
 叔母には、私しかいない・・・
ということが、負担なのでしょうか?!


 

 そんな風に思っていた時の、ゴロゴロしてみていた記事をご紹介します。私と同じように介護をなさっている方やなにかのお役に立つのでは、と思います。



        介護における「不良」のすすめ
                             小笠原 望   
                           高知県 (大野内科院長)

 南国土佐と言われるのだが、土佐は山の国。けっこう雪が降る。僕の住む中村(四万十市)は四万十川が太平洋に注ぐまであと10㌔の町なのだが、雪が良く降る。四万十川の雪景色も珍しいことではない。

 5年ぶりの、妻の高校の同窓会があった。
「みんな大変。二次会は介護の話ばかりだった」と、帰ってきた妻が言う。ぼくたちも、寝たきりの妻の父を半年間わが家で介護した。父の最期を家で迎えたことが、夫婦の大きな節目になった。

「できることはできるけれど、できんことはできん」、介護で悪戦苦闘している人にぼくは練り返す。とくに子どもは都会、親は田舎にいる、この形のときに直接に何も手を出せないことがストレスになる。

 電話ではお年寄りは本音を言わない。
「大丈夫、いつもの通りにやっている。あなたこそ元気?」と、どんなに大変でも明るい声で応対する。一人暮らしの不安を、診察室でよく聞く。

「死ぬのはかまわないけれど、何日も発見されなかったら」と言うが、本音は違う。誰だって、死が怖い。

 介護をしている人は、認知症をはじめとして振り回される毎日で、くたくたの人が多い。介護は、少しいい加減で、遊び心があって、こころが柔らかな人が疲れない。

 直接に介護をしていなくても、一日に一回食事の介助や洗濯物を取りに行くことだけで、24時間しばられている感覚の人が多い。

何かのときには代われる人を。一日はさぼってもいい気持ちを持とう。
そこまでしなくていい」と、ぼくは不良のすすめを繰り返している。

 子育てもそう、思ったとおりにゆかないのが、介護の現場なのだ。臨床の中で、ぼくが一番鍛えられたのは、『思い通りにゆかないこと』だった。期待をすれば、はずされる。なんでもありの気持ちになって、初めて楽になる。介護も一緒だろう。

 いのちは自然の流れのなかがいいと、いつも思う。本意でないのに、都会に引き取られてゆく人の最後の診察はつらい。一人暮らしを介護保険のサービスや近所の人が支えて、もし一人で亡くなっても、本人が望めばそれでいいとぼくは思っている。

 「一人暮らしの孤独な死」では決してない。子どもの都合で年をとってから同居して、適応できるお年寄りは何人いるだろうか。ぼくの診療所から四万十川に沿って3㌔上流に一人暮らしの95歳の女性がいる。自分はここで一人で死ぬと決めている。子どもは高知市にいるのだが、自分はここがいい、最期はぼくが診て家で死ぬのが一番と、明るく言う。

 ヘルパーさんも訪問看護師もかかわっているが、不自由なのに明るい。「死ぬときは頼みますよ」と言うので、「任せておいてください」とぼくも明るく答える。あまり動けないのに、庭には季節の花が絶えない。

 ひとのいのちも自然のなかのもの、介護も自然な流れがいい。
無理をしないで、「できることとできないこと」があって、当然だろう。

 お年寄りを抱えているという、重たい気持ちの毎日になりませんように。






☆今日は叔母のデイの日でしたが・・・ 気がすすまないようで、行きませんでした。ちょつぴり心配ですが、明日は、前からの友人との約束もあり(叔母を一人にしてしまいますが・・・)      
 同病のお友達と「のだめカンタービレ」を観に行って、楽しいおしゃべり、美味しいランチと、遊びに行って来ます。 
 ちょっぴり、不良してきます。
 

 

 
 
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厚型テレビとの別れ

2009-12-18 15:18:10 | 日常生活

 今日は、一段と冷え込み北風が身にしみる。
テレビをなにげに見ていたら・・・

 元F1レーサーの片山右京さんが、富士山で救助!
残る2名は遭難! 死亡か?!   

