昨日は、3ヶ月ぶりの銀サロ(股関節セラピー‘深圧')へ行ってきました。
自分の股関節の痛みがあまりなかったのが、3月で、4月は、不眠症で、銀座へでかける気が
しなかったため、自分の予約枠をお仲間へ譲りました。
そんなこんなで、3ヶ月ぶりの銀サロでした。
私の筋肉の目安になる、地下鉄の階段60段は、手すりを使わずにクリアーしました。
が、38段目に足が(大腿四頭筋にきましたー)重たくなり、それでも、頑張って8分音符で、
上がれましたが、体は、重かった。
股関節周りの筋肉に問題はありません。
松本先生の施術は、、不眠症のための背中と腰が中心になりました。
体中の血液が駆けめぐり、渋滞していた血の巡り(??)は、解消したようです。
体は、軽くなったのですが……
が、やっぱり、私の睡眠中断障害に変化はありませんでした。ガク
睡眠が正常になるには時間がかかるようです。
今日は、少し施術の効果か、パソコンのやる気はありますので、
しばらくぶりに私の愛読誌「高野山教報」から、ご紹介します。
『先に懺悔』
天野高雄(岡山県 高藏寺住職)
懺悔という言葉がありますが、仏前勤行次第の中には懺悔文と書かれています。
西洋の映画などで、教会で懺悔する人が謝っている場面を見ますが、子どもの頃、奇妙に
思って師匠に聞いたことがあります。
本当かどうかわかりませんが、仏教は行う前に反省するので「さんげ」、他の宗教では
行った後に謝るから「ざんげ」と濁るのだと教えられました。
行った後に謝るほうが効率がいいのではないかと思ったものでした。
住職なってしばらくたったある日の夕方、本堂に一人の少年が飛び込んできました。
13,4歳の見たことのない子で、「助けてください」と言って泣き出します。
誰かに追われている様子もなく、座らせて背中をポンポンと叩きながら般若心経をお唱えしている
と少しずつ落ち着いてきました。話を聞くと万引きをしそうになったと言うのです。
したのかと聞くとしていないと言う。していないならいいじゃないかと言うとまた泣き出す。
よく聞いてみるとこんな様子でした。
近くのお店で、度胸試しのようなこともあったのでしょう。他愛のないものに手が伸びました。
それをポケットに入れようとしたらドキドキしてきた。
その瞬間頭に浮かんだのがおばあちゃんの姿だったそうです。
その子の家にはおばあちゃんがいて、おじいちゃんが亡くなった後、幼い孫を膝に乗せて
毎日おじいちゃんのために一生懸命拝んでいたそうです。
子どもにはたくさんの疑問がわきます。
あれは何?これは何? それはどういう意味?
思ったことをすぐ口にします。
おばあちゃんは優しく丁寧に全部教えてくれたそうです。
不殺生(ふせつしょう)とはものを殺してはいけないということ、
不偸盗(ふちゅうとう)とは物を盗ってはいけないということ。
「物を盗ったらどうしてだめなの?」と聞くと、おばあちゃんは
「物を盗ったらお父さん、お母さんが悲しむ。物を盗ったらばあちゃんが悲しむ。物を盗ったら
死んだじいちゃんが悲しむ。物を盗ったらお店の人が悲しむ。物を盗ったらあんたが悲しむ」
と言ってくれたそうです。
そして少しやんちゃになった頃にそのような事件に巻き込まれるのですが、手を伸ばした瞬間に
おばあちゃんの「不偸盗、不偸盗。盗んだらみんなが悲しむよ」
と言う言葉が浮かび、手が止まって逃げたそうです。
「やってから謝ればいいのでは」という疑問はその事件で一掃されました。
物を盗る、盗らない、返せばいいという問題ではないのです。心に大きな傷ができるのです。
不合理なようですが、幼児の頃から
「してはいけない」と教えられたことが歯止めになるのだと思います。
やってしまって、取り返しがつかないことになってから懺悔をしてもだめなのです。皆様が
毎日お唱えされる仏前勤行のときにそのことを思ってください。
「弟子某甲(でしむこう) 尽未来際(じんみらいさい)」とありますが、
某甲(むこう)とは誰の名前でもありません。皆様各々のお名前が入るのです。
それを踏まえたうえでしっかりお勤めをして、このおばあさんのように次の世代に伝えていって
いただけることを願います。
たったこれだけを入力するのに…
目が目が痛くて、頭も痛くなりました。 途中から、物凄くつらくなりました。
やっぱり、パソコンの画面を長く見続ける
事は、今の私の状態では無理なようです。
入力ミスもあるかもしれませんが、お許しを!
また、ゴロゴロします