今日は、朝 叔母がリハビリ病院へ転院するための
家族面談を受けに行ってきました。
結果… 「受け入れOK」でした。
よかった~ 安心しました。 待機 3番目でした。
2月中に 転院し 足のリハビリ1時間、手のリハビリ1時間。
カリキュラムに沿って進めてくれ まずは、一ヶ月。
様子を見ながら最長3ヶ月。
そのリハビリ病院というのは、叔母が内科で3~4回入院
したことがあり、私の家からも今の病院より近いので助かります。
その後午後から、叔母が入院している 今の病院へ。
さすがに病院のはしごは、疲れました !
やっぱり 健康が一番ですね! つくづく 思います。
今日は、そんな叔母を見ていたので、この記事には
ビックリしました!
『甘口 辛口』 青木聖司
笑いに行ったはずが、涙を流してしまった。現在のブームを反映
して都内の寄席は、平日の昼から立ち見がでるほどの盛況ぶりだ。
涙の原因は口座に復帰した三味線漫談の玉川スミ。
今年 米寿を迎え、芸能生活85周年という節目の年を迎えた。
ところが、ご難続きの一年。2月に転倒して、顔や手に大怪我を負って
骨を移植する手術を行った。
その後、持病の心臓が悪くなり再入院し、肝臓がんが見つかり、
またも手術…
『もう、お医者さんから、命の保障はできない、といわれている。
だけど85周年の公演を絶対に成功させたい。その思いだけで
頑張ってきた』
寄席での持ち時間は十数分。この少ない時間で、喜怒哀楽を
語るのが名人芸だ。寄席には涙を拭う人が何人もいた。
「子供が売り買いされるなんて、今ではかんがいられないでしょう。
私は、戸籍ごと売買され、14歳までに13回も親が代わりました。
最初は、3歳の時、女流歌舞伎の一座に27円で買われ、その日に
今度は30円で太夫元へ。
当時の27円というのは、総ヒノキつくりの二階建ての家を造れる
だけの価値があったんですよ」 と自身の半生を織り交ぜる。
12月1日から東京・国立演芸場で10日間、85周年記念公演を
行う。ここでは、広げた120本もの扇を全身につけ、一本歯の
高下駄を履き、ピラミット型に3段重ねた升の上に片足で立つ
『松づくし』という創作演技を披露する。
「これは弟子にも教えていない。今の体力では120本は無理
でしょうから、50本ぐらいでやります」
命をかけた本物の芸は見る人の心を打つ。
「今でも高座に上がる前は足が震える。
休む?とんでもない! 休むのは死んでからゆっくりと」
~H20年11月16日の記事~
凄い方もいるものです…
信念。 寿命。 精進。 努力。 などなど。。。
つめの垢でも 貰って、見習いたいものです。