 マイナス20℃の世界・・・  

 舞踊を現役でやっていた時、後輩(年は同歳だが、ずっーと後からの芸暦なので後輩で弟子になる)のご主人が(お子さんがいなかったので共働き)山の好きな方で、K2で遭難して・・・ 遺体も出ていない。
 お墓には、現地の石が入っている・・・・

 そんな昔の話を思い出しました・・・・・・・



 先日、うちの息子が地デジ対応液晶テレビを購入しました。
ゲームをより鮮明な画像でやりたいから・・・  という理由で。
 今 彼は、プレステの新型でファイナルファンタジーの最新ゲームに夢中です。

 私はゲームが大嫌いです。
昔は、親子で百人一首だ、すごろくだ、トランプだ、ウノだ、人生ゲームだ、と言って家族や友達で遊びました。
 今の子どもは友達とゲームで遊んでいても、結局一人でテレビと対面して・・・ 子どもが小さいときどのくらいゲームのことで怒ったか・・・

 ぐちってもしかたがありませんが・・・・




 うちは、テレビ(厚型テレビが)4台ありました。
私は、古い人間なので壊れてもいないのに新しく購入するのは抵抗があります。

 確かに、液晶は画像が鮮明で綺麗です。

 でも、積極的に買い換えようとは思いません。
今日は、そんな私の思いもあって 新聞の投稿記事をご紹介します。



          「厚型テレビとの別れ」 
                菊地峰子  東京都府中市 主婦63歳

 買い物から戻ると部屋にデンと薄型液晶テレビ。夫が一週間ほど前、通信販売会社に何やら注文していたのは知っていた。
 ひと言のメッセージもないけれど、長年の仕事から解放された私へのプレゼントかもしれないと思った。

 しかし夜、一人の部屋でスイッチを入れない無機質なテレビと向き合っていると不覚にも涙が流れてきた。どこも傷んでいない、数時間前までこの部屋にあった厚型テレビ。結局たたき壊されてしまうのだろうか。外出中のことで別れも言えなかった。

 何より、録りためていたビデオをゆっくり眺め、2011年7月以降はラジオと読書の日々へ、と私なりの地デジ対抗策を描いていた。

 酔って帰ってきた夫は、思いがけない私の涙に慌てふためき、
「君のために買ったのに」。
 急激な世の流れ、その象徴のようなテレビとの別れに涙を流しているのは私だけなのだろうか。





☆涙が出るほどでは(まだ買い換えていなくアナログ3台あるから)ないにしても・・・ 昭和は遠く・・・ 平成から どこへ行こうと私たちはしているのだろうか? とふっと思いました。



 

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叔母の介護

2009-12-16 15:16:28 | 私と介護

 今日は、朝からバタバタしています。

 叔母が先月、退院してきてから叔母のためにと 往診へ変更したり、医療マッサージを開始したり、看護婦さんの訪問介護ステーションもお願いしたりと・・・・

 せわしなくトントンと決めました。ショートスティから帰っての、初めての今日は水曜日。私の予定などから水曜日にすべてを入れてもらったため・・・ 朝からてんてこ舞い!

 朝、9時15分に訪問介護の看護婦さんが、説明も含め契約に来ると言うので・・・  なんとか家事をバタバタとやった。
 が、自分の朝食が食べられなかった。

 でも、約束の時間になっても来ない。
30分待てどくらせど来ない、電話もない。

 しかたがないので電話すると、「もうすぐ着きます」と。
到着後 約1時間くらい 叔母の様子とこれまでの経過を話し、血圧・脈・体温・体のチェツクをしました。
 血圧が低いものの(上が90)問題なし、と言われ一安心!


 看護婦さんが10時半に帰りました。
11時~11時20分まで医療マッサージの人が来ます。
あわてて自分の食事をし ほっとする間もなく・・・

 帰るのを待って、急いで買い物へ。
午後から訪問往診です。しかも(来る時間がアバウトで、13時半~16時半の間に)、来ると言う。

 アバウトすぎて・・・ 困ったなーと思っていたら・・・・
 
 このブログを書いていた途中で、来て帰っていきました。
 次は、年明けです。昨年は12月28日にベットから落ちて、大腿骨頚部骨折で年明けの手術になり・・・ 5ヶ月近く(リハビリ病院も入れて)
の長い入院になってしまったので・・・・

 


 来年こそは、家族 みんなでお正月!
が、今の目標です。そして、こんどこそ! 転ばないで元気になり、デイサービスでお友だちを作ってもらいたい、というのが私の想いです!


 

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笑いと人権

2009-12-14 16:51:34 | 日常生活
 今日、今しがた叔母をショートスティから自宅へ連れて帰ってきました。とても、安心しました。
元気でしっかり(室内だけ)歩く姿を見て、うれしかった~!

 頭もボケてないで、しっかり話をしてくれ・・・
 預けて良かった~。

 同じ(施設内の)フロアーの住居者の方たちは、皆さん叔母よりももっと年をめしているためか? ボケているためか生気がなくほとんど車椅子で寝ていました・・・・・・

 その様子を見るのが初めてでないから、動揺しなくなりました・・・
が、やっぱり 人間て 年を取るって、哀しい。
 特養に入らないように 自分は したい、ものです。



 私はというと、叔母がいない間に あれもこれもと用事をこなし、毎日のように外出して出歩いていたら・・・
 
 やっばり股関節が(付け根と横の中殿筋)痛くなりました~
毎日のようにほぐしまくり、モーラステープを貼って・・・
 しのぎました。痛み止めは服用しないでも大丈夫でした。

 今日からまた叔母との生活が始まるので、また長時間出かけられなくなりました。
 でも、自分の足のためにも 少しのんびりした方が よし とプラスに考えることにしました。


 そんな感じで 出歩いていましたので、ブログもすっかりご無沙汰しました。元気ですしたから、心配しないでくださいね。
 また、よろしくお願いします。




 さて、今日はいつも私が読んでいる‘高野山教報'の記事をご紹介します。

 
              「笑いと人権」
                           徳島市 田中富榮
 
 いつの新聞だったか徳島新聞朝刊に「笑いと人権」という見出しで、T公民館で開催された出前講座の記事が載っていた。人権というテーマを聞いただけで、堅苦しく近寄りがたい問題と思ってしまいがちだから、新聞に載っている講師の先生は寄席に出てくる口上師の出で立ちで「南京玉すだれ」を披露しながら

「お互いが笑い合うことによって幸せになれる」とみんなをリラックスさせながら話が始まったと。

『人間の笑いは四つの効用があります。一つは、思いやりや優しさが溢れる親和作用、二つには、笑いがある所に人が集まるという誘因作用、三つ目は、医学的にも気分が解放される浄化作用、四つ目は、精神的にゆとりを生み出してくれる解放作用です。

 だから笑いは人が幸せになるための動作であり、暮らしの中で重要なコミュニケーションやメッセージの役割をします。

 一方、笑いには批判のトゲがあるため、当時の支配者によって弾圧され、おとしめられてきた歴史があります。
 また、「そんなことをすると人に笑われますよ」と笑い=愚かな行為の嘲笑として受け取る回路が頭の中に刷り込まれてきました。

 そして「笑い」はタテ型社会において弾圧され、その結果、笑いを職業としてきた人までが差別されたのです。このような差別の問題は、決して絶対的なものでなく、社会の形態やそのときの価値観で都合よく作られてきたことがよくわかります。

 だから私たちは研修会に参加して本当の姿を知るという、人権感覚を磨くことが大切なのです』。

 最後に先生は「外郎売り(ういろううり)」の口上を披露して、楽しい講演を締めくくったと書いてあった。

 この記事を読んで私は、早く世界中の人々が心から笑える社会になってもらいたいと、願わずにはいられませんでした。





★まずは、身近な家庭内から「笑い」を広げたいものです!
 あなたは、今日笑いましたか?!  



 
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ケチ子さん

2009-12-04 15:53:06 | Weblog

 昨日から14日まで、叔母をショートスティへ頼みました。

 少し寂しい気持ちになりました。

 が、叔母を気にかけなくてよい・・・ ということは
心が休まります。
 今日は朝から大掃除を主人としました。
出来るときにしないと・・・またいつ出来なくなるとも限りませんから・・・


 明日から 主人と(一年に一度の関西へのお参りと名古屋の義姉のところで、兄弟が集まり亡き義母の)法事のため家を空けます。

 うちは、一人息子なので・・・
(私よりも主人が)息子のことが心配の様です。



 今年は、というより、毎年 デフレ デフレと騒いでいるように思うわれますが、年の暮れ 新年となれば 何かと物入りになります。

 私は巳年生まれなので(年がバレてしまいますが)
結構 お金(小銭ですが)には昔から困りません。
 だからというわけではありませんが、しまり屋です。
でも、ケチではありません! ここだけは強調します(笑い)



 
「ケチ子さん」? 「ケイ子さん」 いえいえ私ではないですよ。
記事を読んで、思わず のけぞってしまいました。


 
             「ケチ子さん」
                          西田小夜子(作家)

 八十近い彼女は陰で「ケチ子さん」と呼ばれていた。当人は金持ちだと自慢するが、並外れたケチンボだった。

 親類や友人のお祝い事で全員が
「現金で1万円にしよう」と決めても、ケチ子さんだけ
「私は心をこめて品物にするわ」と言う。亡夫が何かでもらった未使用の昔のネクタイを、箱だけ買い自分で包装する。
 子どもに贈られた入学祝のオルゴールも使わせず押入れにしまっておく。それを友人の新築祝いに回すのだった。

 このネクタイ1万5千円よ、みなさんは1万円で安上がりねえ、などと平然と言った。ケチ子さんが祝賀会の幹事になったことがある。
 古道具屋でナントカ先生作という、5万円の「めおと茶わん」を買ってきた。薄汚い古茶わんが5万円て本当か、とみんな不満だが仕方なく1万円ずつ払う。彼女は格式ある店で買うと領収書が出ないのよ、と言った。

 にわか雨に降られたときである。ケチ子さんだけ傘がない。
銀座の高級傘店に入り30分も品定めしたのに、買わなかった。
 入れてよと人の傘に入ってくる。500円の傘売ってなかったもんね、とみんなすぐわかった。

 食べたり飲んだりもケチる。喫茶店でケーキだけ食べて水を飲み、コーヒーは取らなかった。タクシー内で会費集めをしたときの話は今も語り草だ。5000円札を空中に投げて「あらそっちに落ちたわ」と紛失したことにして、払わなかったのだ。

 お札は素早く回収したらしい。お金があるのに「使えない病」のケチ子さんは、悪口にもめげず健康で堅実で毎日愉快に暮らしている。






☆「ドキ」っとした方は、いませんよね!(笑い)
                        

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ヤングの眼

2009-12-02 15:40:34 | 私と介護
 今日は、穏やかな暖かい一日です。
明日は雨の予報が入っています。叔母をショートスティに連れて(車椅子)
行くので、なるべく降らないでほしいなぁー。

 主人が休みで手伝ってくれるようなので、安心ですが・・・


 今日、先週 契約をした、叔母の在宅医療マッサージの方が来ました。

 施術時間は、20分。
それ以上は患者さんが疲れてしまい良くない、という説明を受けました。
 施術者と叔母のやりとりは、(叔母の受け答えは 実にしっかりとしてはっきりし、耳も遠くないし・・・ ) 私を安心させました。

 終わってから、叔母にどうだったか? と尋ねると
「弱い力でのマッサージだったから、なんとも感じなかった・・・」

 効き目は期待できないかも? しれないが、脳を使うという意味でとても良いかもしれない? と思い 毎週(ただし、祭日とショートの時は休むので)頼んでみよう、と思いました。

 


 明日から、しばらくショートスティに頼めることは、本当にありがたい!
自分の時間を作れ精神的に休めることは、とっても必要だ。

 母の介護の時は、自分が自分が! しっかりしなくっちゃ!
とばかり、焦ってかえって 自分を追い込んでいたような気がする。

 介護も二度目だと余裕?が出てきたのか?

 苦しまない、焦らない、自分を大切にした!介護をしていきたい。





 そう思っていたら、こんな記事が目に入りました。

   〜ヤングの眼〜 「祖父母4人、私にできること」
                             木村 奈緒

 私の父方の祖父は今年で86歳、祖母は82歳。母方の祖父は85歳、祖母は83歳。長生きしてくれる祖父母に感謝するが、いずれ4人を見送らなければならないと考えると気が重い。

 現に、母方の祖母は認知症で入院中。介護施設に入居している祖父も認知症だ。父方の祖父母も、生家を離れマンションに転居した。
 子どものころ、長期の休みになると帰省していた家には、もう誰も住んでいない。

 帰省をしても祖父母が出迎えてくれなくなったころから、祖父母に会うことはめっきりなくなった。
「金をくれ」と頻繁に電話をしてくる祖父や、暴力的になった祖母に嫌悪感さえ抱いた。

 自分の平穏な生活を壊されまい、と祖父母のことは考えないようにしてきた。

 しかし、私の成人式の写真を見た祖母が
「会ってみたいなぁー」と言った事を母から聞き、私は自分が情けなくなった。自分のことばかり考えていた私に対し、祖母は私のことを思っていてくれたのである。

 今の私に出来ることは、祖父母に会いに行き元気な顔を見せるくらいだ。祖父母と別れなければならない時、後悔しないよう精一杯の祖父母孝行をしょうと思う。




☆なんて、思いやりのあるやさしい心でしょう。
 私も、そういう心で 叔母を看ていますが、つい辛いとき・・・
 あります。特に自分の体が辛いときは・・・

 今日も元気で笑顔!    がんばりましょう〜
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